澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

マントヴァーニ:幻想のムード・ミュージック

2008年03月30日 08時56分42秒 | Weblog
「マントヴァーニ~幻想のムード・ミュージック」というCDがリリースされた。
2枚組で44曲入り、2500円という”お買い得盤”だ。

「孤独なバレリーナ」「グリーンスリーブス」など好きな曲をピックアップして聴いてみた。
やっぱりいいなあ、心が安まるという感じがする。

「歯医者の待合室のようだ」という人もいるけれど…。

お花見

2008年03月28日 20時15分40秒 | Weblog
満開の桜を見に行った。
平日なので、年寄りばかりが目立つ。こんなに老人がいたのかと思うほどだ。

来週にはもう葉桜になってしまうと思うと、何だか観ておかなければと思う。今年ももう3ヶ月が過ぎてしまったなあ…。

クラシック音楽の危機

2008年03月27日 01時33分01秒 | 音楽・映画
クラシック音楽の危機が叫ばれて久しい。
あと30年くらいで、クラシック音楽を聴く人などいなくなるという極論さえある。だが、これは案外本当かも知れないと思っている。先日、音楽大学の卒業式に行ったが、男子学生は2割くらいしかいなかった。これからの子育ては、子供にピアノを習わせるよりも、スポーツ・クラブに通わせる親の方が主流だそうだ。

クラシック音楽の衰退は「教養主義」の崩壊ということか。日本の近代は、西洋の文物をいち早く取り入れることで、「流派」を形成してきた。クラシック音楽はその典型的なもので、「本家」(ドイツやフランス・イタリア)に学んだ「専門家」(大学の先生)が学生である弟子に「流儀」を伝授することで成り立っている。こんな旧態依然とした世界は、他には見られないのではないかと思う。

クラシック音楽ファンと自称する人たちも、奇妙なタイプがある。「名盤」「定盤」論議や、「指揮者論」にうつつをぬかす人たちだ。ナマで演奏を聴く機会が少ない彼らは、オーディオという仮想世界の中で「空論」を述べているだけなのだ。

今年はカラヤン生誕100年ということで、レコード各社はCD集やDVD集のリリースに力を入れている。だが、あんな気持ちの悪い演奏を今さら見たいという人は、それほど多くないはずだ。カラヤンの映像には「自己顕示」と「自己陶酔」しか写っていないのだから。


地球環境問題のまやかし

2008年03月24日 11時20分13秒 | 社会
テレビ朝日の「地球環境危機2008」(再放送)を見た。

エコロジカル・フットプリントなどという図面を持ち出して、日本がいかに地球環境に「負荷」を与えているか、延々と説明が続く。パプア・ニューギニアの「地球で最初に沈む島」の島民には「あなたたち先進国の責任だ」と語らせて、垂れ流しの映像を伝える。

これはいったい何なのか? 「元左翼」が雪崩をうって「環境問題」を説き始めたということなのか?

政府や先進国を批判し、途上国の貧困に同情すれば、マスメディアの責任が果たせたとでもいうのだろうか? いつでも「ご高説」しか説かない、朝日新聞を筆頭とする偏向メディアのイヤらしさを見せつけれた思いがした。

私には「地球環境問題」を持ち出して、新たな「自虐史観」を子ども達に植え付けようとしているとしか思えないのだ。「国家」「国民」をすっとばして、いきなり「地球市民」とかを説くやり口は、何も知らない子どもを騙すに等しいことだ。
人類が皆平和で平等などということは、金輪際ありえない。「国益」「国防」を忌避する国民は、そのことによって滅びるに違いない。

カラ・ミア

2008年03月23日 05時03分19秒 | 音楽・映画
「カラ・ミア」(Cara Mia)の楽譜をいただいた。

1954年トラパーニという人が作曲し、英国の歌手・デビット・ホイットフォールド(David Whitfield)が歌って、ヒットチャートの1位に輝いた曲だ。その後、1962年にはテノール歌手、マリオ・デル・モナコが歌い、さらにジェイとアメリカンズ(Jay & The Americans)が歌って、ビルボード・チャートの4位まで上っている。

実は、この曲の作曲者は、「ムード音楽」「イージーリスニング音楽」で有名なマントヴァーニ(Annunzio Paolo Mantovani)なのだ。皮肉なことに、マリオ・デル・モナコのアルバムでは、この曲の作曲者は不詳となっている。

