GITANESを補充する苦しみからは解放されているものの・・・。
それとは無関係に・・・。
三・七日。
今日もお坊さんを自宅に迎える。
ウチの先々代と、お坊さんの先々代は知己であったらしく
それが縁でウチは改宗している。
浄土宗だったのが真言宗に改宗したらしい。
ただ、もともと浄土宗だった名残が仏壇に残っており
祭ってある仏像が真言式ではなく浄土流になっている。
で、完全に浄土宗の様式になっているかと言えば、そうとも
言い切れず、まあ、早い話が、仏壇の中の仏像が明らかに多い・
面子オーバーになっているのだそうだ。
ただ、そういう祭り方はウチの先々代が、正式ではないことを
承知の上でそうしていたもので、それはお坊さんの先々代も
了解していたとのこと。
たまに、ウチの仏壇を覗いた人が
「こりゃおかしい。真言宗なのに浄土宗の様式だ。
この家はなんて無知なんだろう」てな風に指摘するのだが
「やりたいようにやるのだ。文句言うな。」というのが
ウチのスタンスだったようだ。
で、今日もお坊さんは
「確かに間違いといえば間違いかもしれませんが、ずっと長い間
この形で拝んで来られたのだから、これでいい気がしますよ。」
と仰った。この発言で、ウチの仏壇はあと数代に渡り
イレギュラーを貫き通すことに決定してしまった。
「それにしても、仏壇の中が賑やかです。あんまり他所のお宅では
見かけません。」と付け加えられたが。
読経の後、
死後の世界のことや生まれ変わり、天界での修行のこと、
真言宗の総本山のこと、他宗との共通点や違い、
仏壇の中で位牌がいっぱいになったときの整理の方法などなど
いろいろ質問した。その時間の方が読経より長くなった。
だいたい私は「なぜなぜ?どうしてどうして?」と
興味をもったことについては子供のように質問し続ける癖が
あり、止まらなくなる。
一同の視線でそれを制され、やむなく質疑応答終了。
来週はどんな質問をしてみようかと、いまから楽しみなのである。
あ、
「葬式のときどうして泣いていたのか?」を
尋ねるのを忘れた。
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