都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「ウクライナ人に謝りたい」 ロシア各地で反戦デモ 1700人超拘束 2/25(金) 8:43配信
ロシアによるウクライナ侵攻への抗議活動が24日、首都モスクワなどロシア各地で行われた。露人権監視団体によると、24日夜(日本時間25日未明)時点で、モスクワで少なくとも956人が治安当局に拘束されたほか、全国44都市で1745人以上の拘束が確認された。
抗議活動に参加した20代の女性会社員は「ウクライナ人の前に立つのが恥ずかしい。謝りたい」と話し、「経済制裁、国際的孤立…。ロシアはこれで終わりだと思う」と話した。
30代の男性会社員は「なぜクレムリン(露大統領府)の誰もプーチン(大統領)を止めないのか。ウクライナとの戦争はロシアの民意ではない」と憤った。
露SNS(会員制交流サイト)上でも議論が起きた。「やった! 早く(ウクライナ政府の)迫害から人々を救い出すべきだ」など侵攻を称賛する声は少数で、「プーチンは戦争犯罪者として処罰されるべきだ」「独裁者はいつも『生存圏』や『自国民保護』という美名の下で戦争を始める。どんな言葉も戦争を正当化できない」「国家的恥辱だ!」など否定的なコメントが多数見られた。(モスクワ 小野田雄一) |
若き日のプーチン氏がドイツで感じた「トラウマ」とは? 古都で過ごした冷戦末期の日々 2022年2月13日
■ドイツの地ビールが好きだったプーチン氏 旧東ドイツ・ドレスデン。エルベ川の真珠と呼ばれ、かつては森鷗外も学び、ザクセン王国の中心地として栄えた古都だ。この町に30代の頃のプーチン氏が通った「アム・トーア」というバーがある。プーチン氏は1985~90年、旧ソ連の情報機関・国家保安委員会(KGB)の情報員としてドレスデンの事務所に駐在していた。
当時のプーチン氏を知るドレスデン在住の男性が14年、匿名を条件に話をしてくれた。
「ウオッカやワインではなく、彼はビールが一番好きでした。ドイツ語も上手でした」
プーチン氏のお気に入りは「ラーデベルガー・ピルスナー」という地ビール。私も15年にこの店で飲んでみたが、独特の苦みがくせになる味だった。ドイツのメディアによると、その後、この店は経営者が代わり、現在はプーチン氏に言及されるのを嫌がっているという。
■肌で感じたベルリンの壁崩壊の怖さ プーチン氏がドレスデンにいた89年11月、ベルリンの壁が崩壊した。当時37歳だった若き情報員は、ドイツの市民が一夜にして世界を変えた勢いを目の当たりにした。
「東側諸国が崩壊する時にちょうど東ドイツにいた彼は、市民社会の活力に恐れを抱きました。彼にとっては『安定』というパラダイムが重要だったのです。彼だけでなく(ソ連が崩壊した)90年代に生きた多くのロシア人にとっても、それは非常に大事でした」
独露関係やウクライナに詳しいシンクタンク「欧州外交関係評議会」のシュテファン・マイスター研究員は14年、取材にそう話していた。
西側諸国が自分たちの領土に迫って来る。その怖さをプーチン氏は肌で感じた。「ウクライナ死守」は実は恐怖心の裏返しで、原点は若き日のドイツ体験にある。それがマイスター氏の分析だ。
ウクライナはロシアと西欧の間に位置し、米欧の軍事機構である北大西洋条約機構(NATO)加盟を目指している。だがプーチン氏はこれまで、NATOが東方、つまりロシアの方向に拡大しないことを再三求めている。これこそ恐怖心の裏返しなのかもしれない。 |
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊したときに、ウラジーミル・プーチン(当時37歳)は東ドイツのドレスデンに諜報員として駐在していたそうです。
ドイツの市民が一夜にして世界を変えた勢いを目の当たりにしたのです。
その時、殺されると思って、逃げ回った過去があると、昨日のテレビで解説していました。
その体験がトラウマになって、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に加盟したら西側諸国が自分たちの領土に迫って来ると感じているのではないかというのです。
上記のNATO地図でわかるように、どんどんロシアに迫っているのです。
ウクライナがNATOに加盟したら国境が隣接しモスクワは目の前です。
プーチン1952年10月7日(69歳)は32年前の悪夢が蘇ったのかもしれません。
恐怖体験は理屈では拭えません。
そのため、時代遅れの戦争を仕掛けたとすれば、ロシア人もウクライナ人も被害者かもしれません。
ロシアのルーツはウクライナで、ウクライナにはロシア人の親せきや友人が沢山いるそうです。どちらの国民も戦争を望んではいません。