年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ちょん髷-八石教会

2019年06月01日 | 宅老のグチ

根岸の子規庵前の八石教会の資料集めは今日で終わる。鶯亭金升の関連で何か接点がありそうだったが無いという結論になる。明治の40年代まで残った組織が文明開化の進展で若い人が離れ、組織が衰退した。正岡子規が生きていたころが教会の組織の絶頂期で記録と記憶に残っているようだ。根岸のあたりには明治20年代でもちょん髷姿で生活していても排除されないところだったようだ。

 ただ旧幕臣の人たちが多いとはどのような意味があったのだろうか。大原幽学の組織は農村改良運動で士族とは対立するはずなのだが。東千葉は旧幕臣の細かな知行地が多く、維新後も農村の支援があったのだろうか。鶯亭金升の明治7年以後の根岸の生活状況がまだ見えない。収入が無いのに塾へ通い、団団珍聞を読んでいるとは理解できない。何か扶助があったとしか思えない。文献に出てくる士族の商法とまた違った救済活動があったと思われる。

コメント
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