■いきなりですが問題です。
日本史に登場する以下の各時代の有力者の名前を音読して下さい。
①【飛鳥時代】 蘇我入鹿
②【平安時代】 藤原道長
③【鎌倉時代】 源頼朝
④【室町時代】 足利尊氏
⑤【江戸時代】 徳川家康
■では、さっそく答え合わせ↓
①そがのいるか(蘇我入鹿)
そが‐の‐いるか【蘇我入鹿】 [?~645]飛鳥時代の豪族。蝦夷(えみし)の子。皇極天皇に仕えて権勢を振るい、山背大兄王(やましろのおおえのおう)の一家を滅ぼして全盛を誇ったが、大化の改新で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに暗殺された。 デジタル大辞泉の解説 |
②ふじわらのみちなが(藤原道長)
ふじわら‐の‐みちなが〔ふぢはら‐〕【藤原道長】 [966~1028]平安中期の公卿。兼家の五男。娘を次々と后に立て、外戚となって内覧・摂政・太政大臣を歴任、権勢を振るい、栄華をきわめた。晩年に出家し、法成寺を造営。関白になった事実はないが御堂関白(みどうかんぱく)と称された。日記「御堂関白記」がある。 デジタル大辞泉の解説 |
③みなもとのよりとも(源頼朝)
みなもと‐の‐よりとも【源頼朝】 [1147~1199]鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱後、伊豆に流されたが、以仁王(もちひとおう)の平氏討伐の令旨を受けて挙兵。鎌倉を本拠に関東に勢力を伸ばし、弟範頼・義経を西上させて義仲を討ち、次いで一ノ谷・壇ノ浦などの戦いで平氏を全滅させた。のち、義経追討を名目に守護・地頭設置の許可を得て武家政権の基礎を確立。建久3年(1192)征夷大将軍に任ぜられた。 デジタル大辞泉の解説 |
④あしかがたかうじ(足利尊氏)
あしかが‐たかうじ〔‐たかうぢ〕【足利尊氏】 [1305~1358]室町幕府初代将軍。在職1338~1358。初め高氏と称し、後醍醐天皇の諱(いみな)尊治の一字を賜って改名。元弘の変で六波羅(ろくはら)を攻め落としたが、のち天皇に背き、持明院統(じみょういんとう)の光明天皇を立てて北朝を興した。延元3=暦応元年(1338)に征夷大将軍となり、室町幕府を創始。 デジタル大辞泉の解説 |
⑤とくがわいえやす(徳川家康)
とくがわ‐いえやす〔トクがはいへやす〕【徳川家康】 [1543~1616]江戸幕府初代将軍。在職1603~1605。松平広忠の長男。織田信長と結んで駿河を、豊臣秀吉と和して関東を支配。豊臣氏五大老の筆頭となり、秀吉の死後石田三成を関ヶ原の戦いに破り、慶長8年(1603)征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。秀忠に将軍職を譲ったのち駿府(すんぷ)に隠退したが、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、武家諸法度などを定めて、幕政の基礎を築いた。東照大権現。 デジタル大辞泉の解説 |
■そんなに難しくはなかったとおもいますが、注目すべき点があります。
それは、①蘇我入鹿(そが-の-いるか)、②藤原道長(ふじわら-の-みちなが)、③源頼朝(みなもと-の-よりとも)は、いわゆる「上の名前」と「下の名前」の間に、「の」が入るのに対し、④足利尊氏(あしかが--たかうじ)、⑤徳川家康(とくがわ--いえやす)、この2人には「の」が入らないことです。
①~③の3人は「の」を入れた名前で入力しても一発で該当の名前に変換されます(「そがのいるか」→「蘇我入鹿」)。
これに対し、④と⑤の2人の名前に「の」を入れて入力しても該当の名前には変換されません(「とくがわのいえやす」→「徳川の家康」)。
■「の」が入る人と「の」が入らない人(例示列挙)
●「の」が入る人
平将門、菅原道真、在原業平、阿倍仲麻呂、平清盛、源義経…etc.
