澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

断捨離の「見つけもの」

2024年09月21日 12時32分15秒 | 読書

 自宅が改修工事のため、本やCDの処分をしている。結論的に言うと、CDはどれもガラクタ。廃棄の基準は、好き嫌いに帰着する。だが、本は別らしい。全集や資料集をいくつか持っているが、その古書価格は惨憺たるもの。売ろうとしても、売れそうにない。

 だが、中には掘り出し物があった。その特徴としては、①発行部数が比較的少ない、②現在でも文献的価値がある、③マイナーな分野の本といったところか。

 
「漢文から中国への道」(田中秀著 燈映社 S56 1,900円)
この本のAmazon中古書価格が18,000円


「中国の近代化と知識人~厳復と西洋」(B.I.シュウォルツ著 東大出版会 1978年 2,800円)

 この古書価格が何と29,800円


「ローザ・ルクセンブルク」(トニー・クリフ著 現代思潮社 1968年 400円)
この古書価格は、18,000円。

こんな
ことを調べても、実際には買い手をさがすこともできないし、売れないんだろうなと思う。だが、ブックオフに一冊50円くらいで売るのはやめようと思う。


宮脇淳子 中国の正体・中国人の本性を見誤った政治家・官僚たち

2024年02月05日 20時40分04秒 | 読書

 昨日の「デイリーWiLL」に東洋史家・宮脇淳子が二年ぶりに登場した。宮脇淳子女史は、岡田英弘氏(故人 東京外国語大学名誉教授・東洋史)の妻で、夫君と同じくモンゴル史専攻の学者。

 時に「岡田史観」と呼ばれる岡田英弘の歴史観との出会いは、従来の王朝交代史や中国共産党史観に知らぬ間に呪縛されていた私にとって、実に衝撃的だった。「中国史」は漢民族の歴史ではなく、周辺の民族との興亡の歴史であること、とりわけモンゴル帝国が世界史において果たした役割の重要性を強調したのが岡田英弘だった。
1957年(昭和32年) - 『満文老档』の研究(共同研究)で第47回日本学士院賞受賞[3]。これは史上最年少(26歳)の受賞である。既存の中国正史に追従する中国史学の在り方に異を唱えたことで、日本の史学界では長年異端扱いされた[6]。」(Wikipedia)

 岡田英弘は、長く東京外国語大学に勤めた。

1966年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授に就任[3]1968年、ワシントン大学客員副教授となった( - 1971年[3]1973年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授に昇進[3]1993年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所を定年退官し、名誉教授となった。」(Wikipedia)

 だが、27年にわたる東京外大時代には、大学の学部で授業を受け持つことは一切なかった。アジア・アフリカ言語文化研究所という研究組織に属していたためだが、門外漢から見れば「学生に岡田史観を伝えさせないため」「弟子を育てさせないため」という悪意が感じられる。私が東外大でアジア関係の科目を聴講していた時、たまたま先生(外大の卒業生)に「岡田先生の授業はどうでしたか」と聴いたことがあった。だが、その人は岡田英弘の名前を全く知らなかった。だから、そんな風に勘ぐってしまうのだが‥。

 ともあれ、「岡田史観」を継承する唯一の人・宮脇淳子女史のお元気な姿を見て一安心した。台湾有事が目前に迫るという今、中国共産党史観の欺瞞、虚構性を暴くことができるのは、岡田史観をおいて他はないから。

 

【宮脇淳子】中国の正体・中国人の本性を見誤った政治家・官僚たち【デイリーWiLL】

【宮脇淳子】習近平「台湾侵攻」と独裁皇帝の悲惨な末路【デイリーWiLL】

【宮脇淳子】日本人と中国人は絶対にわかり合えない【デイリーWiLL】


「エジプトの空の下~わたしが見た”ふたつの革命”」(飯山陽 著)を読む

2024年01月07日 21時23分17秒 | 読書

 「エジプトの空の下~わたしが見た”ふたつの革命”」(飯山陽 著 晶文社 2021年)を読む。
 イスラム思想研究者である飯山陽(あかり)氏は、最近、YouTuberとしても活動が著しい。私が著者の存在を知ったのは「虎ノ門ニュース」に登場するようになってから。小柄で美人なのに、ずいぶんとはっきり発言する人だと思った。

 目下、飯山氏は日本の中東研究者ほぼ全員を敵に回して戦っているらしい。中東研究は狭い「業界」であるので、大親分ににらまれたら最後、めぼしいポスト(大学教授の座)を得ることは至難のようだ。飯山氏は「日本の中東研究者は、アラブ(パレスチナ)側に肩入れしすぎていて、その言説は国民がアラブ世界を理解する妨げにさえなっている」と主張するが故に、数々のいやがらせに遭ってきたという。

 YouTubeで見る飯山氏は、かなりエキセントリックに喋るので、初めて見た人は好悪が分かれるかもしれない。だがこの著書「エジプトの空の下~わたしが見た”ふたつの革命”」を読んだあとは、ずいぶんと印象が変わった。
 
