年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

秋の3連休前の渋滞

2012年09月15日 | 宅老のグチ

首都高速の渋滞情報が真っ赤となっている。カーナビの普及で渋滞になっても回避する知恵がない様で特に首都高速を通過するだけの人はじっと我慢して待っているようだ。コンピュータのデータ通りの行動では皆同じデータで行動するのでまた渋滞にはまる。
 それでも震災後の初めての東北行きとなる。
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築地市場よりビックサイトへ向かう

2012年09月14日 | 築地市場にて

晴海通りより、晴海大橋上で豊洲大橋の姿を眺める。新市場の基幹線となる橋だろう。ゆりかもめ市場前駅を通る。青果部の予定地の汚染除去工事のテントは少なく、水産部のところは密集したテント村のように見える。
 6日夕刊日経で豊洲の高濃度汚染が70箇所あったと言う。ネットの反応はすくなく、旬の話題でなくなったのだろうか。余りにも酷い原発汚染で豊洲の汚染除去は実に簡単に出来る気がする。4年ぶりに物流の見本市に行ったのだがアルコール検知器のシステムと位置情報による配送効率化システムが気になった。これに加えて地域渋滞情報と配送駐車場空き情報が加われば効率化が進むだろう。次回の2014年には真剣に見ることとなろう。
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物流機械展へ

2012年09月13日 | 築地市場にて

ビックサイトで開催されている物流機械展示会に行く予定。豊洲移転のための築地市場周辺の工事が順調に進んでいるのでそろそろ新市場のための最近の情報を仕入れに向かう。勝鬨橋上から隅田川河口を眺めれば築地市場を貫く環状2号線の橋脚工事が見える。橋の建設工事で水産部活魚水槽が全部新しくなった。この分だと豊洲へは移動するだけで設備投資はしなくて済むだろう。この移動費用は道路工事から出ているので、形の変わった水産部への移転懐柔策かもしれない。
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上野公園は霊地だ

2012年09月12日 | 福神漬
江戸の本草-薬物学と博物学 矢部一郎著
30年前の本だが日本の本草学の歴史が素人でもよく理解できる本だった。中国から伝わった日本の本草は中国とは違った発展が進み、そこでオランダからの西洋植物学を入れる土台が出来ていたと言う。さらに明治になっても植物学は他の学問と違って文明開化の影響が少なく、上野の博物館に伝わったと思う。
 田中芳男は明治14年に大日本農会を作った人だが尾張の本草家伊藤圭介の弟子だった。さて大日本農会だが初代の総裁はあの上野戦争の当事者であった北白川能久親王(上野戦争時は寛永寺の輪王寺宮)で反西軍の代表となっていた人だった。田中は東京国立博物館、国立科学博物館、東京都恩賜上野動物園の基盤を築いた人として知られている。
 福神漬の顕彰碑の揮毫した人物は明治15年大日本水産会を作った村田保で大日本水産会初代会頭は小松宮彰仁親王(上野動物園の前に銅像がある)で弟が北白川親王でした。田中芳男も福神漬の命名の件で出てくる人物ですべての逸話は上野に収れんされてくることになります。
 この様なことから徳川幕府に於いて上野は鬼門を守る霊地であったが福神漬の命名時の逸話には上野周辺の幕末史が凝縮されていることを感じます。幕末から明治中期までの混乱があの缶詰に入っているのです。
缶詰がナポレオンによる軍隊用食品の長期保存方法の懸賞から始まりました。その缶詰が日本に入って、漬物を入れることによって軍隊用食品となり、日露戦争で軍隊食として普及し、戦後安く軍隊から払い下げられ庶民にも福神漬が食べることができ、一等国の味となりました。
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平成25年度築地市場休市カレンダー

2012年09月11日 | 築地市場にて

9月6日に東京都中央卸売市場のホームページに平成25年のカレンダーが更新となりました。来年度は青果部と水産部の開市日が3日違います。青果部は1月30日(水)2月20日(水)3月6日(水)が休みです。この結果から近い将来は青果部は4週8休となりそうです。
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医学・洋学・本草学者の研究

