年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

岡部.深谷は漬物屋が今でも多い。NHK大河の地元

2021年03月01日 | 宅老のグチ
埼玉県も群馬に近い・岡部・深谷は今でも漬物屋が多い。都市近郊の野菜産地は大都市東京へ生鮮野菜を出荷していたが、深谷となれば遠すぎて一度塩漬けしてから漬物原料として出荷していた。特に奈良漬用の白瓜は岡部から昼過ぎ都内の父の工場に届いて、大急ぎで白瓜を包丁で二つに割り、ウリの中央部の種を取って舟の形にし、塩がたっぷりと入った下粕で下漬けする。この目的は水分の多いウリから塩を浸み込ませることと,ウリの形を崩さない目的があった。今の作り方は最近見ていないが。この様な作り方は高級な奈良漬だけで、普通の安売りの奈良漬は漬け込みタンクに漁網のようなネットを敷いて,二つ割し、種を取ったウリを並べ、塩を振り重石をかけ下漬けとする。従って塩漬けしたウリの表面に網目が付くものもある。下漬けしたウリに下粕をウリの舟の部分に塗り込め奈良漬の形にし、樽に横倒しに並べる。多くは4斗樽である。今は奈良漬のウリの原料産地は徳島県で江戸時代には藍染が盛んなところで、深谷の渋沢栄一の藍と産地が同じとなる。明治に入ってドイツから石炭由来の化学染料が入り、江戸時代からの藍の産地が消え、大根産地となり漬物原料産地となった。深谷と徳島は東西の漬物原料産地である。石炭由来の化学染料はタール系で食品に間違って染料として使用されため、シバシバ食中毒の事故を起こしていた。(下粕とは過去に奈良漬に使った後に残った粕に再度塩を加え、原料用に使用した酒粕)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退院後に1番先にやりたい事

2021年03月01日 | 宅老のグチ
退院後に1番先にやりたい事は湯船に浸かる事。生きて戻った事を実感するだろう。志村けんさんは戻れなかった。病院のシャワーを浴びて、さっぱりしたが体が綺麗になっただけで心は洗えていない。家で風呂に浸かってほっとするだろう。今から思うと短い入院生活だか、結核のPCR検査は不安だった。以前同僚が結核になった。死なないが長期治療となった。今でも彼は慈恵医科大に定期検診に行っている。
病院の食事でご飯に牛乳が付いてきた。栄養士は基本の考え方が変わっていない。カルシウム摂取は牛乳しかないのだろうか。塩分の殆どない病院食は慣れない。戦後の栄養政策は一度調べたい。GHQとアメリカ人との体格コンプレックスから栄養学が権威を持った。確かに身体は大きくなった。でもご飯に牛乳はない。お茶だ。強いて言えば牛乳は食後のひと息。
健康だったが一寸先は闇でいう事を実感した。昨年帯状疱疹が出て免疫力が落ちた事を知る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする