「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「観賞・鑑賞の秋」

2011年11月15日 | 季節の移ろい・出来事

      

市民文化祭の一つ、「邦楽大演奏会」を鑑賞した。全11曲、およそ3時間を楽しんだ。
曲想も様々。耳になじんでいる曲もあれば、現代風なテンポやパンチの利いた曲もある。
あの小さな指に合う爪(ピック)があるのだろうか、と思うほどの幼い子が両手を一杯に伸ばして弾いている。演奏しているというより弾いているいると言う方が似合っている。
思わず頬がゆるみ、思いっきりの拍手を贈りたくなる。

プログラムをよく見ると、「琴」「箏」「三絃」「十七絃」「尺八」などと、演奏楽器と奏者が書かれている。中には「箏本手」「箏替手」というのもある。こうなると分りにくい。

先ずは、「琴」と「箏」の違いが分かりにくい。本来が「箏」であったものが常用漢字に含まれないために「琴」と書くようになった。とか、「箏」では柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、「琴」は弦を押さえる場所で音程を決めるという特徴を持つ。などと言われるが、素人には今一つ分かりにくい。が、それにしてもこういったステージに登場される方の腕は、聞く価値のあるものではある。

ついでに言うと、「琴(きん)」は、箏も琵琶も含めて、絃を指で弾く楽器を総称しているともいわれる。明治時代に洋楽器が入ってきたときの日本語訳が面白い。
洋琴(ピアノ)・風琴(オルガン)・手風琴(アコーディオン)・提琴(ヴァイオリン)・自鳴琴(?はて何でしょう)。などと呼ばれたように、「琴(きん)」は、人間の息によって音を出す吹奏楽器とは一線を画し、音を奏でる幅広い楽器をイメージした呼び方だったのだろう。

このように、芸術作品や音楽などを理解し味わうことを「鑑賞する」という。
一方、菊花展や紅葉を見て楽しむのを「観賞する」という。観賞と鑑賞、琴と箏。
ややこしや、ややこしやではあったが、芸術の秋・鑑賞の秋に束の間のくつろぎを得た。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい