戊辰戦争のとき、二本松に三春藩の先導で西軍が攻め入った。この時の西軍の主力は板垣退助が統率していた土佐藩の兵力であった。二本松少年隊 の岡山篤次郎(12歳)の最後の話は土佐三菱の岩崎弥太郎にも伝わっていたようで、維新後の資産運用で失敗した二本松県の負債処理の便宜を図ったという。二本松での製糸業の発展は岩崎のアドバイスだったという。
50回忌となった大正年間にようやく二本松少年隊の最後の話が語られ、今に伝わるが会津の白虎隊の生き残りより二本松少年隊員が多く生きていたのに悲劇を語る人が少ないのは二本松、三春、郡山の複雑な戊辰の関係があり、今でも傷が残っていて堂々と主義主張が出来ないようだ。
福島での戊辰の歴史はまだ現代史の扱いの気がする。客観的に評論するには時間が早いということもある。