「大学時代の指導教官のひとりは、私のスカートが短すぎるとか、その髪の色はやめて今すぐ黒く染め直すべきだなどとひどくお説教する人で、すごく嫌でした。この先生は、万国の抑圧された人民は連帯して世界革命を起こせ!帝国主義を打倒せよ!と主張していましたが、こういうイデオロギーを掲げる人に限って他者、特に私のような「年下」の「女」に対して、きわめて抑圧的であったり権威主義的であったりするのはひどく矛盾しています。当時の私は、パレスチナ人は抑圧から解放されなければならないと主張するこの先生によって私が抑圧されるのは不当である、と憤慨したものです。」(本書p.120)

 この指導教官とは誰だったのか? 時期も学部も異なるが、同窓生である私は、あの大学にそんな左翼教授がいたのかと驚いた。同時に、東大大学院を目指すような才女(飯山氏)が史学科にいたことにも驚いた。凡庸で空虚な大学だとばかり思っていたが‥。砂漠のような教育環境の中で、何故、イスラム研究を志したのか、もう少し詳しく知りたいところだ。



  飯山氏は大学時代、ヘブライ語を習ったとき(大学ではなく外部の講習会だと思われる)、親パレスチナ、反イスラエルの日本人中東イスラム研究者が、講師のイスラエル人に対して「お前は野蛮な帝国主義者」だと罵倒するのを見た。

 「私は日本の中東イスラム研究者のほぼ全員が親パレスチナ、反イスラエルだということを知ってはいましたが、イスラエル人を目の前にして、お前も、お前の祖国の存在も不正である、死ね、滅べと言い放つ人を見たのは、この時が初めてでした。自分を正義だと信じて疑わない人は、自分とは異なる考えを持つ他者に対してこれほどまでに不寛容かつ暴力的になれるのかということに、正直驚きを隠せませんでした。」(本書p.127-8)

  「日本の中東イスラム研究者のほとんどは、アラブ人でもイスラム教徒でもありません。しかし彼らはパレスチナのみに正義があると頑なに信じ、「占領国家」イスラエルとシオニストを口汚く罵倒する人に喝采を送ります。そしてその立ち位置こそが正しいと信じ込むあたり、自らの独善性、他罰性に対しては全く無頓着です。中東イスラム研究業界に自分の居場所はないな、と私が思い始めたのはおそらくこの頃からです。」(p.129) 

 「中東イスラム研究業界 」とは具体的には、大ボスである板垣雄三、その師弟で東大教授の池内恵によって支配されているらしい。目下、飯山氏はその池内恵東大教授とX(旧ツイッター)上でバトルを繰り広げている。私のFacebookに対しても「ブロック」をしてきた
池内という人には、ある種の異常性を感じる。何の面識もなく、無関係な私にまで何故こんなことをするのか、何が接点になっているのか、全くわからないからだ。 

 飯山氏が指摘するように、池内教授が所属する東大先端科学研究センターが中東研究を利権化しているのか。はたまた、池内は博士号を持たない(博士課程単位修了)のに、飯山氏は博士号を授与されているから、そのことに対する嫉妬なのか?
 
 本書に描かれるエジプト人は、人間味はあるが、前近代的な精神構造を持つ、言わば面倒くさい人々。決して、アラブの大義とかで美化されるような連中ではない。ポスト・モダンの日本社会から見れば、遅れた人々と言えるのかも知れない。そんな中東アラブの実相を伝えず、親パレスチナ、反イスラエルと叫ぶ中東専門家は、国の外交政策を誤らせかねない存在だと感じる。

 つまり、「イカリちゃん」のお怒りはごもっともということだろう。


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「タイワニーズ~故郷喪失者の物語」を読む

2022年03月13日 05時49分30秒 | 読書

 遅ればせながら、「タイワニーズ~故郷喪失者の物語」(野嶋 剛著  2018年 小学館)を読む。



本書の内容は次のとおり。

第一章 政治を動かす異邦人たち
蓮舫はどこからやってきたのか
日本、台湾、中国を手玉にとる「密使」の一族 リチャード・クー
第二章 台湾でうまれ、日本語で書く
「江湖」の作家・東山影良と王家三代漂流記
おかっぱの喧嘩上等娘、排除と同化に抗する 温又柔
第三章 芸の道に羽ばたく
究極の優等生への宿題 ジュディ・オング
客家の血をひく喜び 余貴美子
第四章 日本の食を変革する
「551蓬莱」創業者が日本に見た桃源郷 羅邦強
カップヌードルの謎を追って 安藤百福
第五章 帝国を背負い、戦後を生きる
三度の祖国喪失 陳舜臣
国民党のお尋ね者が「金儲けの神様」になるまで 邱永漢」
第六章 タイワニーズとは

 日本統治時代(1905-1945年)の台湾は、「大日本帝国」の外地として、台湾総督府に統治される「植民地」だった。だが、その統治は、欧米列強がアジア、アフリカ、ラテンアメリカで行ったような収奪型ではなく、当該社会の近代化に資するという側面も強かったと言われる。
 日本統治時代、台湾社会は大いに近代化された。そこには、膨大な投資が行われ、工場、学校、病院などの社会インフラが整えられた。そんな台湾にルーツを持ち、戦後の日本社会で名を成したタイワニーズ(台湾人)を本書は採り上げている。