2012年09月10日 | 宅老のグチ
医学・洋学・本草学者の研究 
吉川芳秋著作集から
先日大垣に行ってから、偶然飯沼慾斎の旧跡を知り、本草学の本を集中的に読み出した。
 吉川芳秋さんの本から徳川後期に尾張を中心とした地域で本草家、博物学者、自然誌研究家が輩出した。宇田川 榕菴(大垣藩医の子)、宇田川興斎(慾斎の3男)などから、医学洋学本草学が地域を越えて行動していたようだ。このことが福神漬とどう結びつくか今のところ不明だが最近の新聞紙上に(なたまめ茶)の広告が目立つので何か昔からの効用があったのか気になり始めた。図書館にある薬草関係の本からもナタマメが劇的な効果効能があるとは書いていない。さらに江戸時代の文献にはどのようなことが書いてあるのだろうか。
 上野池之端酒悦は寛永寺参詣者のための香煎を商っていた。ナタマメにはどのような用途があったのだろうか。
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下り坂は遠くまで見える

2012年09月09日 | 宅老のグチ

山や急坂を歩いて登るときホンの少し前しか見えない。そして登り切ったとき、特に峠などにたどり着くと先方の景色が開けて見えるようになる。元来た道を下ってゆくと遠くまで景色が見えることを感じる。
 長い下り坂にある日本は暗い先が自分自身の老いとともに自覚していて、少しの政治のお年玉でごまかされことなく、消費を抑えて生活するしかない。子供手当でも結局ばらまいた検証がなされていなく、国の借金が増えることで終わり、さらに消費拡大を委縮させる。日本の行く末の地図を示さず、おいしい話でごまかす時間は少なくなった。
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予期せぬ白菜キャベツの廃棄処分

2012年09月08日 | 築地市場にて

北海道の事件で白菜需要が急減し、価格が暴落したのは理解できるがキャベツまで道ずれになってしまったのは想定外だ。新聞によると節電で火を通す料理が敬遠されているところに昨年と違って生育には良い天候が続いたのでキャベツが豊作となってしまって価格暴落となったようだ。キャベツはわりと日本に早く入ったのに漬物の種類としては少ない。従って一寸需要を上回ると加工用で備蓄することが出来ず価格暴落が起こりやすい。戦後の農政はGHQの指示もあったが漬物に対して冷たい扱いだった。伝統的青果物から生食用の野菜を拡大する方針がとられ、漬物業者は海外に在来品種で原料確保に進むこととなった。大根、白菜に関して加工用需要がいかに多いか今回の北海道事故で感じることがある。野菜は価格が安くなっても需要は少ししか増えない。
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黄表紙から

2012年09月07日 | 福神漬
築地社会教育会館から東に進む道は平成通りと言う名前となっている。京橋郵便局から三菱東京UFJ銀行築地支店の前を通り、中央区役所の下にある図書館に向かう。銀行の脇の歩道上に「桂川甫周屋敷跡」の説明板がある。先日訪れた大垣からやたらと気になって桂川家が再び気になり図書館で本を借り出す。中央区は地元と言う関係で桂川家の図書は多くこの点では実に助かる。
 江戸時代に医学系の蘭学は築地の桂川家を中心としていた。蘭学関係の史跡が築地周辺に多い。桂川甫周の弟(森島中良)の交友関係から文化人とか歌舞伎関係の交友もあったようだ。森島中良は森羅万象(しんらまんぞう)と言う筆名で黄表紙に作品を書いていたようだ。
 黄表紙はナンセンス文学で現代の文学観では評価の対象ともなっていないが江戸時代には読者が多かった。一般に知られていた文学作品を違う設定などいれ滑稽味とか風刺をした作品が多いと言う。なぜこのような忘れ去られた黄表紙が気になるかと言えば福神漬の『なた豆』の効能が遊女関係の言い伝えが多い。(山中共古,共古随筆)黄表紙の読者に当時の通人の遊郭の遊び方を示していたようだ。18大通人の一人に森島中良が入っている例もあるが多くは両国の札差が多い。黄表紙の特色の中に『うがち』と言うのがある。西洋童話の裸の王様のような設定で読者を楽しませている。さらに黄表紙には絵があって当時の社会風俗を一流の絵師が描いた。
 黄表紙の作家は川柳の作家と同じような目線で社会とか人間を観察し、時には社会体制を風刺していたようだ。行き過ぎた風刺は弾圧され、面白みが欠け、退廃的な作品となってゆく。福神漬の命名者梅亭金鵞は幕末の退廃的な時代の戯作者であった。
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中値の暴落

2012年09月06日 | 築地市場にて

新聞の青果物相場欄では判らないが、白菜食事故で浅漬の漬物用野菜の価格が暴落しているようだ。中値の価格が限界市場出荷額となっていて農家にとっては理不尽な価格となっている。通常夏季は温室栽培がないので生産が不安定となる。高温とか多雨で影響を受けやすい。白菜から他の浅漬で風評被害が拡大し,青果の安定した需要を奪っている。今度の事件で夏季の漬物需要の大きさを計ることが出来る。
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二幸の東京漬

