「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「誰が袖の手水鉢」

2010年05月04日 | つれづれ噺
有り余るエネルギーを、どこでどのように発散させるか・・・。
孫兄弟を預かる時の大きな課題である。
ただ遊ばせるだけに専念も悪くはないが、ほんの少しは、ジジ・ババの思い入れも満足させたい。
そんなわけで、今回の城山登りは、今までに通ったことのない「けもの道」を往復させることにした。
上がり口を探すうちに、岩国藩主吉川家の墓所をめぐるコースを思いついた。
うまく誘導して、これが誰のお墓。これはこの人の子どものお墓。などと説明しているうちに、吉川家12代当主「吉川経幹(つねまさ)」の墓前に出た。

墓石のすぐ左手に「誰が袖の手水鉢」が、苔むして歴史の永きを偲ばせる。
この手水鉢は、備中国奉行であった「小堀遠州」の作と言われ、経幹の姉の夫「小堀勝太郎」が経幹に贈ったと伝えられている。
後に、毛利家と仲直りした吉川家からの贈り物として毛利家に届けられた。従って、ここに据えられているのはその写しだという。

手水鉢は、四方仏・なつめ型・冨士型など、当時色んな型があって、誰が袖型もそのうちの一つである。有名なところでは京都清水寺にも誰が袖型が保存されているという。

手水鉢とは、元来、社寺の境内にあって神仏を拝むとき、手を清め口をすすぐための浄水を張る器であった。
後には厠のほとりにおき、用足し後の手洗い用として普及していった。

           
・・・とまあ、こんな物語を秘めた、誰が袖の手水鉢にも出会う、けもの道登山の顛末。
お後がよろしいようで・・・。

      ( 写真 現在苔むしている、誰が袖の手水鉢 )
コメント (2)
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