鎌倉獅子舞の紅葉狩りの後、二階堂川沿いの山道を下り、復元工事が終わった「史跡永福寺跡」に立ち寄ってみました。
「永福寺」は、源頼朝が建立した三大寺院の一つで、室町時代に廃寺になった国指定史跡となており、二階堂、阿弥陀堂、薬師堂などの基壇と池が復元されています。
池の周りの散策路に置かれた復元図から往時の姿が見られますが、平泉中尊寺の二階大堂を模して建てられたようで、「二階堂」の名がつけられ付近一帯の地名にもなっています。
二階堂を挟んで左右対称に薬師堂・阿弥陀堂が建てられ、南北約200mの池が配置されています。
復元された永福寺跡に設けられた散策路を巡るとその壮大な様子が連想されました。
三御堂の基壇にも自由に上がることが出来るようになっています。
裏山には、厳しい階段を登る散歩道があり山腹には小さな祠が置かれていましたが、その由緒は不明でした。
最高点からは、永福寺跡を見下ろすことが出来、東の山は冬の陽を受けて鮮やかなオレンジ色に染められていました。
散歩道の周りも紅葉が進んでいますが、聖域の空間となっています。
永福寺跡を一巡りして大塔宮(護良親王)を祀る鎌倉宮に立ち寄ると、拝殿前のもみじが鮮やかな真っ赤に色づいていました。
護良親王の身代わりとなって自刃した村上義光を祀る村上社の前には、「撫で身代わり像」が置かれて、病気や厄除けの身代わりのご利益があるそうで、腕や腹、膝など真っ黒にピカピカ光っていますね~
「永福寺」は、源頼朝が建立した三大寺院の一つで、室町時代に廃寺になった国指定史跡となており、二階堂、阿弥陀堂、薬師堂などの基壇と池が復元されています。
池の周りの散策路に置かれた復元図から往時の姿が見られますが、平泉中尊寺の二階大堂を模して建てられたようで、「二階堂」の名がつけられ付近一帯の地名にもなっています。
二階堂を挟んで左右対称に薬師堂・阿弥陀堂が建てられ、南北約200mの池が配置されています。
復元された永福寺跡に設けられた散策路を巡るとその壮大な様子が連想されました。
三御堂の基壇にも自由に上がることが出来るようになっています。
裏山には、厳しい階段を登る散歩道があり山腹には小さな祠が置かれていましたが、その由緒は不明でした。
最高点からは、永福寺跡を見下ろすことが出来、東の山は冬の陽を受けて鮮やかなオレンジ色に染められていました。
散歩道の周りも紅葉が進んでいますが、聖域の空間となっています。
永福寺跡を一巡りして大塔宮(護良親王)を祀る鎌倉宮に立ち寄ると、拝殿前のもみじが鮮やかな真っ赤に色づいていました。
護良親王の身代わりとなって自刃した村上義光を祀る村上社の前には、「撫で身代わり像」が置かれて、病気や厄除けの身代わりのご利益があるそうで、腕や腹、膝など真っ黒にピカピカ光っていますね~
永福寺はとても広い境内ですね。
そうですか、源頼朝が平泉中尊寺を想いながら模して造られたお寺なのですね。
永福寺はどの辺りかスマホマップをみま
永福寺は、鎌倉の瑞泉寺方向の鎌倉宮の奥にあります。長年復元に向けて史跡調査していましたが、ようやく復元され、一般公開されました。
昔を偲ぶ機会となりました。