 鋭い経済評論で知られるリチャード・クー。彼のルーツ、生い立ちを初めて知り、本書のタイワニーズの中で一番の国際人(コスモポリタン)である理由がわかった。
 「アヘン戦争」などの歴史小説で名高い陳舜臣は、神戸の「華僑」出身。台湾を出自とする日本人として生まれたはずの彼は、日本の敗戦後、「一つの中国」の選択を迫られ、一度は中華人民共和国籍を取得するが、第二次天安門事件(1989年)の暴虐を見て、当該国籍を離脱する。私は、本書で初めてその事実を知ったが、彼らしい誠実さだと思った。
 「金儲けの神様」だった邱永漢は、実は東京帝国大学卒の生粋のエリートだったが、戦後、台湾独立運動に関わって、国民政府と決別する。小説「香港」や「濁水渓」など、初期の小説からは、その時代の雰囲気が伝わってくる。

 個々のタイワニーズのエピソードを、これ以上並べても仕方ないので、「終章 タイワニーズとは」から、著者の言葉を採りあげよう。

「……台湾の人々は”日本は台湾を二度捨てた’という言い方をする。それは、ポツダム宣言の受諾による台湾の放棄と、1972年の中華民国との断交を指す。どちらも日本が自ら望んだことではない、という言い訳もできようが、台湾の人々の立場からすると、手を切られ、放り出されたという事実は否定できない。
 しかも、戦後の日本は、植民地統治などを含めた戦争責任について、およそ台湾に関して議論することをほとんどやめてしまったようだった。本質的にいえば、戦前の中国と台湾は切り離された存在であり、台湾人は日本人として戦争に参加した。だから、日本の台湾統治と日中戦争の問題は別々に分けて論じられるべきだった。しかし、台湾が当時中国にあった中華民国に接収されたことで、日本の台湾統治は中国全体に対する戦争責任のなかで薄められ、埋没してしまったのある。
 ……日本の台湾統治という歴史が、国民党と共産党の争いのエアポケットに落ちてしまった状況だった。そのなかで、共産党も、国民党も、”日本は台湾を搾取した””日本によって台湾人は皇民化された”というイデオロギー的歴史観で、50年間にわたって台湾の人々が日本人として生きてきた時間を、あまりにも薄っぺらく総括してしまった。」(本書 p.300-301)

  朝日新聞の中にも、著者のように、真っ当な歴史観を持つ人がいるのには、驚いた。著者は、大学時代に第二外国語で中国語を選択したという。かなり年上の私には、「あの大学でも中国語が選択外国語になったのか」と感慨を禁じ得ない。私などは、第三外国語(自由選択、初級、中級各二単位)の中国語をスペイン人教授(神父)から細々と習っただけだ。

 ウクライナの戦争は「次は台湾」という危機感を駆り立てるが、多くの日本人は依然として「お花畑」を散歩中。台湾・高雄市在住の友人にそのことを伝えると、少々がっかりしたようだった。日本人と台湾人の溝は、相変わらずだ。

 

 

 

 
 


 


新春に一句

2022年01月07日 11時27分11秒 | 読書


謹賀新年 2022

 新年も早や七日。元日には家族一同10人が集まり、元気な姿を確かめ合った。今年もこのまま続くことを祈るばかりだ。

 親族の一人が静岡出身ということもあり、「薩埵峠」(さつた峠)から見た富士山の景色がことのほか気になる。広重の浮世絵としても有名な景観だ。由比特産の桜海老もまた格別。

 そこで、「プレバト」を真似て、一句詠んでみた。

初富士に 正雪(しょうせつ)思ふ 紺屋かな

 江戸時代の軍学者・由比正雪の生家とされる紺屋(こうや)を訪れ、薩埵峠に登って富士山を眺めたときの印象。月並みではあるけどね…。

 


 

 


河野太郎って何か仕事した?【WiLL増刊号#638】

2021年09月20日 10時33分03秒 | 読書

  自民党総裁選なんて、以前は興味なかったけど、今回は違う。先日の日本記者クラブ主催の立会演説で、各新聞の記者が特定候補に肩入れしたり、あるいは別の候補の発言の場を封じたりするのを見て、マスメディアの正体見たり、と感じた。

 朝日、毎日、NHK、TBSが安倍晋三憎しのあまり、高市早苗を叩く。一方、「リベラル」派の河野太郎に肩入れする。それはミエミエなことなので、まあどうでもいい。問題なのは、「党内改革」を掲げて、「党風一新の会」を名乗り、河野太郎の支持を言い出した、世襲議員の顔ぶれ。福田康夫の息子は「世襲三代」、小泉進次郎、石破茂とか、親から地盤、看板を引き継いだ無能議員ばかり。コロナ禍を拡大させたのが、開業医(=世襲の私立医大卒の医師が大半)の既得権益確保だったように、世襲議員もまた、「下駄を履かされた人生」を既得権益としている。

 「Will」の白川司は、河野太郎、進次郎、福田の息子のような連中こそ、「戦後平和主義」にどっぷりとつかり、自己の権益保持に汲々とする「売国奴」なのだと示唆する。

 数ある自民党総裁論のなかでも、これは核心を衝いた指摘であると感じた。

 

