「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「10月10日」

2008年10月11日 | 家族・孫話
10月10日、以前は間違いなくこの日は「体育の日」で国民祝日であった。
この頃は、変動相場制に移行したために、10月第2月曜日が体育の日に変わった。従って、10月8日から14日の間で、毎年ずれることになってややこしい。

他でもないが、我が家の長男が10月10日生まれ。その昔の体育の日であったから、誕生日を忘れることはなかった。
でもまあ、二人しかいない子供の誕生日を、祝日でなくなったからといって忘れるわけでもない。ただ、公務員や企業のご都合主義で、連休が発生した方がいいだろうという安直な考えばかりが優先されるのは如何なモノか?とちょっとだけひねくれてみる。

そんなことより、セガレも、内容はともかくとして、大人の仲間入りをしているのだなーと思うとホンの少し感慨めいたものを感じる。

100歳からみれば、高齢者の仲間入りをした年になっても子供であることに違いはない。それからいくと、33歳はまだまだ頼りなく思うのも無理はない。
結婚して5年、そこそこの生活をしているので安心と言えば安心。0,000秒を争うカーレースのとりこから脱却しただけでも儲け物ではある。

四六時中一緒にいるわけではないので、多くは語れない。が、たまに親元に帰ってきたときの様子を見ていて思うのは、何かしら迫力に欠けるなー…いつまでたっても子供っぽいなー…と、要らぬお世話ながら一言二言言ってみたくなる。しかし、“それを言っちゃーおしまいよ…”にならないためにも、言いたい言葉をグッと飲み込む。

お母さん、あれだけはちゃんと言って聞かせなさいよ…とカミサンに任せて逃げを打つ。でも、親父の一言はカチンときても、母親のやんわりには意外な効果があることを、お父さんは知っている。自分がかつてそうであったように。
所詮、親父は親父、母親の存在価値には遠く及ばないことを思い知らされる。

返信が来ないことを知っていながら「ハッピーバースデー」のメールを打ってみるんよねー。
そして ♪♪ 俺でよきゃー 聞いてやる いつでも・どこでも・なんでも……♪と歌ったりして…。 昨夜は遅くまで宴会だったので、一日遅れのハッピーバースデーとなった。これでは言うことなど聞いてくれるわけがないよねー。

コメント (5)
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