マントヴァーニらしいロマンチックな曲で、彼自身も自らピアノを弾き、自分のオーケストラで演奏している。
私もなんとかピアノで弾きたいと思っている。 

台湾総統選挙に思う

2008年03月22日 15時11分53秒 | 政治
今日は台湾総統選挙の投票日。国民党の馬候補、民進党の謝候補のどちらが勝利するか、注目だ。

チベット情勢が緊迫化につれて、民進党の謝長廷候補の追い上げが急になってきたと伝えられている。「今日のチベットは明日の台湾」というわけだ。
「朝日新聞」ばかり読んでいる人には分からないことだが、チベット情勢や今回の総統選挙については、「産経新聞」が詳しく報道している。中国共産党の独裁体制は、誰がどう考えても理不尽なはずなのに、「朝日新聞」読者はそうは考えないようだ。朝日の「日中友好」という刷り込みが功を奏して、台湾やチベットの現実を見る目が曇ってしまったようだ。

中国との現実的な利害を追究する馬英九か、台湾独立を志向する謝長廷か、台湾国民の選択が注目だ。
個人的には、もちろん、謝長廷氏が勝利して欲しい。

卒業式に出席

2008年03月20日 12時03分25秒 | Weblog
昨日(3/19)娘の卒業式に出席した。
音楽大学なので、オーケストラの生演奏を期待していたが、ちょっと残念なことに、ウィンド・オーケストラによる演奏だった。R.シュトラウス「ヨハネ修道会騎士の荘重な入場」で始まり、授与式等を経て、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロア」より「間奏曲」と「妖精の園」で締めくくられた。

学長の退屈な挨拶に続く、同窓会長の挨拶は、示唆に富む内容だった。東京では年間5000ものクラシック・コンサートが、プロ演奏家によって行われている。だが、近年の傾向として、音楽を習わせたいという親は減少していて、むしろスポーツなどに教育投資する傾向が顕著だという。教養としてのクラシック音楽志向は、確実に減少しているのだ。

あと30年もすると、クラシック音楽など聴く人はいなくなるという話を聞いたことがある。3学科で556人の卒業生は、これからどういう人生を歩むのだろうかと思った。


「ドル預金」の好機到来か

2008年03月19日 00時30分40秒 | Weblog
円高ドル安そして株安となると、海外旅行をするか、外貨預金に限ると考えた。
自由になるカネはさほどないのだが、ドル預金をすることに決めた。ところが、銀行によって手数料が異なっていたり、預金条件も色々あったりして、思いのほか面倒なようだ。
でも、素人の直感ではあるが、この12年ぶりの円高を活かすのは、外貨預金しかないと思うのだ…。これを逃すと、さらに12年後は何歳になるのか、考えるだけでうんざりする。

チベット情勢は台湾総統選挙に影響を与えるか?

2008年03月18日 13時05分31秒 | Weblog
3月10日のチベット蜂起記念日をきっかけに、ラサで発生した「暴動」は、四川省などにも飛び火している様子だ。「青海チベット鉄道」の開通により、チベットの経済的実権は、いっそう漢族によって占められるようになった。現在の中国は、まるで米国の「西部開拓史」のような様相を示しているのだ。言うまでもなく漢族は「白人」、地元のチベット人は「インディアン」という配役だ。

こんな状況下でもチベット人は、非暴力で面従腹背を貫いてきたが、全人代と北京五輪が開かれる今年、ついに忍耐の限度に達したようだ。

このチベット情勢が、今週投票される台湾総統選挙にどのような影響を与えるか?
現時点では、国民党の馬英九が民進党の謝長廷候補をリードしているそうだ。だが、「今日のチベットは明日の我が身だ」という民進党の主張は、案外無党派層に支持されるかも知れないのだ。
昨日、NHKの「クローズアップ現代」でも紹介されていたが、中国と台湾の両岸関係は、経済的に見ればもはや引き返せないほど密接化している。だが、すべてのいきさつや関係を一夜で反故にして、暴力の牙をむき出す。それが中国共産党の本質なのだ。中国政府による今回のチベット「暴動」の説明、さらに「ギョウザ騒動」での強弁は、中国共産党の本質を露わにしたものである。

日本ではイージス艦事故が、漁船とイージス艦のどちらに非があったのかという話が未だ続いている。マスコミは、事故に遭った家族に「自衛隊批判」の言質を取りたくて仕方ないようだ。なんという平和ボケなのだ…。

台湾人は、2・28事件の悲惨な記憶から、中国国民党の独裁的、暴力的な体質を熟知している。時代が変わったからといって、決して忘れることはないだろう。今回のラサ「暴動」は残念な出来事だが、それが結果的には民進党の勝利に繋がり、台湾の安定に資することを期待したい。

