東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業49年を迎えました不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

後輩たちとの会話

2010年10月11日 09時55分59秒 | 野球の話
先日のバレーボールの練習。「優勝した」ドラゴンズファンの後輩がニヤニヤしながら歩み寄り「三位おめでとうございます」とジャイアンツのクライマックスシリーズ出場を祝ってくれた。終始上からの目線が悔しいが、この三年間の私は彼に同じような視線を投げ掛けていたのかと思うと反省である。そしてタイガースファンの後輩には「甲子園に行かせて貰いますので、宜しくお願い致します。」と頭を下げる。その横でスワローズファンの後輩が笑っている。「お前が余計な事(最終戦で勝利)するからだろうがっ」と怒りつつ、クライマックスシリーズに全く無縁のカープファンの後輩と来シーズンに向けて話している時間が一番平穏だった・・・

メンバーの中に身売り寸前のベイスターズファンが居ない事がとりあえずの救いだった。

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どこで使おうか・・・

2010年10月10日 09時43分50秒 | 二代目のつぶやき
飲んだ帰りのいつものゲーセン。久し振りの来店で新しいグッズが増えており、ちょっとテンションが上がる。「彼」専用の大きなクッションを早々にゲットし、妻と娘の景品も次々とゲットし、すでに数分で大きなビニール袋を抱えている。ちょっと気の早いサンタクロースのようだ。

調子に乗ってコインを投入する。もう袋はパンパンである。最近息子が好きなAKB48の景品が入っている台を発見。どうにもライセンス許可を得た景品とは思えないのだが、とりあえず狙って見るとものの数回で獲得した。やはり職人だな~とお酒の酔いと共に陶酔する。この台は落とした場所で景品が選べるシステムだったのでお店のスタッフを呼ぶが、息子が誰が好きだったかさえも覚えていないし、そもそもいい歳をした親父がAKB48の景品を必死に狙っている図自体が恐ろしく思え、ついつい直前で違う景品を選んでしまった。



「○○○の指差し棒」・・・一体どこで使うつもりなんだろう・・・


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16年後の10・8

2010年10月09日 09時46分57秒 | 野球の話
先日、日本野球機構はプロ野球12球団の選手・監督・コーチとマスコミ関係者を対象にした「プロ野球最高の試合」「印象に残る名勝負・名場面」をたずねたアンケート結果を発表した。第一位は選手・マスコミ共に「1994年10月8日の中日・巨人戦」だった。いわゆる「10・8」でシーズン最終戦で勝ったチームがセリーグ覇者となる痺れるような試合だった。



当日はすぐに帰宅し、すぐにテレビの前に座った。槇原-斎藤-桑田の豪華リレーと松井・落合のホームランでジャイアンツが優勝した。視聴率は50%以上とまさに国民的行事だった。今思い出しても心が躍る試合だった。



そして16年後の昨日10・8。ジャイアンツ最終戦でヤクルトに4-7の逆転負けを喫し、今季最終戦で3位が決定し、阪神と戦うクライマックスシリーズ・ファーストステージでの本拠地開催権を逃した。今季の終盤を象徴するような不甲斐ない試合展開。これまで三位通過のチームが優勝した事はないのだが、それにしても勝てそうな気配すら感じられない。その夜、友人のお姉様から届いた「日本シリーズ先行予約」のメール。もちろんジャイアンツが勝てばの話なのだが、今年はご遠慮させて頂く旨の返信をした・・・

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おばさんち

2010年10月08日 09時25分12秒 | 新小岩の話

実家の近くに行った時の事。見慣れた景色に何かが足りない。

「あっおばさんちが無い・・・」

「おばさんち」とは親戚でも知り合いでもなく、近所にあった雑貨屋さんの事で駄菓子も少し置いていたので、幼少時代に足繁く通ったものだ。すでに随分前から営業はしていなかったのだが、ついにこの日は更地になっていた。恐らく○○商店のような店名があったはずなのだが、私にはいつまでも「おばさんち」であった。

嗚呼・・・おばさんち・・・

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土鍋炊飯

2010年10月07日 09時23分29秒 | 美味しい話

以前テレビで紹介されてから、時々この方法でご飯を炊く。これが非常に簡単で美味しい



①土鍋にお米と水を入れる
②最初七分間強火
③次に七分間中火
④次に五分間弱火
⑤最後に火を止めて五分間蒸らす

ただこれだけでお米が立つし、キラキラと輝く

合言葉は「七七五五」である

ちなみに「五五七七」にしてしまうと大変なことになる

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実録「夜のピクニック」

2010年10月05日 09時31分48秒 | 街の話
錦糸町で友人と飲んだ。下町ウイング(手羽先)タッカルビ(韓国)の辛さでビールが進む。



40歳過ぎの大人たちの会話はクドクドと長く、気が付けば終電が無くなっていた。漫画喫茶で始発を待つと言う遠方の友人と別れ、タクシーを拾おうと大通りに出たが、その夜は気温もちょうどいい感じで「少し歩いてみるか」と新小岩方面に向かって歩き出した。



深夜のスカイツリーはこんな感じだった。手ぶれしているのはお酒のせいなのだろう?