【白川司×saya】河野太郎って何か仕事した?【WiLL増刊号#638】


「マオとミカド~日中関係史の中の”天皇”」

2021年07月19日 09時49分23秒 | 読書

 「マオとミカド~日中関係史の中の”天皇”」(城山英巳 著 白水社 2021年)を読む。

 マオ(Mao)とは、毛沢東(Mao Zedong)を指す。ミカドは、天皇を意味する。つまり本書は、中国共産党の指導者であった毛沢東の天皇認識を中心に日中関係史を論ずるものである。


 
 新刊書紹介サイトは、次のように紹介している。

工作と諜報に明け暮れた裏面史

 「天皇陛下によろしく」――。毛沢東や周恩来ら中国共産党の歴代指導部は1950年代以降、訪中した日本の要人に必ずこう語り掛けた。
 日中戦争の記憶も生々しいこの時期、激しい反日感情を圧してなぜこうしたメッセージを発したか? 1920年代から50年代にかけての米ソ日中の史料や証言を掘り下げて解明していくのが本書の基本視角だ。
 まず指摘できるのは「向ソ一辺倒」から「平和共存」へと、中国の外交方針が大きく転換したことだ。超大国として米国が台頭する中、米国務省日本派が練り上げた「天皇利用戦略」を換骨奪胎しつつ、西側諸国を切り崩す外交カードとして天皇工作を焦点化していったという。
 他方、毛沢東は戦争中、のちに「闇の男」「五重スパイ」などと語り継がれる日本共産党の野坂参三と延安で頻繁に接触していた。
 野坂は共産党関係者を一斉摘発した三・一五事件で逮捕されて以降、「君主制ノ撤廃ニ異論」を唱えており、野坂との交流が「皇帝」毛沢東をして「万世一系」の天皇が持つ不思議な求心力について喚起せしめたという。「志那通」からチャイナスクールまで、帝国陸軍から自民党・共産党まで、大陸で暗躍した人々の群像!

 毛沢東が天皇に関心があったことは、よく知られている。1960年代、日本からの「訪中団」と接見したときに、「日本のおかげで中国革命は成功した」という主旨の発言を毛は繰り返した。「大日本帝国」の敗北を見越した毛沢東は、「持久戦」論を説いて、共産党軍の勢力温存を図った。「大日本帝国」崩壊後、待っていたとばかりにソ連軍の支援を受けて、「国共内戦」に勝利し、「中国革命」を成就させた。毛沢東にとっては、日本は中国革命の恩人なのだ。

 本書の中で特に興味を覚えたのは、1972年、昭和天皇が佐藤栄作首相(当時)に対し、国連の中国代表権問題で「蒋介石を支持するように」と発言したことだ。これは近年、成蹊大学の井上准教授が発掘した史実なのだが、マスメディアからは完全に無視された。

「昭和天皇は戦前から戦後も一貫して中国に関心を寄せたが、特に象徴天皇となった戦後、日本国憲法の規定により国事行為には内閣の助言と承認が必要であると縛られ、政治的発言を公式に発することはなかなかできなかった。近年まで表に出なかった事実であるが、1971年に国連の中国代表権が大きな転換点を迎える中、天皇が佐藤栄作首相に対し、日本政府がしっかり蒋介石を支持するよう促したことは、「以徳報怨」政策で天皇制を守ってくれた蒋介石への感謝の表明であった。七二年に中国と国交正常化すると今度は、駐中国大使の信任状捧呈という外交舞台で中国指導者に「過去の不幸な戦争」への「遺憾」の思いを伝えている。いずれも水面下であるが、政治的にきわどい政治発言と言える。天皇の戦前の中国問題へ関心は戦後、「反省」の念に重点を変えながら連続性をみることができよう。」(本書P.18) 

 つまり、毛沢東は戦略的に日本・日本人を理解するカギとして天皇および天皇制に関心を持った。一方、昭和天皇は「戦争責任」を免れた代わりに、「象徴天皇」の地位に置かれたが、その意識は「大日本帝国」時代とさして変わらなかった。「無限無責任体制」(丸山正男)の元凶は、今も昔も変わっていない。宮内庁長官が「今上天皇は五輪開催を危惧しておられる」と”忖度”すると、マスメディアが一斉に煽る。基本的にこのワンパターンなのだ。

 私見では、このマオとミカドは、鮮やかな日中対比論となる。長期を見据えて、戦略、謀略を図り、その実行に当たっては犠牲を顧みない毛沢東。「責任」の観念が希薄で、常に「良きにはからえ」という意識の昭和天皇。これでは、勝負にならないな、と実感。

小泉進次郎「プラスチックの原料って石油なんです」

2021年03月20日 22時19分39秒 | 読書

 小泉進次郎が「プラスチックの原料って石油なんです」と得々として語っている。

小泉進次郎「プラスチックの原料って石油なんです」


 関東学院大を卒業しながら、一念発起(?)、米国名門コロンビア大学大学院に留学、政治学修士を取得したとされる進次郎サン。それにしても、「プラスチックの原料って石油なんです」とは、ポエムと言うよりも、基礎学力を疑われるお粗末な発言ではないか。もしかして、無知な庶民を”啓蒙”したつもりだったのかも知れないが、その高め目線が裏目に出た感じだ。


