「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「秋のお祭り」

2008年10月20日 | つれづれ噺
秋の陽差しに映えるお祭りの一つとして、「島彩る朝鮮通信士行列」の見出しにカラー写真入りで、お隣、広島県呉市下蒲刈町の様子が、中国新聞の一面に載っていた。
我が「いわくに祭り」の記事はどこを探しても見あたらなかった。やはりその程度か・・・?

 江戸時代、朝鮮通信使が島民らのもてなしに最も感動したと伝えられる呉市下蒲刈町で、住民ら約250人による通信使再現行列があった。一行は、みこしに乗った正使や副使、旗手、楽人などに扮して行進。伝統音楽や女性の華やかなチマ・チョゴリ姿も沿道の客を魅了した。 と書いてある。

朝鮮通信使そのものは、1370年代、室町時代の足利義満の頃に始まったとされている。その時代・その時の為政者によって紆余曲折ありながらも江戸時代まで続いた。とものの本に書かれている。

通信使を接待する側も、徳川幕府の命令により動いたのであろうが、九州・中国・四国諸藩がそれぞれ、工夫をこらした接待ぶりが窺える。
広島藩・浅野氏は、安芸・蒲刈での接待。長州藩・毛利氏は周防・上関での接待というふうに、通信使が寄港したり、江戸への旅の途中に立ち寄った場所で、それぞれの歓迎行事を催した歴史が刻まれている。

それほどまでにお隣の朝鮮半島とは永く結ばれているようだ。その歴史の長さの割には、何かもう一つしっくり来ない感じは一体なんなのか。
我が岩国も通信使の歴史とは無縁ではない。

錦帯橋の奥座敷、間もなく紅葉が見頃を迎える紅葉谷公園の木陰に、正装した通信使が向かい合って立つ「文人石」がひっそりと立てられている。その昔、岩国に立ち寄って休息されたのに違いない。

そんな奥深い歴史にも、たまに目を向けながら、国と国とが仲良くするも反発するも所詮人間の気持ちの赴くままなのだから、出来れば仲良く、お互い繁栄の道を歩むことを祈りたいなー。何かそのお役に立てるといいなーなどと、つい思ってみたくなる秋の夜更けである。

        ( 写真: 紅葉谷公園の木陰にひっそりたたずむ、文人石 )
コメント (6)
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