船橋屋を通り過ぎる。鷽替神事の鷽が出迎えてくれる。時折足を止めてはカメラを構える深夜の親父は不気味である。職務質問されたら説得力に欠ける・・・



錦糸町から亀戸は近いのだが、亀戸から平井が遠い。途中で「100円玉で買えるぬくもり」でひと休みする。ようやく平井大橋が見えて来た。ここまですでに一時間以上経過していた。ただ誰も居ない深夜の街を歩くのは気持ちが良いものだ。色々な事を考えながらフラフラと歩みを進める。



結局自宅に到着したのは三時近くで、その頃にはすっかりお酒も抜けていた。残念ながら映画「夜のピクニック」のような清々しさは無かったが、まあそんな夜もある。ちなみに距離にして約5kmのピクニックだった。

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映画:「十三人の刺客」

2010年10月04日 09時26分42秒 | 映画の話
先日の映画鑑賞時に予告編として流れていた「十三人の刺客」。これが非常に面白そうだったので、公開数日後に映画館へ出掛けた。



【解説】1963年に公開された工藤栄一監督による時代劇映画『十三人の刺客』を、三池崇史監督が役所広司、市村正親らを主演にリメイク。徳川将軍の弟である明石藩主・松平斉韶の暗殺を巡って起こる、島田新左衛門率いる13人の刺客と、斉韶の腹心・鬼頭半兵衛らの息詰まる決闘ドラマを、現代的なスピード感や新しいキャラクターを加えながら再構築する。



私の好きな「仲間集め」「要塞作り」の要素が詰まっているので私の好きな「荒野の七人(七人の侍)」「大脱走」同様期待は膨らむ。



事前に調査した結果、満員で入れなかったとの情報もあり、不安のまま劇場へと向かい、窓口で混雑具合を確認すると「いや~結構空いてますよ」とガラス越しから肩透かしの回答。今回は最終上映の20時過ぎだからだろうか?実際に館内にはかなり空席が目立った。(それにしても20時からの上映時間は何とかならないものだろうか?)



上映時間141分。序盤で早々にトイレに行きたくなるが、次第にスクリーンに吸い込まれ、途中で気にもならなくなった(間に合わなかった訳ではない)。ま~それにしても斬っても斬っても相手が減らない。山田孝之と市村正規の存在感はなかなか素晴らしかったがただ十三人は余りにも多かったような気がする。一人ひとりのキャラクターを明確化出来ないまま、バサバサと切り捨てられてしまう感があった。やはり半分の七人がちょうど良かったのかも知れない。



色々と賛否両論があるようだが、「映画=娯楽」であるとするならば十分に楽しめる映画だったと思う。

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コロッケの話

2010年10月03日 09時22分58秒 | テレビとラジオの話
先日テレビでものまねのコロッケが出演していた。

テレビではよく見掛けるが久し振りに彼の物真似をじっくりと観た。

彼を見る度、1980年に放映された『お笑いスター誕生!!』での衝撃的な登場を思い出す。

野口五郎を始め、岩崎宏美、ちあきなおみ等のものまねはテレビの前で笑い転げ、彼が六週勝ち抜くまで土曜日の昼の放映に間に合うように学校から急いで帰宅したものだ。

何が凄いって長年に渡る活躍は勿論の事、顔真似だけから「声真似」が出来るようになった事であろう。いやいや大したものである。

ちなみに私は仲間由紀恵のものまねが出来る

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生クルム

2010年10月02日 09時39分02秒 | スポーツの話
「東レ・パンパシフィック・オープン」を観戦した。テニス観戦は未経験なので事前にあれこれと観戦マナーを確認する。フラッシュ撮影はもちろんの事、プレー中の席の移動や声援等も規制される。これまでの「お気楽な」観戦との違いに戸惑いながら、有明コロシアムへ向かった。(ちなみに静止画はOKで動画はNGとの事)

観戦の一番の目的はもちろん「クルム伊達(世界ランク67位)」である。観戦日まで敗退しない事を願っていたら、初戦にシャラポアを破り、40歳の誕生日だった二回戦も自らを祝うかのように勝ち上がった。そしてこの日三回戦の対戦相手は今年の全仏オープン覇者フランチェスカ・スキアボーネ(30)=同8位、イタリアであった。