 ここにあなたの必読書がある。「プラスチックと歩む」(ナタリー・ゴンタール他著 原書房 2021年3月)だ。コンビニのプラスチック・スプーンを有料化したいのなら、まずこの本を読んでからにしたまえ。少しは頭を使ったら、とアドバイス。

 

 


新刊「プラスチックと歩む」(ナタリー・ゴンタール他著)

2021年03月14日 08時32分01秒 | 読書

 刊行されたばかりの「プラスチックと歩む」(ナタリー・ゴンタール、エレーヌ・サンジェ著 原書房 2021.3.6)をさっそく購入。原題は「Plastique, Le Grand Emballement」。直訳は「プラスチック、大いなる暴走」か。
 著者の二人は、ともにフランス人女性で、研究者とジャーナリスト。翻訳者も理科系の女性であるので、プラスチックが象徴する環境問題を論ずる本著にはピッタリだ。
 とはいえ、まだ届いたばかり。これから読み始めるつもり。楽しみだ。
  ついでに、小泉進次郎サン、プラスチック・スプーンの有料化を
はしゃぐ前に、この本を読みたまえ!

プラスチックと歩む

その誕生から持続可能な世界を目指すまで

 
著者 ナタリー・ゴンタール
エレーヌ・サンジエ
秋間 佐知子
臼井 美子 監訳
ジャンル 政治経済・社会問題
サイエンス・テクノロジー > 科学読み物
出版年月日 2021/03/06
ISBN 9784562058747
判型・ページ数 4-6・256ページ
定価 本体2,800円+税

「松岡洋右と日米開戦」「東亜全局の動揺」を読む

2020年11月28日 12時18分18秒 | 読書

 「東亜全局の動揺~我が国是と日支露の関係・満蒙の現状」(松岡洋右著 経営科学出版)及び「松岡洋右と日米開戦」(服部聡 著 吉川弘文館 2020年)を読む。


 

 「東亜全局の動揺」は松岡洋右の自著で、昭和6年に発刊されたが、戦後GHQによって「焚書」扱いにされた。最近になってネット扱いの書籍として復刻された。内容は、次のとおり。

第一章 序論 外交とは何ぞや 国際政局概観
第二章 対露外交 ソヴェット・ロシヤの一般対外関係 日露国      
    交回復の効果
第三章 対支外交 中華民国の現状 蒋介石、王正廷の放言
第四章 満蒙問題 展望 鉄道交渉 鮮農の圧迫 中村大尉事件
    田中内閣の足跡
第五章 世界不安の直視 満蒙に対する認識と政策の基 東亜の
    危局と国民の覚悟

 一方、服部聡「松岡洋右と日米開戦」は、松岡が外相に就任するまでの日本の政治外交について詳しく触れている。松岡の自著が言わば「自己主張」あるいは「自己弁護」の書であるのに対し、松岡の置かれた立場を客観的に叙述している。

 現代はグローバリズムの時代だが、その反動として外国人労働者に対する拒絶や保護貿易主義の台頭が見られる。「大衆の不満や閉塞感が高まり、無党派層が増大する一方でポピュリズム(大衆迎合主義)が発生し、強硬論や、思いつき、出任せまがいの無責任な政策を吐く政党や政治指導者が、世界各地で支持を集めるようになっている」と服部は記し、それに1920年代30年代との類似性を認める。「松岡が活躍した時代は、大衆の不満がポピュリズムと民族主義のイデオロギーによって集約され、国歌主義の下で、軍事力による対外進出という形で不満のはけ口が求められたのである。」

 日米開戦の原因をつくってしまった松岡洋右。ひとりのポピュリスト政治家が、一国を奈落の底に突き落としてしまう。
 現代の松岡洋右は誰なのかと考えたら、やはり橋下徹ではないかと思い至った。政治家に戻ってほしくはない人か。 

 

                   

 

 


【白川司】安倍首相の代わりはいない【WiLL増刊号#260】

2020年08月29日 13時35分32秒 | 読書

 昨日、安倍首相が辞任表明。TV各局は、記者会見の様子を切り貼りして、「潰瘍性大腸炎とは?」「首相後継は誰?」「街の声は?」などと大はしゃぎ。「朝日」「毎日」などは、どんな記事を書いたのだろうか。読むつもりは全くないけれど…。

 月刊「WiLL」と言えば、「Hanada」「正論」と並んで、保守系月刊誌のひとつ。その「WiLL」のネット版番組が「安倍首相の代わりはいない」という特集をUPした。
 私の印象では、この映像が最も安倍首相の真価を言い当てていると思う。安倍首相を越える後継者は見当たらない。特に外交・安全保障の面で喪失感が大きい。

 安倍首相の再登板を語る白川司(国際政治評論家 元WiLL編集長)の言葉に耳を傾けたい。

 

【白川司】安倍首相の代わりはいない【WiLL増刊号#260】


平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善(楊海英)

