岩国に生まれ18歳までを岩国で過ごした、女流作家でもあり女性実業家の先陣を切ったとも評価される「宇野千代」。彼女の功績を讃え永く顕彰して行こうという趣旨による「宇野千代顕彰会」が地元で活動を続けている。
今年も顕彰会活動の一環として種々の行事が実施されている。その一つが、昨日宇野千代生家を会場に行われた、1ヶ月遅れの15夜観月会。冴えわたる月光をバックに、草笛奏者の岡内章二郎氏演奏による、幻想的な草笛の音色に魅せられながら、宇野千代作品の朗読も行われた。
つたない自分本位のブログやエッセイではあるが、人前に公表してはばからない私にとって、岩国出身の作家というだけでも少なからず興味をおぼえる。その上、ひょんなことから顕彰会とのご縁が出来て、裏方のお手伝いも兼ねて初めて参加してみた。
美しい15夜の月を愛で、どこにもある木の葉で哀愁を帯びた日本人好みの音色を醸し出す草笛のマッチング。この季節ならではの芸術の秋に浸った。
朗読は、宇野千代をこよなく愛する地元の女性がほとんどで、6名がそれぞれ読み慣れた部分を3分程度マイクを通して読み上げる。
その中へ押し出されるまま一人異色が混じって朗読に初挑戦。結果の善し悪しは別として、本人は結構楽しい思いをさせてもらったと喜んでいる。
実は昨年も推薦はされたものの、場違いな感じがしてお断りした。が、今年は思い切って挑戦してみた。もちろんそれなりの練習もした。しかし、この声帯・声色は替えるべくもなく、いささか聞きづらい朗読であったかと思うが、兎に角やってのけた。芸術の秋にホンの少々参加した気分にさせられる。
男の私が女流作家宇野千代を愛し、人生構築の手本と仰ぐのが「幸福は幸福を呼ぶ」という一冊である。単なる小説ではないが、何か、へこみそうになったとき、なんとはなしに開いてみたくなる「私流参考書」である。
芸術の秋を楽しむなどと大げさなことは言ってみるが、その実はまるで、安・近・短。参考書は手持ちの文庫本。
ではあるが、芸術も読書も、受け止める人の心持ちで価値が決まると思っている。お金はかけていないが、十分な芸術の秋を楽しんで腹ふくるる思いである。
( 写真: 観月会のサブメイン、朗読シーン )
今年も顕彰会活動の一環として種々の行事が実施されている。その一つが、昨日宇野千代生家を会場に行われた、1ヶ月遅れの15夜観月会。冴えわたる月光をバックに、草笛奏者の岡内章二郎氏演奏による、幻想的な草笛の音色に魅せられながら、宇野千代作品の朗読も行われた。
つたない自分本位のブログやエッセイではあるが、人前に公表してはばからない私にとって、岩国出身の作家というだけでも少なからず興味をおぼえる。その上、ひょんなことから顕彰会とのご縁が出来て、裏方のお手伝いも兼ねて初めて参加してみた。
美しい15夜の月を愛で、どこにもある木の葉で哀愁を帯びた日本人好みの音色を醸し出す草笛のマッチング。この季節ならではの芸術の秋に浸った。
朗読は、宇野千代をこよなく愛する地元の女性がほとんどで、6名がそれぞれ読み慣れた部分を3分程度マイクを通して読み上げる。
その中へ押し出されるまま一人異色が混じって朗読に初挑戦。結果の善し悪しは別として、本人は結構楽しい思いをさせてもらったと喜んでいる。
実は昨年も推薦はされたものの、場違いな感じがしてお断りした。が、今年は思い切って挑戦してみた。もちろんそれなりの練習もした。しかし、この声帯・声色は替えるべくもなく、いささか聞きづらい朗読であったかと思うが、兎に角やってのけた。芸術の秋にホンの少々参加した気分にさせられる。
男の私が女流作家宇野千代を愛し、人生構築の手本と仰ぐのが「幸福は幸福を呼ぶ」という一冊である。単なる小説ではないが、何か、へこみそうになったとき、なんとはなしに開いてみたくなる「私流参考書」である。
芸術の秋を楽しむなどと大げさなことは言ってみるが、その実はまるで、安・近・短。参考書は手持ちの文庫本。
ではあるが、芸術も読書も、受け止める人の心持ちで価値が決まると思っている。お金はかけていないが、十分な芸術の秋を楽しんで腹ふくるる思いである。
( 写真: 観月会のサブメイン、朗読シーン )