2012年09月05日 | 築地市場にて

アメリカより問い合わせが入って、途中から雑談となった。戦前からの日系人向けの食品店はあるのかと聞くと1926年創業なのでそれ以前のことは判らないという。東京漬と言ったらすぐに二幸と言ってくれた。二幸は三越伊勢丹フードサービスとかの名前に変わったようだ。2003年頃の防災用食品の中には東京漬(福神漬)があったようだが今は通販リストにはない。
 秋葉原のおでん缶詰がヒットする前から輸出用としておでん缶があったと言う。
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漬物の中国韓国離れ

2012年09月04日 | 築地市場にて

安価な漬物原料を安定的に入手するには気候の異なる外国から輸入することとなる。40年ほど前は台湾だったが台湾経済の発展とともにフィリピン・タイとかに産地が移転し、いまは中国に移転した。最近の傾向ではベトナムとかミャンマーに視察旅行が多い。すでに中国から徐々に撤退を考え、中国漬物工場が日本向けより中国国内向け工場となりつつある。このことを取引銀行の担当者に話したら興味をしめした。まだ完全に中国を見限ることはできない。総合的には計画通り入荷するので中国はまだ見放せない。もし北朝鮮の変身があったとき、日本に近いので電力交通不便であっても日本の漬物業者が進出するだろうと言ったら嫌な顔をされた。どうやら金融取引では北朝鮮関係はまだ危険のようだ。しかし、ミャンマーの例もあるから動き出したら早い。
 北が変身すれば南のキムチ工場は全滅となるだろう。価格対抗ができない。漬物ようなタダで提供されいる食品は価格競争に弱い。日本人にとって韓半島のキムチ産地は皆同じに聞こえる。
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対応の早い広告

2012年09月03日 | 築地市場にて

北海道の事件でどうやら白菜浅漬の製造基準で野菜の消毒が義務化されそうだ.
塩素殺菌自体は簡単だが、塩素臭を除去することが難しいので困ったことだと思っていた。ところが業界紙の広告で衛生管理システム『セリウス』というのがあって殺菌力が強くさらに野菜の洗浄後には反応によって薄い食塩水に戻るという。消臭効果もあるという。この機械はずいぶん高価のように思える。多分道の駅や農産物直売所に出している少量生産者には手が出せないだろう。
 盆明けに急に色々なところから細菌事故防止のダイレクトメールが増え、さらに電話も増えた。製造していないので雑談で終わるのだが漬物組合に入っている人たちは情報が行き渡っているのだが非組合員にはどのように情報伝達すればよいのだろうか。
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消える白菜の姿浅漬

2012年09月02日 | 宅老のグチ

北海道の白菜事故でこれから塩素剤による殺菌処理を白菜製造では必要となるようだ。塩素殺菌は簡単だが塩素の匂いを除去するには難しく,今のような安さで販売することは出来ないだろう。多分細かくして漬けて、大量の水道水で塩素くささを除去し、その後漬けなければいけないが自然の菌が死んでいるので調味液の味で調整するしかなくなる。つまり塩素殺菌することは白菜浅漬が安く出来なくなることを意味している。量販店の白菜は高いが安心安全な造り方をしている。
 長崎に白菜の本漬けの良い商品がある。ただ3倍の価格となっている。これからは自家製造するしかないだろう。漬物はどの商品でも少量では良い味が出ない。
 焼肉のユッケのようにまた日本の食文化の一つが消える。厚労省は家で漬ける時も塩素剤使用を要求するのだろうか。
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日本人のダイコン食い韓国人の白菜食い

2012年09月01日 | 築地市場にて

日本の青果物で重量野菜という分類がある。大根、キャベツ、白菜が三大重量野菜である。日本に渡来した順から大根、キャベツ、白菜となる。特に白菜は新しく、日本へ入ったのは日清戦争の後で、日本国内で種子が採れるようになったのは明治の終わりころである。アブラナ科の白菜は交雑しやすく、自家採種すると間もなく白菜でないものとなってしまっていたようだ。白菜が日本で安定的に栽培できるようになると江戸時代から漬物用野菜の三河島菜というつけ物用野菜が消えた。今では絵だけが残っている。日本人の野菜の消費の中で多いのは大根である。キャベツは大根に次いで渡来した歴史が古い割には漬物需要がほとんどない。
 韓国においては白菜の消費量は日本人の一人当たり22倍であるという。韓国において大根は日本人が韓半島に進出するまで大きな大根は無かった気がする。大根は日本で多種多様になったのは江戸の種子産業の発達と沢庵需要があったと思われる。
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