「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「やっぱり9月15日は」

2011年09月15日 | 思い出話

     
         敬老の日は9月15日が覚えやすくていいね。

敬老の日と言えば9月15日。長い間なれ親しんできた日である。
亡くなって2年9カ月になる母を、確実に思い出させる日でもある。
生前は、正月やお盆以外に年2回は必ず、姉弟や孫たちが集まって、ささやかだったり派手に騒いだりして、母を中心に輪ができたものだ。
一つは4月1日の誕生祝い。お花見には少し早いが、桜なしの花見を何度もやってきた。今一つが9月15日、敬老の日である。

年老いてからは、本人は静かに笑って見ているだけという宴会が多かったが 「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という趣旨を忘れはしなかった。
今から9年前の祝日法改正で、ハッピーマンデー採用の結果9月の第3月曜日が敬老の日となって、有難味が薄れた感がある。
そのときの法改正に大反対したお年寄りパワーに屈する形で、「9月15日を老人の日」という、あまり名誉ではない呼び方に落ち着いてしまった。
そしてその後の1週間を老人週間として現在にいたっている。

敬老の日が来ても、特にお祝いをするでもなくなった。白寿を迎えた叔母が元気でいてくれるのが唯一のお祝いだが、これとて従兄弟が主役を相務める。
などと考えているうちに自分が祝ってもらう立場になりつつあることをコロッと忘れるところだった。いやいやまだ敬老祝いは早すぎる。
せめて誕生祝いを派手にやって欲しいものだ。などと、段々わがままを考え始めること自体が、敬老祝いの主役に近づきつつあるということかな・・・。

な~~んの、まだまだ!!
自覚が足りないと思われようと思われまいと、これからもうひと花・・・。そんなわけないか。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「振られたフの字の・・・」

2011年09月13日 | 家族・孫話

     
          河原で拾った石に絵付け。振られたフの字の・・・

孫兄弟の二学期が始まって二週間。
18日に行われる運動会の練習に余念がない。それでなくとも日焼けした顔が、紫外線の強い秋の日に焦げて、5年生のお兄ちゃんなどは黒光りしている。

夏休みの宿題も色々やった。毎日の一行日記に、数日おきの詳細日記。そして一番印象深い出来事を絵日記に。
もちろん、夏休み帳、自由研究。書道に絵、さらに工作。結構大変なものだ。

中でも、泳ぎに行った川で、重いほどの石ころを拾って帰った。
「石に合った絵を描いて色を塗って、先生を驚かす・・・」と。その意気や良し。
ところが、待てど暮らせど進んで絵を描いたりしない。もちろん色塗りもしない。

しびれを切らしたばあちゃんが、得意の色塗りを始めた。
彼らも少し興味をおぼえてやり始めた。実にお粗末。でも仕方がない、初めての体験だ。
ばあちゃんの作品はご覧の通り。もし、これを学校に提出したら「君のおばあちゃんは絵が上手だねー」と先生から褒められるに違いない。

孫達も先刻承知。このカッパさんも栗もお魚も持っていこうとはしなかった。自分たちの実力と比べ、あまりにも出来が良すぎて、持っていくのが恥ずかしかったのだろう。もっと幼稚なのはいくつか喜んで持っていった。もちろん自分たちの拙い作品と混ぜ合わせて。

最も良くできたこれらは見事彼らに振られた。「振られたフの字のふの悪さ・・・」ついに2歳児のオモチャの仲間入り。
こんなのばかりではない。じいちゃんの発案に見せかけたパクリで実験をやらせ、見事なグラフも書き上げさせて兄ちゃんを喜ばせた。

そんなこんな夏が行き、いま運動会一色。
カメラを抱えて走り回るじいちゃんの運動不足解消になるのだろうか?

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「名月や・・・」

2011年09月12日 | 季節の移ろい・出来事

      
      中天に煌々と冴える、中秋の名月  9.12  21:00

  “ 月が鏡であったなら 恋しいあの子の面影を そっと覗いて見ようもの・・・ ”

厳しい残暑、紫外線の強いジリジリする太陽に悩まされながらも、秋はやってきた。
見上げる夜空に旧暦8月15日、十五夜の月が冴える。
思わず、「月が鏡であったらな~」などとつぶやいた、遠い昔がよみがえる。

きれいなお月様を眺めると、今は三児の母となっている娘の幼稚園時代を思い出す。
運動会の前の晩、あいにくの曇り空で出ているはずのお月様が見えない。お風呂上がりのパンツ一丁で「懐中電灯貸して」と言って外に出る。
「なにしとるの」「お月様がどこにもおらん、明日は雨かもしれん」と今にも泣き出しそう。
軒下から植え込み、側溝のフタの奥までくまなく探したようだ。
娘のアタマほどもある大きなテルテル坊主を吊して「大丈夫、明日は天気になるよ」と言うと、間もなく寝息を立て始めた。

