小江戸川越まつりで川越巡りの最後は、川越大師と呼ばれる喜多院周辺を巡っていました。
本丸御殿の南側には、川越城の遺構として田曲輪門史跡と富士見櫓跡が残されていますが、名前の通り富士山が望めた高台だったようで、現在は小広場が残されています。
川越城本丸御殿近くには、川越城の天神様と言われる三芳野神社が鎮座し、お城の鎮守として城内にあったため、一般人の参詣が困難だったため、その様子を詠んだ わらべ歌の「とおりゃんせ」の発祥の地として、親しまれていたそうで境内には記念の石碑も見られます。
神社の拝殿や本殿は、江戸城二の丸の東照宮本殿を移築したそうで、権現造りで懸魚などにも格調ある景観が見られます。
川越大師(喜多院)へ向かうと、「成田山川越別院」入口では、見守り不動の姿が見られます。
成田山川越別院の境内入口には、密教の法具の杵の形をした金色の「大五鈷杵」が置かれ、その奥には四国霊場八十八ケ所の御砂踏みがあり、お砂の上に立ち参拝して、「大五鈷杵」に触れることにより、御利益を授かる開運スポットとなっていました。
「川越大師」と言われる「喜多院」は、川越大火で焼失後、江戸城から徳川家光公誕生の間や春日局の間などが移築されたそうで、徳川家ゆかりの名刹となっており、国の重要文化財となっています。
平面の初層の上に宝形造りの二重層を有する「多宝塔」には、二体の釈迦如来が祀られ、この日は扉は閉じられていましたが、江戸時代の貴重な建造物として重要文化財となっています。
喜多院の境内にある「五百羅漢」は、日本三大五百羅漢の一つで、内部には、約50年かけて建立された、中央の高座の大仏・釈迦如来・阿弥陀如来を含めて538体の羅漢様が鎮座し、人間味あふれた親しみやすい表情の羅漢様が並ばれて、和みの空間が創り出されています。
川越ガイドチラシなどに使われている二体の羅漢様ですが、参拝者たちは、どんな気持ちじゃろうかの~と、語り合っているようですね~
眼鏡をかけた羅漢様や十二支の動物を抱いた羅漢様やお笑い、悩みなど様々な表情の羅漢さまもみられ、親しみを感じる空間となっています。
境内の「慈眼堂」には、天海僧正を祀られています。
慈眼堂前には、過って慈眼堂への参道門だった「鐘楼門」では、龍の彫刻や内部には銅鐘が保存され、国の重要文化財に指定されています。
慈眼堂の南側には、家康公が逝去して久能山から日光に遺骨を送られる際に、喜多院で大法要が行われた「仙波東照宮」が、今も保存されて「日本三大東照宮」となっています。
境内の拝殿は、日光東照宮に似た朱色の入母屋作りで極彩色の飾りも見られます。
仙波東照宮の「隋身門」
喜多院山門は、切妻造り・瓦葺の門で、川越大火で焼失することがなかった喜多院の最古の建物で国の重要文化財の圧巻の景観が見られます。
山門前の白山権現の横には、川越の街づくりに尽力されたと言われる天海大僧正の像が立ち、徳川家と天海大僧正の関わりが伺えます。
山門の向かいには、日吉大社の分霊を祀る「日枝神社」も鎮座し、家内安全・厄除けの神となっています。
三年振りに開催された小江戸川越まつりの賑やかな雰囲気や城下町の歴史などを堪能した一日散歩でした。
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