2日目も、早朝から往路の様子を伝えるスポーツ新聞を買い集めて、家族で読みあさり復路の展開を話し合っていた。
往路の結果と戦前の戦力情報から、早稲田の総合優勝は動かないだろうと誰もが予想していた。
ところが、山の6区では早稲田が伸びてこないのだ。
そのまま、7区にも尾を引いて皆が「あれあれ~」と予想外の展開になってきた。
復路の関心は、早稲田と東洋のV争い、各校のシード権争いと駒大・東海大のシード権確保、などであった。
藤沢の8区に来る頃には、早稲田の独走を予想していたが、全く予想外の展開になっていた。
それでも、9、10区での逆転を信じて沿道で気合を入れて見送ったのだが、結果はやはり焦りが出たのだろうか、東洋の流れに乗った走りが目立っていた。
復路も往路と同様に、各区でドラマがあり、またもや城西が8区で意識朦朧の状態で棄権が出ていた。
東洋大は、戦前の部員逮捕などの騒動があり、だれが優勝を予想しただろうか?
部員全員が結束して逆境を跳ね返しての、完全初優勝には、文句無く大拍手をしたい。
歓喜の胴上げも自粛しての沿道の応援者に、一列しての一礼には、選手の気持ちを思い涙が出た。
駒大や東海大は、結局往路の結果が尾を引いて、為すすべも無くシード権を失った。
全日本や出雲の結果を知っているだけに、この結果は全く予想できなかった。
正しく今年は、戦国駅伝であった。
明治大のシード権獲得や青学の34年ぶりの襷を繋いだのには、その健闘に拍手するとともに、順天大の凋落振りも驚いた。
今年も、快晴の天候に恵まれて、沿道には110万人が出たそうだ。
正月恒例のマンモスイベントも、数々の感動を呼んだようだ。
家族や身内の母校が、闘ったので力が入っていたが、結果は夫々に悲喜こもごもであった。