2020年08月26日 16時34分43秒 | 読書

 最新の「ニューズウィーク」(九月一日号)に「平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善」(楊海英・静岡大学教授)という記事が掲載されている。
 実は私、この記事をスマホで偶然見つけ、何となく読み始めて、少しばかり鳥肌が立つ思いがした。「誰が書いたんだろう」と思いながら読んだのだが、文末に楊海英氏の名前を見つけて、すべて納得した。

 夏になると繰り返される「戦争懺悔」「平和の誓い」だが、何故、かつてこの国が「戦争の道」を選び、人類史上稀に見る「大敗北」「大破局」を経験しなければならなかったのか、論理的に説明するものは極めて少ない。大半は、史実を見て見ぬふりのキレイごとばかりだ。
 この楊論文は、「大日本帝国」統治下の満蒙(満洲、蒙古)、朝鮮、台湾に着目し、「帝国」の崩壊後これらの地域が経験した歴史に対しては、日本が責任を持たねばならないと指摘する。
 何故、日本人がこの歴史を直視できないのかと言えば、戦後の「国体」は「菊から星条旗に変わった」(白井聡)という指摘が説得的だ。すなわち、ただ一人の「国体」(それは昭和天皇を指す)を守るために、他のすべては犠牲にされたという。この「真実」に焦点が当たらないように、すべてが「曖昧」にされたのだ。 
 
 私としては、この論文は今夏の最高の収穫だと思う。短いが、すべての問題点を整理し核心を衝いている。
 

 

平和を礼賛する日本が強者にだけ謝罪する偽善 

2020年08月26日(水)12時00分

満蒙は黙殺されてきた(1931年、満洲を占領した日本軍)DE AGOSTINI PICTURE LIBRARY/GETTY IMAGES

<日本の植民地支配のせいで中国の専制統治下に置かれている弱者にも目を向けよ>

8月になると、あらゆるメディアが示し合わせたかのように戦争の特集を組むのは、世界でも日本独自の現象だろう。

日本人は皆、先の大戦を回顧し、口をそろえて反省の言葉を発し、平和を礼賛する。この日本的な美徳は必ずしも世界から評価されているわけではないようだ。日本人同士で語り合い、日本国内での平和が強調されるだけで、国際性が低いと批判される。周辺国がいまだに時機を見て日本に歴史カードを切っていることが、その実態を雄弁に物語っている。なぜ、日本は歴史問題が解決できないままでいるのだろうか。

原因は多々あろうが、最大の問題は日本が他者の立場に立って物事を考えることと、他者の視点で世界史を見渡すことができないからだろう。第2次大戦中の日本の行動が「侵略」かどうか、日本の開拓した植民地が悪か否かの問題ではない。同様なことは欧米列強もしており、日本はむしろ列強の後塵を拝していた。周辺国は、戦時中の行為だけを批判しているのではない。むしろ戦時中よりも、戦後の姿勢を問うているのだ。

軍国主義体制下から自由主義陣営に脱皮した戦後日本の言論人はリベラルと保守に分けられているようだ。リベラルの知識人と政治家は一党独裁の中国当局に謝罪し続けてきたが、台湾と満蒙(満洲と内モンゴルの大半)には一貫して冷酷な態度を取ってきた。

彼らは、「台湾は中国の不可分の一部」「満蒙は古くから中国の領土」といった中国共産党の主張を代弁してきた。台湾の将来は台湾人が決める、との目標を掲げていた史明(シー・ミン)のような独立派は、そもそも日本で左翼思想を受け入れた人たちだった。本来なら日本のリベラル系闘士らと独立派は相性がよいはずなのに、彼らは一向に台湾人の悲哀に耳を傾けようとしなかった。

満蒙も同じだ。戦前と戦中においては、満洲国に渡ったことがあるリベラル系の人たち、例えば大宅壮一や石橋湛山らは声高にモンゴル独立を唱えていた。保守派は当然、大日本帝国の属国としての満洲国を擁護していたので、両者は対立していた。戦後になると、日本のリベラル派は中華人民共和国の中国人にだけ謝罪し、満洲人とモンゴル人の存在を黙殺してきた。まるで中国人が満洲人とモンゴル人の主であるかのように、主にだけ謝罪し、「下僕」は無視していてもいい、という顔をしているのではないか。

これは強者にだけ陳謝し、弱者を無視するという偽善に満ちた思考方法ではないか。保守派は、植民地運営の功績を強調したがる。インフラ整備など近代化の促進に宗主国日本が熱心だったのは事実だろう。

しかし、植民地化されたが故に「台湾は中国の一部」とされ、満洲人とモンゴル人がいまだに中国の桎梏(しっこく)から独立できないでいるのではないか。欧米の植民地は独立できたが、日本の植民地は独立どころか、かえってほかの帝国、それも諸民族の好敵手であった中国の支配下に置かれたままである。日本の植民地支配が新たな支配、中国による専制主義的統治を招いたとの性質も認識しなければならないだろう。ここに、日本と西洋列強との根本的な差異があるからである。

日本はどうすればいいのか。欧米諸国のように、イギリスが香港に関心を抱き続けるように、旧植民地に積極的に関与するしかなかろう。台湾の民主化と独立を支持し、モンゴルなどの少数民族が中国に抑圧され虐待されている状態から解放しなければならない。そうなれば、日本は周辺国だけでなく、世界中から尊敬される国家になるに違いない。

