「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「渋柿や…」

2008年10月25日 | 思い出話
今年は珍しく、台風が一度も襲って来なかった。田や畑の作物に影響を与える大風も吹かなかった。お陰で、お米もレンコンも柿・栗・ミカンなど一様に豊作の当たり年となっている。
ちょっと田舎道を走ると、至る所に、たわわに実った柿の木が見られる。

桃栗3年、柿8年 という言葉がある。
ご承知の通り、小さな苗を植えてから実がなり始めるまでの期間のことで、桃や栗は割と早くから実を付けるが、柿はなかなか手間がかかる、という意味である。

それに続いて「渋柿や 丸8年の 恩知らず」という狂歌が頭に浮かぶ。
自分の中では、「桃栗3年 柿8年」と「渋柿や……」がセットになっているようだ。

子供の頃、本気ではなかったのかも知れないが、親父さんから「お前は渋柿じゃったのー」と言われた言葉を思い出す。
兄弟同じように手塩にかけたのに、兄貴は甘い富有柿。それに比べて、走るのは遅い・相撲は弱い・字も絵もうまくない……全ての面でハズレの私は、親父さんの期待を大きく裏切ったのに違いない。

でもね、渋柿だってね……と、いつも思っていた。
早くに木からもぎ取るから渋いんよ、もうちょっとそのままおいてくれたら、美味しい熟柿になれるかも知れん。
たとえ早くもいだ渋柿でも、皮をむいて太陽に当てるとか、お風呂の残り湯に一晩漬けてみるとか…、ひと手加えてやれば、渋柿ではなくなり、どんな甘い富有柿より美味しく食べられるのに……などと反発することも忘れなかったのだろう。
特別な商品価値はないとしても、今こうして普通に生きている。

子供の頃から、短距離走は得意でなかったが、長距離走はなんとか人並みに粘ってゴールを目指した。今も止まらず、なんとか走り続けている。
木に残った熟柿をカラスが突っつきにきたり、軒先に干し柿が吊される季節になると、決まったように「渋柿や 丸8年の 恩知らず」を思い出す。 秋ってやっぱり切ないなー…。

         ( 写真: たわわに実った 渋柿 )
コメント (13)
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