今週は金曜日が休業日でした。あいにく天気が悪いため、在宅勤務の木曜日に高尾の自宅へ戻ることにしました。木曜日は朝7時から勤務を始めたので、夕方仕事を早めに入り上げてアパートを出発します。夏至も近く日が長いため、筑西市の内外大神宮に寄ってみました。ここには国重要文化財(建造物)があるので機会があったら訪れてみたいと思っていました。筑西市といっても栃木県の真岡市に近く、アパートから国道50号と県道216号を利用して50分近くかかります。
参道入口。内外大神宮は「ないげだいじんぐう」と読むそうです。文字通り、内宮と下宮の本殿が並んでいます。
この鳥居は比較的新しそうです。ネット情報では東日本大震災で3つの鳥居が倒壊。この一の鳥居のみが再建されたようです。
参道の階段を上ると右手に手水舎
正面に拝殿。狛犬がいません。質素なつくりです。
拝殿の向かって左側には神楽殿。毎年、春と秋の神社の例大祭で神楽舞が奉納されるそうです。
小栗内外大神宮太々神楽は県指定無形民俗文化財となっています。
寛延4年(1751)山城国愛宕郡三嶋神宮宮司らにより内外大神宮宮司に伝授されました。その後、伊勢神楽師の指導を受け、小栗三喜が舞に工夫を凝らすなどして12神楽36座を成立させたといわれています。12神楽とは12の場面のことで、36座とはこの12の場面に登場する36柱の神々のことであり、番外に八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)の無言劇があります。
勇壮な舞と融和的な舞とで構成され、内容は神々の功績をたたえ、平穏な自然と作物の豊穣を祈り、悪を払い幸福を祈願する神楽です。
毎年、春4月21日、秋11月10日(ともに直前の日曜日)の神社の例大祭に境内の神楽殿において神楽舞が奉納されます。(以上筑西市HPより引用)
神楽殿を見学後、拝殿にお参りします。
拝殿の右手前にある末社
そして御遷殿です。遷宮(うつしのみや)とも呼ばれ、神社の神事に重要な役目を担って きました。御遷殿は重要文化財に指定されています。天正2年(1574年)の建立。室町時代の建築物です。現在は覆屋で保護されています。
御遷殿の説明です。
続いて、拝殿奥の一段高いところに鎮座する内外大神宮へ向かいます。まずは解説の紹介。内外大神宮は大同年間(806~810)に創建され、内宮に天照大神、外宮に豊受大神が祀られています。本殿は応永年間(1394~1427)に火災により炎上したが、延宝七年(1679)十月に再建。両本殿は向って右が内宮、左の外宮は内宮に比べ規模はやや縮小されているが、様式手法は同一の三間社神明造茅葺型銅版葺の建物です。
筑西市教育委員会のHPから引用しておきます。
内外大神宮は茨城県筑西市北郊の丘陵地に所在する神社で、中世には伊勢神宮領の小栗御厨であった地域に鎮座しています。境内は南面し、拝殿後方の玉垣内に内宮と外宮の両本殿が並立し、各々の正面に御門があります。また拝殿東側に御遷殿、南西側に神楽殿が建っています。両宮本殿は、建立当初は現在の拝殿の辺りに建てられ、宝暦3年(1753)頃に、後方の現在地に移されました。
内宮本殿は、板戸金具刻銘および内部壁板墨書により、延宝7年(1679)に地元の大工によって建立されたことがわかり、祭神は天照大神です。
外宮本殿は、内宮本殿と同年の建立でほぼ同形式ですが、規模が若干小さくなっています。
内外大神宮の両本殿は、本格的な神明造三間社本殿で、内宮、外宮の本殿二棟を並立させる社殿形式の古例として重要です。また、天正2年建立の御遷殿や、両本殿の御門も保存されており、伊勢神宮御厨に勧請された神明社の、近世における社頭構成を伝える点においても価値が高いものです。(引用終わり)
内宮の御門です。
隙間からのぞいてみます。向かって右側が内宮、左側が下宮。いずれも延宝七年(1679)十月に再建されたものです。外宮は内宮に比べ規模はやや縮小されているようですが、見た目ではわかりません。
右側の内宮
左側の下宮
裏手にまわると、そこには神楽師一同によって奉納された末社。二十八社と石碑に彫られていました(28個以上ありました)。
再び、下宮側から内外大神宮を眺めます。それぞれに御門があります。
拝殿の左手にある末社
再び拝殿前に戻ってきました。
規模の小さな神社ですが、とても見ごたえありました。