CDで分かった中国産業の実力

2008年03月16日 14時33分25秒 | Weblog
中国旅行のお土産にCDをいただいた。
「Mantovani Single Collection」というCDだが、聴いてみて驚いた。英国デッカ盤のCDと寸分違わないどころか、どちらかというと中国製の方がいい音なのだ。
もうひとつのCDは、DSDリマスタリングが施されていて、こちらの方は同じ内容の日本盤CDを遙かに上回る音質だ。

1970年代までの中国では、こんな「洋楽」を聴いていたら、自己批判を迫られて、強制収容所送りになっていたはずだ。それが一気に、英国と日本盤CDを凌駕する内容になってきたのだ。
「ギョウザ問題」「チベット暴動」など違和感を覚えるばかりの中国だが、このエピソードひとつでも、中国を侮れないことがよく分かると思う。

チベット暴動

2008年03月16日 00時15分56秒 | 中国

チベット暴動は、予想以上に大規模で深刻のようだ。

中国チベット自治区ラサの旅行社女性職員は15日午前、毎日新聞の電話取材に「街にほとんど人がいない」と語った。中国当局は戒厳令を敷いていないとしているが、市内要所に治安部隊が展開しており、ラサは事実上の戒厳令状態にあるとみられる。

 職員は「少し前から暴動のうわさが流れていた。14日午後は学校や病院が何カ所も放火されたが、短時間で消火された。当局の対応は速く、夜にはテレビやラジオで鎮圧のニュースが流れた」と話した。一方で、暴動はラサ郊外にも拡大している模様で、外国人旅行者の受け入れは停止されている。

 新華社通信によると、ラサ中心部では14日午後1時10分ごろ、僧侶ら抗議活動の参加者と地元警察の衝突が激化した。午後2時ごろから、僧侶が主要道路の2路線に面した商店に放火。寺院周辺の少なくとも5カ所で火災が発生し、多くの商店や銀行、ホテルが焼け落ちた。火災で停電や通信が遮断された。

 米政府系「ラジオ自由アジア」が目撃者の話として伝えたところでは、観光地として知られ、旧市街地区にあるチベット仏教寺院ラモチェ寺の中で2人、庭で2人が死亡しているのが見つかった。別の場所でも2遺体が発見された。また、26人のチベット人が黒い車両で連行された後に銃撃されたという。

 ラモチェ寺の約110人の僧が、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の写真を掲げ「チベット独立」を叫んで行進し、制止しようとした地元警察と衝突した。暴徒化した一部のチベット人は漢族系商店を襲撃。商品を略奪し、路上で燃やすなどの行為に出ているという。

 目撃者は「中国人が経営する店は次々に放火される。チベット人の店は、中国(漢族)系と見分けるために目印としてスカーフを店先に付けるよう言われている」と述べ、混乱ぶりを伝えた。


西蔵鉄道が開通して、ますます漢族が流入するにつれて、チベットの中国化が顕著になっていた。そんななかで、チベット人の反感がつのり、このような暴動を引き起こしたのではないか。中国の公安警察は、密告、洗脳、私刑(法に基づかない処刑)などお手のもの。平和ボケした日本のマスコミや”進歩的”な「市民」の方々がとやかく論評できるようなヤワな相手ではない。
チベット独立運動が激化すれば、中国当局は手痛い打撃をうけることになる。台湾問題や新彊ウィグル自治区の分離運動にも波及しかねないのだ。
中国共産党独裁政権が現状をどう分析し、対処するのか、注目の時だ。

 


チベットに目を!

2008年03月14日 23時59分05秒 | 中国

チベット暴動のニュースが伝えられている。


 【北京・大谷麻由美】中国のチベット自治区ラサ市中心部で14日、チベット仏教の僧侶や市民による大規模デモが警官隊と衝突。僧侶が警察車両に火を付け店舗複数にも放火した。複数の負傷者が病院に運ばれたという。中国国営新華社などが報じた。ロイター通信によると、米大使館は「銃声が聞こえた」との情報を得た。北京五輪を控えチベット独立問題への欧米の関心が高まっており、今後、抗議活動が活発化する可能性もある。
 ロイター通信によると300~400人がデモに参加。目撃者の証言では暴徒化したデモ隊は車やバイク、バスに放火した。僧侶10人以上が逮捕され、装甲車が警戒している。
 英BBCによると10、11日にも300~600人の僧侶らがデモを行った。市中心部にあるバルコル(八廓)街数カ所で火災が発生。僧侶など約70人が拘束された。警察は大昭寺など寺院3カ所を封鎖した。10日はダライ・ラマ14世が亡命するきっかけとなった59年の中国軍によるチベット武力鎮圧から49年の記念日だった。

鉄道が開通し、もはや秘境ではなくなったチベットだが、歴史的文化的には、中国に属するとは言い難い。独立運動が続いているのも当然のことだ。中国政府は、多くの漢人をチベットに送り込み、チベット文化の抹殺を図っている。
ギョウザ問題で図らずも露呈したが、中国人(漢人)のあの態度は何なのか?共産党の官僚主義だけではない、古来からの「中華思想」の臭いを感じるのは、私だけだろうか?

