江戸時代に建てられた、日本一高い常夜灯(当時の灯台)
神無月も往った。いよいよ霜月。こよみも残すところ2枚になってしまった。
年内に目鼻を付けておきたいこと。来年に向けてしっかり段取っておきたいこと。何が何でも年内に実行しなければならないこと、したいこと・・・。色々あるものだ。
今日11月1日は「灯台記念日」だそうである。
あの一世を風靡した「喜びも悲しみも幾歳月」で知られる、三浦半島観音崎灯台。
日本初の洋式灯台として着工されたのが、明治元年の今日ということである。
明治2年からこの灯台が活躍を始める前、つまり 江戸時代の海上交通の道しるべ、当時の灯台として大きな役目を果たしてきた、常夜灯。その中でも日本一高い鞆の浦の常夜灯をくしくも一昨日見てきたばかりである。
潮待ち港鞆の浦の歴史ある常夜灯を、今一度少しだけ復習しておきたい。
鞆港の中心部に位置する「常夜灯」は、港町鞆の浦のシンボル的存在で「いろは丸展示館」のすぐそばでもある。常夜燈は、灯籠燈(とうろどう)と呼ばれ船の出入りを誘導する江戸時代の灯台。海中の基礎石からの高さは約10m。港の常夜燈としては日本一の大きさで、「雁木」とともに鞆の浦の代表的な観光施設となっている。と書かれている。
灯台は、沖合を航行する船からはよく見えるように、安全を祈りながら灯をかざす。
ところが「灯台もと暗し」などと、遠くは明るく照らしても、肝心な自分の手許には明かりがこない。つまり他人のことは目に付くが自分の近辺は見えにくい気付きにくいことの代名詞であり、負のイメージになっている。「灯台は人を照らして己を照らさず」
が、灯台もと暮らしは、沖行く船の無事を祈って灯をかざすこの灯台ではないのだ。その昔、菜種油で灯りを取っていた頃の、燭台を載せる台のことらしい。
なんのことはない、灯台ちがいなのである。残り少ないこの一年、いまさら変わりようがないかもしれないが、このような勘違いを少なくして終わり良ければといきたいな~