                                  楊海英(静岡大学教授)

 


『女帝 小池百合子』を読んでみた

2020年06月21日 19時56分33秒 | 読書
 売り切れと伝えられた話題の本 『女帝 小池百合子』(石井妙子著 文芸春秋 2020年)を入手。上念司がブログで「6月中に必読の書!」と言っている(下記映像参照)が、確かにそのとおり、都知事選が終わってから読んだら後悔するだろう。



 「何をしてでも有名になれという父、手に職を持ち、ひとりで生き抜いていかなくてはいけないと語った母。女の子なのにかわいそうにと憐れむように、蔑むように向けられた視線。
 彼女は宿命に抗った。そのためには《物語》が必要だったのだろう。
彼女は生涯において一度だけ、高い崖から飛び降りている。カイロ大学を卒業したと語った、その時である。
 《物語》がなければ、今の社会的地位を手にすることはできず、平凡な女の一生を歩んでいただろうか。だが、彼女に平凡な人生を歩めるような環境が、与えられていなかったこともまた、事実である。」(本書 p.426)


 著者は、このように小池百合子の人生を総括している。「女の子なのにかわいそうにと憐れむように、蔑むように向けられた視線」というのは、小池の顔にある痣(あざ)のことを指している。ホラ吹きで、滅茶苦茶な父親、娘の暗い将来を予感していた母親、その中では嘘と虚飾で固めた「百合子の物語」が必要だったのだろうか。

 「自分がどう見られるかを過度に意識した表情のつくり方、話し方、決めゼリフの用意。彼は自分の魅力の振りまき方を知っていた。ルックスと声質の良さ、ゴロ合わせのような言葉づかい、ダジャレで人の気持ちを掴む。彼もまた、《小池百合子》だった。(本書 p.374)

 この「彼」とは、小泉進次郎。進次郎もまた、「コロンビア大学大学院修士課程卒(政治学)」という学歴を看板にしているが、小池と同じように、その学歴が疑わしいとなれば、すべてのパフォーマンスが芝居じみてくる。
 
 小池や進次郎のような政治家がもてはやされるのは、要は、これが日本的民主主義の典型だからだろう。「一蓮托生」「同調圧力」のこの列島に相応しい二人なのだ。
 マスメディアは、決して本書を採りあげようとしない。都知事の学歴詐称を公にキャンペーンできるほど、腰の据わったマスメディアは皆無ということか。
 この本を読んだからには、小池に投票するのは止めようと思った。あれ、都民ではなかったが…。


【書評】『女帝 小池百合子(文芸春秋社)』内容に引き込まれた!6月中に必読の書! 上念司チャンネル ニュースの虎側

台湾の成熟した民主主義―現職市長を公正な手段で罷免

2020年06月07日 19時42分14秒 | 読書
 林建良氏が主宰するメールマガジン「台湾の声」 は、既存マスメディアが積極的に取り上げようとしない台湾をめぐる政治、社会経済を採り上げる。購読は無料なので、興味のある方はぜひ。

 最新のメールでは、「韓国瑜・高雄市長のリコールが成立」を特集。台湾独立運動の指導者・王育徳氏の長女・王明理女史が、台湾の成熟した民主主義を詳しく論じている。
 下記のとおり引用させていただく。


台湾の成熟した民主主義―現職市長を公正な手段で罷免
 
                      王 明理・台湾独立建国聯盟日本本部委員長
                         
 
 6月6日、高雄市で行われた罷免投票により、韓国瑜市長のリコールが成立した。
韓国瑜市長は2018年11月25日の首長選挙に国民党の候補者として出馬し、民進党の牙城と言われていた高雄市で当選。その勢いをかって、総統選挙の国民党候補となった。
 
市長当選の理由は庶民的な言動と「私と一緒に中国と仲良くして儲けましょう」というノリで掲げた調子の良い公約であったが、公約はほとんど何も実行されなかった。しかも、市長になったばかりなのに、職務を放棄して総統選挙に出る無責任さに高雄市民は深く失望した。市長当選前から中国の支援を受けていることも知られており、昨年の香港の民主化を求めるデモに対しても、民主派に冷たい態度を取ったことから、この人に政治を任せられないという気運が高まっていった。他にも、役所にまじめに登庁しない、重大な約束の時間に遅刻する、女性蔑視、不誠実さなどなど、市民が辟易する要因は多かった。結局、韓国瑜は今年1月の総統選挙で、蔡英文総統に大差をつけられて敗北し、市長の椅子に戻ってきたが、高雄市民は民主主義の手法にのっとってNOをつきつけたわけである。
 
民主主義国家では、在職者の罷免には高いハードルが課されているのが普通である。今回の場合も簡単な道のりではなかった。その成功は、台湾の民主主義の成熟度を表わすものであった。
 