中華帝国の册封制度のもとで朝貢していた国が、すべて中国の領土だと言うのならば、沖縄まで中国の一部という論理になる。その意味では、チベットと沖縄は同列なのだ。
中国共産党の血塗られた歴史に、さらに新しい1頁が加わった。

 

 


新銀行東京の破綻をもたらしたもの

2008年03月12日 11時35分47秒 | Weblog

「新銀行東京」「首都大学東京」、似たようなネーミングではないか。これは、石原都政の目玉である二大事業だ。「東京新銀行」「東京首都大学」という名前にしなかったのは、「環状線」を「大江戸線」に変えさせた前歴を持つ、石原都知事の強力な意向によるものである。
 

都庁の幹部職員の中では、石原知事に絶対服従しない者は出世できないと言われている。石原にとっては、都職員など奴隷のようなもので、舎弟である浜渦(前副知事)を使って、恫喝すればいいと考えているのだ。
 

今回の「新銀行東京」破綻でよく分かるが、石原は絶対に自分の過ちを認めない。何か都合が悪いことが起これば、それはすべて他者の責任なのだ。まるで「殿様」と言いたいところだが、あまりに「品格」に欠けるので、やくざの親分だと言っておこう。


石原のこうした態度は、部下にまで蔓延している。現在の「新銀行東京」のトップは、前都港湾局長で「新銀行東京」の立ち上げにも関わっていた人物だ。その当人が記者会見で「私は正しいことをしたと思っている。責任はない」と平気で話していた。こういう人格障害のような人でなければ、石原の側近にはなれないことを図らずも証明していた。石原が重用している大塚某という副知事(?)も全く同じタイプの人物だ。
 

石原の「独裁政治」の体質は、都庁隅々まで行き渡り、弱い者いじめというべき状況が顕著である。本庁所管課の事業所たたきは特に顕著だ。本庁は事業所のあら探しをすることによって、自分のポイントを上げるというテクニックを熟知しているので、睨まれた事業所は悲惨だ。上から下まで、ミニ石原が跋扈するという状況なのだ。
 

今回の「新銀行東京」問題で、石原の化けの皮が派がされ、辞任にまで至れば、流れは大きく変わるのだが。それにしても、機械の部品のようなお役人さんの中で、気概のある人は本当に少なくなったものだ…。

 


川口市立川口高校長のKY

2008年03月10日 12時00分27秒 | Weblog
川口高校長の市川某という人が、教え子を脅迫したとして逮捕された。
KYという言葉があるが、この人など「空気を読めない」最たる人だろう。

知人から聞いた話だが、身近にはこんな校長もいるという。

【PTA会員と不倫した校長】
PTAの母親と親密な関係になったことを、職員会議で教職員から暴露、追求され、出勤できなくなった。本人は休暇扱いの後、普通退職を余儀なくされた。その学校は組合が支配するという札付きの学校だっただけに、当該校長は「罠にはめられた」のではないかという見方もある。本人は、W大学に学び、G大学の大学院で東洋史を学んだのが自慢で、皮肉にも「儒教」の教えに「精通」していたそうだ。

【スパイもどき校長】
問題はすべて他者の責任とするため、絶えずどんなことでも教育委員会にご注進する。職場内では、側近政治を行い、気に入らない職員を追い出す。この男は、定年退職まで全うしたそうだ。N大学文理学部体育学科出身で、頭は全く空っぽ。上にはおべっか、下には威張りちらすことで、世渡りをしてきた輩である。

ともかく、学校は一般世間とは隔絶した社会だけに、常識は通じないのだ。今回の市川という人も、自分が「殿様」であるかのように錯覚していたのではないか。「KY」と言う言葉は、こういうアホな教育者にこそぴったりの言葉だ。

「教育改革」が叫ばれる昨今、学校も世間並みになるという期待もあるが、実際にはそうはならないだろう。優秀な学生が教員を希望することはさらに少なくなり、学校は見かけのパフォーマンスばかりを気にする、程度の低い教師が集まることになるだろう。