「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「インターネット」

2009年02月27日 | ニュース・世相
我が家の書斎にパソコンがドデンと座って10数年。インターネットなるものに手を染めて10年は優に越えた。 その間、まさに世界が広がり、見たいもの・知りたいこと・改めて確認したいことなど、多くをネットの画面に頼ってきた。言ってみればネット依存症の一人かも知れない。

メール交換によって国内はもとより、遠くアメリカのお友達とも瞬時の意志交換が出来るという便利さ。
さらにブログ発信に至っては、それこそ多くの見知らぬ方々との交流が可能になる。しかも、直接の面談や言葉の交換ではなく、はっきりとは見えない相手の輪郭・お人柄など、ほのかに想像しながら文章によって意見交換する、秘めたる楽しみ。

これは間違いなく、人生の大きな広がりとなり、人の世の広さと狭さを痛感したりしながら、結局ハマってしまう。使い方によってはそれはそれは楽しい日々となる。その一方で、中毒症状を起こす恐れのある安定剤に似たところもある。

このネットも、所詮人間が考えついたものであり、情報交換の一つの手段であることに変わりない。言ってみれば、便利な便利な道具の一種である。使いこなすのも人間、振り回されるのもまた人間である。

太古の昔、人間が火を使うことを発見。道具を使うことを発案。それらを色んな場所で、色んな方法で使いこなす知恵を身に付け、大きな大きな進歩を遂げて来た。

ところが、火によって火事が起こり生命・財産が失われる。のこぎりで木を切ればいいものを、使い方を誤って足を切ったり手を失ったりする。 このように道具などというものは、上手に使えばこれほど便利なものはない。しかし一歩間違えばたちまち命取りになりかねないリスクを背負っていることを忘れてはならない。

高校生が、クラスの仲間が気に入らないから、爆弾を作って危害を加えることを計画。その製造方法をネットで詳細に知り得る恐ろしい現実。 誹謗中傷の書き込みなどによるブログ炎上なども後を絶たない。
道具や一つの手段である以上は、個人が勝手に使用する範囲を制限するのは難しい。が、“ほとんど野放し”状態にあるネット社会の現状に問題なしとは、どう考えても行き着かない

お腹が減っていては持ち上げにくいほどの重さ4㎏の広辞苑。何かにつけて頼りになる古い百科事典・現代用語基礎知識。このような分厚い参考書の代わりに、右手人差し指1本で大半が解決出来るネットの力を、今後も上手に大いに活用して楽しいネット付き合いをしていきたいなー…。

          ( 写真: 4㎏もある広辞苑・百科辞典など、ブログ必需品 )
コメント (8)
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