年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地・豊洲は外国人によって支えられている

2019年06月07日 | 宅老のグチ

昔と言ってもバブル期のことを知っている築地人は少なくなった。昭和の終わりから平成のバブル期は築地も活気があって市場の食堂は異国人で占拠されていた。彼らを排除しない市場の人は居心地の良い食堂だったかもしれない。なぜ排除しないというと彼らの力で市場は円滑に運営できていた。求人活動しても銀座と対抗できる時給は出せなかった。

 日本経済が低迷したバブル崩壊後築地には外国人が消え、さらに都民の模範となるべくと言う東京都と実績を上げるため入国管理の人たちが築地で不法滞在の人たちを逮捕し本国に送還した。このことを目撃していた築地の人たちは映画のような築地市場内を追いかける騒動を見ていた。今ならスマホで画像として残っているだろうがその当時は携帯も無かった。

 時が移りまた人手不足の時代となった。豊洲は合理化され外国人に頼らない体制が整っているかもしれないが築地はまだ先行き不安もあり高給で日本人を雇えないようだ。

この先どうなるかわからないが横浜中華街が戦前から戦後の混乱期を耐えた人たちが引退し、新しい中国系の人たちによって今支えられているようだが築地も同じようにアンテナショップとして海外からの資本による海鮮系レストランが増える予感がする。

 外国人の不法滞在の一番多い事例は在留期間の終了確認漏れである。慣れた人を失うことは日本人でも同じである。戦力となっている人は人情で解雇は出来ない。特に築地は経験と人情で支えられている。

悪法もまた法。時代は変わる。

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