こうこう‐や【好好爺】 気のいいおじいさん。善意にあふれた老人。「―然(ぜん)とした風貌」
45歳になった。四捨五入すれば50歳である。だからと言って今まで「40歳で~す」なんて図々しく言って来た訳では無い。アラフォーから外れてしまったが、今までほとんど使う事の無かった言葉なので全然関係ない話だ。
先日幼馴染から「最近心身ともに今ひとつで・・・」とメールにあった。う~ん何だか非常に解る気がする。40歳を過ぎ、ふとした事で将来に対して得体の知れない不安感に苛まれたりすることがある。記憶力や体力や視力が少しずつ落ち、深いため息をつきたくなるような事も増え、意固地で偏屈で頑固な面がちょいちょい顔を出す。すべてにおいて面倒くさがりになって来て、「どうでもいいじゃん」が口癖になっている。
ただこれからの生き方への方向性も少しずつ見え始めて来た気がする。同級生と集まるとよくお決まりの「あの頃に戻りたい」との言葉を聞くが、そんな気持ちはまったくない。これまでの経験値を持ったまま戻れるならば、ちょっとだけ戻りたい気もするが、あの頃よりも今の方が確実に面白いのは間違い無い。
自宅に帰り、ソファーで「彼」を膝の上に乗せる。それを見て妻が「抱っこするなんてね~いやいや~変わるもんだよね~子供たちが小さい時は抱っこしても『重い』とか言ってすぐ私に渡したのにね~いや~歳取ったね~いやいや」と妻がしみじみと呟いていた。こうして段々と好々爺になって行くのだろうか?そろそろロッキングチェアの登場だろうか?ゆらゆ~らゆらゆ~ら
まあ~どちらにせよ私にとっていくつになっても誕生日はめでたいものだと思っている。