高雄市の全有権者(229万9981人)の1%以上(約2万3千人)の「提議」署名提出、審査通過後、60日以内に10%(約23万人)以上の市民の「連署」を提出、6月6日の「罷免投票」で全有権者の4分の1(574,996人)の同意票を得、かつ不同意票を上回ることが必要であった。
提案したのは、若い高雄人4名で、昨年6月に罷免請求運動を始めた。「提議」が可能になる市長就任から1年経った2019年12月26日に、台北の中央選挙委員会に約3万人分の署名を提出し、「連署」には30万人以上の署名を集めた。
そして、迎えた6月6日、必要数を大きく上回る93万9090票の同意票が投じられ、韓国瑜市長のリコールが成立した。ちなみに、不同意票はわずかに2万5051票であった。
 
敗戦の弁で韓国瑜市長も国民党幹部も、「民進党政権が画策した結果だ」と民進党を批判したが、これは大きな間違いである。NOをつきつけたのは高雄市民であり、地道な草の根運動の積み重ねであったことを、もし、国民党が見えていないのであれば、まさに国民党は終わりである。市民の気持ちと乖離し、政治センスを失っていることを自ら公言したも同然である。
 
今回の投票の為に、台北や台中に出ている若者達はわざわざ切符を買って、故郷高雄に戻ってきた。私の知人は5月末に予約していた航空券をキャンセルしてまで地元に残って投票した。まさに高い民意がもたらした結果なのである。
一つ注目してほしいのは、罷免投票成功は選挙における投票率の高さと双子の関係にあるという点である。今年の総統選挙、立法委員選挙においても、その投票率の高さが世界中から注目された。台湾国民は、自分たちの運命を任せる政治家を選ぶことに真剣に取り組んでいる。だから、選んだ政治家が何をするのかに関心を持ち、見守っている。
 
これは、台湾が戦後50年近くも国民党の一党独裁政治体制を経験したことに深く関係している。李登輝総統時代にやっと触れることができるようになった民主的選挙の大切さを身に染みて理解しているのだ。今の香港の活動家と同じように、長い間、台湾の民主化を願い闘って来た台湾人が大勢いる。もし、今の自由を手放して、独裁国家の軍門に下ることになったら、再び苦悶の歴史を歩まなければならない。絶対にそれを阻止する、自由と民主主義を守るのだという気概が、台湾人の共通コンセンサスになっているのである。
今回の罷免成立は台湾人の高い意識の表れであり、民主主義を成熟させてきた証拠だと言える。
 
 
 
 
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「日本の戦争 天皇と戦争責任」(山田 郎 著)

2019年10月22日 10時59分27秒 | 読書

 「日本の戦争 天皇と戦争責任」(山田郎 著 新日本出版社 2019年)を読む。

 「即位の礼」の当日、こんな本の感想を書くことには、別に他意はない。その証拠に、今朝は「虎の門ニュース」を見ていたし…。

  

  先日終了した「愛知トリエンナーレ」における「表現の不自由展」で、昭和天皇の写真が燃やされ、問題になったことは記憶に新しい。このとき、保守派あるいはTouTube系の論者は、天皇の「御真影」が燃やされたと騒いだ。「御真影」は限定的な概念であり、そもそも戦前においても、天皇の写真(印刷物)の処遇は各自の判断に委ねられていた。中国の文化大革命期、毛沢東の写真が載っている新聞紙を包み紙に使っただけで、死刑になったというような国ではないのだ。

 さて、本書だが、左翼史観の立場から昭和天皇の戦争責任を問いかける。目次は次のとおり。

第一部 大元帥としての昭和天皇
 第一章 近代天皇制における天皇
 第二章 昭和天皇の満洲・朝鮮観と膨張主義思想
第二部 昭和天皇の戦争指導
 第三章 昭和天皇と軍事情報:大本営による戦況把握と戦況奏上
 第四章 昭和天皇の戦争指導・作戦指導
第三部
 第五章 徹底検証「昭和天皇独白録」
 第六章 徹底検証「昭和天皇実録」
 第七章 天皇の戦争責任を考えることの意味

 この中で特に興味深いのは、第三部。昭和天皇の「独白録」「実録」を通して、「昭和天皇=平和主義者」のイメージが拡大再生産されてきたと指摘する。映画「日本のいちばん長い日」は、天皇の「ご聖断」の録音盤をめぐる宮廷内騒乱を描き、反乱将校vs.平和主義者・昭和天皇というチープな図式を印象付けた。

 「『実録』における歴史叙述は、従来からの『昭和天皇=平和主義者』のイメージを再編・強化するためのものであり、そのストーリー性を強く打ち出したものである。……ここであえて記述されなかった部分を補ってみると、むしろ非常にはっきりと何を残したくなかったかが浮き彫りになってくる。『実録』は、私たちが掘り起こし、継承し、歴史化していかなければならない《記憶》を逆説的に教えてくれるテキストであると言えよう。」(p.230)

 本書の売れ行きは、おそらく芳しくないだろう。一方、「日本国紀の天皇論」(百田尚樹+有本香 著 産経出版社 2019年)はベストセラーだ。後者の意義を否定するものではないが、本書はやはり「歴史の風化」に対するブレーキ役にはなるに違いない。


  

【DHC】2019/10/22(火) 百田尚樹×有本香×居島一平【虎ノ門ニュース】