104歳の大往生を遂げた叔母の四十九日法要が終わり、一つ予定欄に横線が入った。
気持ちを込めて法要には立ち会ったが、この叔母の死は、私たち夫婦にとっていまだ受け入れ切れていない部分があるような。
亡くなるちょうど1カ月前、完全寝たきり状態で点滴のチューブにつなぎとめられたベッドから「あんたのお作りる寿司はおいしかったね~」と言われたのが、この叔母の最後の言葉であり、最後の会話となったのである。
出来るなら今一度、ホンの一口でいい、味わってもらって「おいしいね~」という言葉が聞きたかった。
それになんかしらおふくろ孝行しているような錯覚を味合わさせてもらっていたことにも気づかされる。
こちらの都合で無理やり長生きをお願いするのも酷な話であることはよく分かっている。
それでも、認知もなく、書を読み、世間を語る叔母のもとに、足を運ぶ喜びを感じていたかった、という我がままが残る。
今さらそんな繰り言を並べても仕方がない。もう真っ白いお骨と化してお墓に納められたのだ。
気持ちを新たにしたとたんに8月を迎えた。夏休みも佳境に入り、行動的な7歳児に尻を突っつかれる、暑い夏である。
相変わらず「放課後教室よりじいちゃんちがいい」とはっきり言う彼を、迎え入れないわけにはいかない。
そんな彼との付き合いの合間を縫って、地元小学校の竹細工教室の指導や、花壇の水やりボランティア、草刈りや樹木剪定の学校整備活動など、彼とは直接関係ない奉仕活動も目白押し。予定表を見るだけで汗が噴き出そう。
我が家はといえば、今年も地球温暖化対策に貢献しようと、緑のカーテンづくりに挑戦した。
毎年、宿根の琉球アサガオで緑のカーテンというか、「花すだれ」を作ってきた。
今年はもう一つ欲張って、ゴーヤーを4本植えて、琉球アサガオ、普通のアサガオ、それにゴーヤーと、プランターにひしめいている。
厳密にはゴーヤーは2回目の挑戦で、初めてチャンプルーができるほどのゴーヤーが取れた。少しズングリむっくりタイプ。
ゴーヤーは、孫芽から実を付けるのだそうな。遠慮なく最初の芽は摘み取るように、と教わった。実を結んだ。
支離滅裂な8月のスタートだが、水分補給で熱中症対策と、カープの応援だけは欠かさないことを宣言する。
まあ無理のないように、と言いながら、忙しさには追われることもあるけど、ぼちぼちと。