今年は、新コロナ感染防止のため春の一大祭りの「北条五代まつり」は、中止となりましたが、GW明けの快晴の日となり、小田原の石垣山一夜城から小田原城を巡っていました。
箱根登山鉄道の入生田駅をスタートし、長い急坂を経て石垣山へ向かいます。
入生田駅近くの早川に架かる太閤橋際には、小さな祠と石碑が立ち、歴史の道のスタートです。
太閤橋の名前も秀吉の一夜城に通じる由来の名称で、上流には箱根連山が聳えています。
坂を上る途中には、溶岩を使った土留めの石垣の段々畑が見られます。
畑には、板状節理の大岩も見られますね。
さらに上に向かうと、段々畑が続き、江戸城の石垣用の石材が保存されています。
さらに、坂道の両側の斜面には、石垣があり大岩や矢穴が残されています。
箕ケ窪橋の下には、「早川石丁場」があり、山の斜面の大石を江戸城の石垣用に化工された跡のようです。
加工した石を運んだ石曳道が残されています。
姫ノ水橋からは、箱根や丹沢などのパノラマ風景が見晴らせるビューポイントとなっています。
その先には、スタジイの大木
太閤橋から45分で石垣山一夜城に着きました。
一夜城は、秀吉が居俵北条氏を攻める時に造った関東初の総石垣の城で、城内には、石垣が積まれた当時のままの石垣の城郭が残されています。
馬屋曲輪の石垣
櫓台跡ですが、面影は判りません・・・
石垣山の天辺(241m)からの眺望も最高です。
井戸曲輪
本丸跡の芝生広場にはシャガの花が咲き誇っています。
展望台から小田原街や相模湾を望む光景ですが、秀吉も同じ光景を見ていたのでしょうか?
天守台跡
西曲輪
一夜城を巡って早川漁港まで長い坂道を下りますが、一夜城に関わった8人の武将達の説明版が並び秀吉との因果関係も学べました。
坂の途中では、富士山砦や総構の眺望を眺めながら早川漁港を目指してジョグっていました。
坂道の終わりに、秀吉公の味方だった堀秀政の供養塔と海蔵寺に立ち寄ってみました。
海蔵寺には、秀政が祀られていますが、境内には6地蔵と古い庚申塔群が設置されています。
一夜城から35分で早川漁港に到着しました。
漁港からハイキングコース最後の「早川口遺構」に向かいます。
この遺構は、秀吉の攻めに備えて造られた総構の一部で、土塁と堀を二重にした造りで現在は公園となっています。
この後、見どころの小田原城の城址公園へ向かいました【続く】