10月16日、恒例の岩国祭り。
10月の第3日曜日と前日の土曜日は、岩国駅前一帯を会場とする数多くのイベントで盛り上がる。岩国駅から西に延びる、片側2車線の国道188号は、朝から骨董品など雑多な出店や食料品のお店など、所せましとひしめき合う。その隙間を縫うように、右往左往する大勢の見物客で埋め尽くされる。
午後2時半にはそれらの店が一斉に閉店、後始末をし、道路は元の邪魔物のないきれいな路面にもどされる。そこへ、天然記念物岩国しろ蛇保存会の御神幸として張り子の大蛇が練り歩いたり、地元の山車が太鼓を打ち鳴らしてまかり通る。といった具合。
その後、約30分を岩国市長を先頭に市職員・海上自衛隊・金融機関・電力会社などの、「岩国総踊り」が繰り広げられる。
コウレイの岩国祭りと入力したら、先ず出てくるのが「高齢」の文字。まさしく高齢化社会を絵に描いたように、子ども達の参加も見物も今までより少なく淋しい思いを隠せない。
同時に、参加団体の減少もあって、どことなく華やかさに欠ける気がするのも、長引く不況の影響をそこはかとなく感じさせるせいだろうか。
所得倍増・高度成長華やかな頃。我が岩国工場も100人規模の踊り子を出して祭りを盛り上げていた。若手のバリバリで踊っていた頃、当時の工場長に「岩国を代表する企業という割には、浴衣の帯が腰ひもでは恥ずかしい。せめて角帯にしてもらえないか」と直談判に及んで、翌年から改めてもらった。そしたら、女性の衣装はそれまでより飛びっきり華やかになったことを思い出した。考えてみれば、カッコよさを求めたのにはそれなりの個人的理由があったのかな。ひょっとしたらやがて家族になるかもしれない人が見に来るとか・・・。
血気盛ん、怖いものなしの時代もあったような。
『あれから40年…』 は、中高年のアイドル、綾小路きみまろのキャッチフレーズだが、文字通りあれから40年。朝から晩まで、2歳半の孫をひたすら守りをする忙しさに追われ、第55回という岩国祭り見物で終わってしまった。所詮このような貧乏クジが性に合っているのかも。
たとえ2歳でも6歳でも一人よりはよさそうなこともありますが、
自分の覗きたいところも寄れず、じっと見ていればあっちに行こうと引っ張られ~。
孫守のベテランさんとはいえ、こうしたことはどうしようもないことでしょうね。
見物で終わって結構結構!?
何を他に求めて…
一歩前進あるのみだった青年期
祭りの日 目が合い意気あい やがて恋
サブちゃんの祭りの歌も聴こえ来る
あの衣装にはそんな裏話があったなんて・・・
へ~「やがて家族になる人が・・・」なんてこともあったのですね。それは力が入ると言うものです。
私は恥ずかしいのが精いっぱいで、傘で顔を隠し下を向いて踊る様な内気でおとなしくて・・・ええっと・・・それだけでした。
あの活気があった頃が懐かしいですね。
でも、岩国駅前中心とする秋の祭りも賑やかなんですよ。
歴史はこっちの方が遥かに古いです。
お神楽につながる何かを見つけるかもしれない・・・などと期待を込めて時間をかけて見物。
「よさこいソーラン」のステージも、白蛇御神幸も食い入るように見つめる真面目さ。
おねだりは、ジュースとポテトフライくらいで割とおとなしく見てくれました。
一度だけ、入ってはいけない道路に入って、山口国体のマスコット「ちょるる」と握手をして喜んでいました。
祭り・・・気持ちを浮き立たせる秘めた魅力がありますね。
そんな背景があって、目と目が合って・・・。
そっかー、祭りがご縁だったの?なんてね。
オット、ピヨピヨさんのことではありません。
はるか以前から岩国総踊りには出ていました。昼の休憩時間に体育館で練習させられて。
その頃は、ちゃんとした日舞のお師匠さんが、本気で教えに来られていました。
その割にみっともない衣装だったので、つい余計なひと言を。
でもあれから現在のようなピンクの蹴出しをあしらったお色気衣装になったんよ。
どこの土地にも似たような行事があるものです
「岩国祭り」のブログを読んで、また昔のことを思い出しました、昔主人が山形勤務のころ山形では「山形花笠まつり」というのが8月10日に行われ、市民や各事業所、各団体が市中を花笠音頭を踊りながら一晩中市中を練り歩くという行事があり、主人の役所も管理職以上は必ず出ることになっていて、主人も渋々参加して下手ながらも懸命に踊っていたのを思い出しました、謹厳実直な主人が踊っているのを,なんだか可笑しくて見物したのを思い出だしました
あの頃高度成長の時代は世の中も活気があって明るく良い時代でした。
ですが、今あるこういったお祭りはやはり残していきたいものですね。
只そこには、10年1日でない工夫や改良は欠かせません。
ご主人も駆り出されて踊っておられたのですね。やはりその頃は個人的にも社会的にも活気があったように思います。