●「の」が入らない人
北条時宗、楠正成、斎藤道三、上杉謙信、武田信玄、織田信長、真田幸村…etc.
古い時代の人の名前には「の」が入るみたい…そんな傾向が読み取れるかもしれません。
■それでは、「の」が入る・入らないはどう区別されているのか?
実は「の」が付く人と付かない人とでは、いわゆる「上の名前」の性質が異なっているのです。
「上の名前」という点では同じに見える「藤原」と「徳川」が実は違うということです。
■「の」が入る人の「上の名前」は本姓(氏)
・本姓(氏)とは?
ほん‐せい【本姓】 1 本当の姓名。本名。 デジタル大辞泉の解説 |
本姓(ほんせい)は、明治以前の日本において、「氏(うじ)」のこと。名字(苗字)や家名とは異なる「本来の姓」という意味である。単純に姓(せい)とも言うが、「姓(かばね)」のことではない。
本姓(氏)の場合には後ろには「の」を入れるのがルール
ウジの後には、(古代は)格助詞「の」を入れて読む。この「の」は、帰属を表す。例えば「蘇我馬子(そがのうまこ)」ならば、蘇我氏「の(に属する)」馬子、源頼朝(みなもとのよりとも)ならば、源氏「の」頼朝という意味となる。
■「の」が入らない人の「上の名前」は苗字(名字)
・苗字(名字)とは?
みょう‐じ〔ミヤウ‐|メウ‐〕【名字/▽苗字】 1 家の名。姓。家名。 2 古代、氏(うじ)と姓(かばね)を総合した称。 3 同一の氏(うじ)から分かれ出て、その住む地名などにちなんで付けた名。源氏から出た新田・足利(あしかが)、平氏から出た千葉・梶原の類。 デジタル大辞泉の解説 |
名字(みょうじ、苗字)は、家(家系、家族)の名のこと。
氏が祖先を同じくする証であるのに対し、苗字はもっと小さな単位です。
■なぜ本姓(氏)があるのに苗字が使われるようになったのか?
古代の氏族制度が律令制に移行した後に、氏族格式そのものよりもその本人が属する家系や家族の方が重要になってきており、従来の氏(うじ)の中でもその家を区別する必要が現れた。例えば、同じ藤原氏でも藤原北家と藤原式家、藤原北家の中でも道長・頼通流とそれ以外といった様に同じ氏の中でも格の違いが現れている。
そのため、その家を現すためにその出身地を付けたのが名字の始まりと言われている。
①「上の名前」と「下の名前」の間の「の」は…
・「上の名前」が【本姓】の場合には入る
・「上の名前」が【苗字】の場合には入らない
②【苗字】があるからといって【本姓】がなくなるわけではない
■本来は「の」が付くはずなのに一般には「の」が入れられて呼ばれていない人物がいます…それはこの人↓
豊臣秀吉
豊臣秀吉は「とよとみひでよし」で、「とよとみ-の-ひでよし」ではないと一般にはそう思われています。
確かに、「とよとみひでよし」だと一発で「豊臣秀吉」に変換されますが、「とよとみのひでよし」と「の」を入れて変換すると「豊臣の秀吉」となってしまい、一発では変換できません。
とよとみ‐ひでよし【豊臣秀吉】 [1536~1598]安土桃山時代の武将。尾張の人。幼名、日吉丸。初名、木下藤吉郎。織田信長に仕え、戦功をたて、羽柴秀吉と名のった。信長の死後、明智光秀・柴田勝家を討ち、ついで四国・九州・関東・奥州を平定して天下を統一。この間、天正13年(1585)関白、翌年太政大臣となり、豊臣を賜姓。また、検地・刀狩りなどを行い、兵農分離を促進した。のち、明国征服を志して朝鮮に出兵したが、戦局半ばで病没。茶の湯などの活動も盛んで桃山文化を開花させた。豊太閤。 デジタル大辞泉の解説 |
・一般的に、秀吉は以下のように改名していったと捉えている人が多い
(幼名の日吉丸については疑問視もされている)
(日吉丸)
↓
木下藤吉郎
↓
木下(藤吉郎)秀吉
↓
羽柴秀吉
↓
豊臣秀吉
しかし、これは実は間違いなのです。
よく誤解されるが豊臣氏の豊臣は氏(ウジ)であって、苗字ではない。苗字は私称だが、氏は朝廷から下賜されて初めて自称できるものです。
実は、豊臣秀吉の「豊臣」は苗字ではなく、本姓(氏)だったのです。
しばしば誤解されるが、秀吉は「羽柴」から「豊臣」に改めたのではない。「藤原」から「豊臣」に改めたのである。「羽柴」は名字であり「豊臣」は氏(ウジ)であって、互いにまったく異質のものです。
・豊臣秀吉の名前の変遷はより正確にはこうです。([ ]は苗字の意味)
(日吉丸)
↓
平[木下]藤吉郎
↓
平[木下](藤吉郎)秀吉
↓
平[羽柴]秀吉
↓
藤原[羽柴]秀吉
↓
豊臣[羽柴]秀吉
秀吉の苗字は「木下」→「羽柴」と変更されました。
これに対し、秀吉の本姓は「平」→「藤原」→「豊臣」と変更されました。
上の図を見れば一目瞭然ですが、豊臣秀吉の時も、秀吉の苗字は羽柴のまま。
本姓の「平」はあくまで自称、十中八九、そうではなかったでしょう(平を自称したのは、主君である織田信長(本姓は平)に習ったものと考えられています)。内大臣までは、秀吉の姓名は「平秀吉」と記されています。
秀吉ははじめ平氏を称していた。たとえば、秀吉が『公卿補任』の天正11年(1583年)の項に「従四位下参議」としてはじめて記載されてから、関白になる直前の天正13年(1585年)の「正二位内大臣」まで、その姓名は「平秀吉」と記されている。氏素性のはっきりしない秀吉に姓はなかったと考えられ、これは主君であった織田信長の氏を模倣したものと考えられている。 Wikipedia |
本姓が「藤原」に変更されたのは、近衛前久の猶子となったから(近衛家の本姓は藤原)。藤原氏になったのは「関白になるため(関白は藤原氏でないとなれない)。
「豊臣」という本姓は、正親町天皇から賜りました。
■「豊臣」は本姓なので、本姓と苗字に関するルールに従う限り、「豊臣秀吉」は「とよとみ-の-ひでよし」と呼ぶのが本来は正しい
氏は、祖先を同じくする同族集団、つまり一族を表すものであるから、正確には「とよとみのひでよし」などと帰属を表す「の」を入れて呼称するのが正しいのです。
NHK大河ドラマ『真田丸』では、小日向文世演じる秀吉は「とよとみ-の-ひでよしである」と名乗っていたことを覚えていますか?
したっけ。
上手い辞典にも載ってませんよ^^
したっけ。
長いので誰も読んでくれないかと心配していました。
秀吉の話納得してくれましたか?
「真田丸」、見てましたね^^
したっけ。
「の」が入るか入らないかは、そこで決まります^^
したっけ。
私も調べて勉強になりました^^
したっけ。
苗字と氏の話、すごくわかりやすいわぁ。
秀吉さんの話で 妙に納得。
勉強になりましたぁ。(^^)v
いつもありがとうございます♪
日本史に登場する以下の各時代の有力者
の名前を音読して下さいは読めない漢字
もありました。
のが入る方と入らない方がいて
「上の名前」と「下の名前」の間の「の」は
「上の名前」が【本姓】の場合には入る
「上の名前」が【苗字】の場合には入ら
ないんですね。
「の」の意味するもの、違いは全然知らなく気づきもしませんでした。
ちゃんと理由があるのですね^^