明治150年を迎えて大磯の「明治記念大磯邸園」の一般公開が始まり、見学してきました。
政界の奥座敷と言われる大磯町には、多くの明治時代に政治家として活躍された方々のゆかりの邸宅等が多く残されており、これらの邸宅と庭園を活かして湘南の邸園文化の象徴として一般開放され、久しぶりに庭園内を散策してきました。
大磯駅から邸園へ向かう上方見付跡付近から旧東海道の厄400mに亘って松並木が見られ、現在も江戸時代の光景が見られました。
「明治記念大磯邸園」では、この日も湘南の邸園文化の象徴として、旧大隈別邸及び陸奥別邸跡の庭園(旧古河別邸)が開放されていましたが、邸宅は、修復工事が行われていて、残念ながら塀に囲まれて見ることは出来ず、広い邸内を巡っていました。
大隈重信邸の裏庭には、お風呂好きだった大隈重信公が愛用した「五右衛門風呂」が保存されています。
陸奥宗光庭園には、滝の流れは見られませんが「滝石組」と名付けられた石組や石灯籠が保存されています。
当時相撲好きだった陸奥公の相撲土俵跡が保存されています。
庭園の斜面の海側の古川緑地には、相模湾を望むお休み処の四阿や松林の遊歩道があり、豪族の別邸の様子が伺える光景が保存されています。
園内の陸奥宗光別邸跡(旧古河別邸)と旧大隈重信別邸は、現在修復工事中で塀に囲まれて見られませんでしたが、園内の掲示板に提示されていた旧古河邸の光景です。
邸園を見学の後、大磯照ヶ崎海岸へ向かう途中の鴫立沢にある、鴫立庵もすでに閉館されていましたが、西行法師ゆかりの俳諧道場として湘南発祥の地を示す記念石碑が設置されて大磯の名所となっています。
照ヶ崎海岸も夏にはアオハトが飛来する名所ですが、岩場には、高波が寄せて波しぶきが立つ冬の高家が見られ、こゆるぎの浜の先には、雄大な富士山も見られました。
相模湾の先には、陽が沈む冬のサンセットシーンも見られ、寒風が吹く中でしたが、湘南の冬の光景も見られました。
この後、大磯北浜海岸で行われた冬の風物詩の「大磯左義長」の始まるまで大磯港のお休み処(OISO CONNECT)で一休みして左義長祭りを見てきました【続く】