第一試合の開始は11時だったので、1試合=1時間と予想しつつ、第三試合目のクルム戦開始時刻に合わせて14時前にコロシアムに到着する。ここには20年前以上にコンサートで訪れて以来である。いつの間にか開閉式の屋根が付いていた。扉の向こうから時々拍手が起きるが終始静かであった。扉を開けると目の前にはコートが広がる。野球やサッカーと比べて選手との距離が近い。ひとつ前の第二試合目が終盤を迎えていた。



セットの間よくテレビ中継で映る同じアングルの席に席を移動する。非常に見易い。まるでテレビゲームのようだ。また観客席にはどこか気品溢れるご年配の方々が多かったような気がする。



クルム戦が始まる前にコロシアムをふらふらと散策していると、ちょうどマリア・キリレンコ選手(ロシア=同27位)のサイン会を行われていた。



そしていよいよ試合開始。最初静寂の中での観戦はどうにも落ち着かなかったが、目の前の伊達のライジングショットをじっかりと見つめる。連戦での疲れなのだろうか?素人目から見ても動きが重く感じ、相手のスキアボーネから放たれる強力なショットが次々と決まる。剛と柔の対戦は非常に面白かったが、最終的に3-6・3-6のストレート負けでベスト8進出を逃し、その夜に行われた森田あゆみとダブルスでも負け、日本勢はその日のうちにすべて姿を消した。



試合後に勝者のスキアボーネが四方向に向かってサインボールを観客に向かって打ち入れたのだが、そのひとつが私の席後方へ飛んで行き、跳ね返って来たボールが私に向かってスローモーションのように転がって来る。「全仏覇者のボールをゲットしたど~」と気を許した瞬間、私の手の平を弾き、隣の観客の手の平に収まった・・・長年「弾くバレー」をやっていたからだろう・・・

結果はどうであれ、伊達の実際のプレーを観る事が出来て非常に満足だった。翌日には彼女はもう次の大会の為、日本を飛び立ったらしい。彼女のタフさに感服しつつ、あとは「キング・カズ」を実際に観戦しようと心に誓った。

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映画:「ブラックレイン」

2010年10月01日 09時28分36秒 | 映画の話
家電量販店に行くと、吸い寄せられるように「三枚三千円」のDVDコーナーに立ってしまう。

この日も何度も何度も陳列棚の前を右に左に往復する。とりあえず前回見送った「ダークナイト」を一番最初に手にする。次はどうしよう?前回同様ダイハードシリーズで迷うが、もうテレビ放映を含めてかなりの回数を観てしまったのでこの日は候補から外れる。「天国から来たチャンピオン」を発見。私が小学生の頃に映画館で観た映画でとても感動的なストーリーだったな~と二枚目に決定する。さて最後の三枚目はどうしよう?「俺たちに明日はない」も捨てがたいし、「エスター」も観てみたいし、定番の「ゴースト」もいい・・・と迷ったものの決定打に欠け、最終的に「ブラックレイン」に決めた。ご存じ松田優作の遺作である。



【解説】日米の刑事の活躍と友情の絆を描くポリス・アクション。エグゼクティヴ・プロデューサーはクレイグ・ボロティンとジュリー・カーカム、製作はスタンリー・R・ジャッフェとシェリー・ランシング、監督は「誰かに見られてる」のリドリー・スコット、脚本はC・ボロティンとウォーレン・ルイスの共同、撮影はヤン・デ・ボン、音楽はハンス・ジマーが担当。出演はマイケル・ダグラス、高倉健ほか。



公開当時映画館で観た記憶がある。それから月日が流れたが今回とその時の印象と全く同じで「松田優作が主役を超えた圧倒的な存在感」であった。撮影当時すでに癌に侵されていた彼がマイケル・ダグラスと殴り合うシーンは前回同様やはり痛々しく感じた。



当時大阪で行われた撮影はかなり話題となったが、外国人から見た大阪や日本人はこんな感じで見えるんだ~と改めて思った。



彼が亡くなったのは1989年11月9日39歳(記事によっては40歳)。今からもう21年前である。いつの間にか私より年下になっていた。そのニュースを深夜のテレビで知った時はかなり衝撃的だった事を今も鮮明に覚えている。もし生きていれば61(60)歳である。もし彼が生きていたらどんな作品を残していてくれただろうか?と考えるのは野暮な話なのだろう。

余談・・・同じDVDでも発売された時期が異なると、表紙も特典も異なる場合がある。どうせなら特典の多いDVDを購入すべきである。でも私はほとんど特典メニューを見た事が無い。

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