今年こそは海から昇る名月を・・・と勢い込んで海辺に出た。
遙か水平線は厚い雲に覆われ月の影が見えない。それこそ懐中電灯で月を探したい気分になる。待つこと25分。海面よりかなり昇ったところでようやく雲が切れた。やっと顔を出した。ウンウン、まずまず撮れた。
今この時間は、頭の真上で日本列島を一様に照らしていることだろう。
東北の夜空も、このきれいな満月で満たし、明日を信じて生き抜いて頂きたいものである。そして、世界中の夜を迎えている国々を同様に照らしているに違いない。


    水平線は厚い雲に覆われて・・・
             
               海面よりかなり昇ってようやく顔を・・・

      いよいよ中天目指して・・・

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オソマツ!!」

2011年09月10日 | ニュース・世相

        
          一連の言動の責任を取って辞任。鉢呂経済産業相

9月2日に認証式を終えたばかりの民主党野田内閣。
まだ仕事らしい仕事もしないうちに早くも閣僚の辞任劇。任命着任からわずか8日の大臣交代。それも、国民のだれもが注意深く見守る一大事の、福島第一原発事故処理、今後の展望を課題とする、言うなれば世界が注目している中での、全く配慮に欠ける言動。

いったい何を考え、何を思って国政のバッジを胸につけているのか、聞いてみたい。
辞めれば済む問題ではない。不用意な発言をしておいて、撤回すれば解決するとでも思っているのか、聞いてみたい。そういえば「政権交代」を掲げた内閣で、言いたいことを言い放っておいて、何度も「不適切な発言がありました」と、ろくに詫びるでもない不遜な官房長官がいて、政治不信を助長させたことを思い出した。

思いつきや個人の見解をさも国家の案件であるがごとく平気で広言し、「見通しが甘かった、勉強不足だった・・・」などとのたまう総理大臣。元々こういった体質の集団なのかもしれない。国家の品格、国会議員の品格は、選んだ国民の品格が問われる、とどなたかおっしゃったが、いま、国家の存亡がこの人たちの手にあるのかと思うと、夏の終わりの秋風が身にしみる。

平野復興担当大臣は、「大変残念だが、鉢呂経済産業大臣が決断されたことだ。こういうことで復旧・復興に支障が出ないようにしっかり仕事をすることに尽きる」とは言うものの、なんともオソマツに過ぎる。これが国家を代表する大人の集団なの???

「この手の次元の低すぎる話があまりにも多すぎる。野田総理大臣の任命責任は重大だ。論功行賞の不適材、不適所の内閣を作ったから、このような事態を招いた。もう衆議院の解散・総選挙で国民に信を問うしか選択肢はない」と、野党の党首の一人が述べる。

血圧が上がりそうな話なので、ここらへんで止めおこう。幸い、低血圧でよかった。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「太平の眠りをさます・・・」

2011年09月09日 | 趣味・・エッセイ

          

暑さや忙しさにかまけて畑から目をそらしていた。
そろそろ秋ジャガの植え付けシーズン。本格的に畑を作らないと間に合わない。
お友達に催促されて、畑の土が見えなくなるほど盛り上がった草取りから始めた。

ひと鍬入れて草の根を起こしたとたん、厳しいやぶ蚊がまとわりつく。文字通り、追っても払っても執拗に、カッターシャツやズボンにへばり着いてくる。
こっちだって肌を露出しているのは顔や首の部分だけ。なのに厚かましいヤツは耳の横で「ブ~~ン」「チュ~~ン」と唸る。ご馳走にありつけると勘違いしたものか、死に物狂いで襲ってくる。無理もない。

ヤツらにしてみれば、間もなく終わる自分の命のはかなさを知って、草の葉蔭で静かに余生を送ろうとしているところへ、いきなり住処(すみか)を襲う人間の横暴。
「黙って見過ごしてはやぶ蚊の名がすたる・・・」と思ったかどうか知らないが、兎に角徒党を組んで対抗する。
しかも、うまくいけば大好物の人間の生き血が吸える。戦闘的になるのもうなずける。

“ 泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず ” とは江戸末期のペルー率いるアメリカ海軍が4隻で浦賀沖にやってきた来た時の江戸狂歌である。
これ以来、攘夷か開国か、国内を二分して大騒ぎになりやがて明治維新となって行く。
風もない、雨も降らない穏やかな天候の葉蔭で、泰平の夢をむさぼっているやぶ蚊にとっては、まさに迷惑千万な闖入者に違いない。

ただ、やぶ蚊も刺す相手を心得ているという。先ずは幼い子供のやわ肌。ついで女性、それも年齢を見分けるらしい。そして若い男。いよいよ最後に年老いた男の肌という順番を持っているそうだ。作業したのは小生一人。他にターゲットがなかったから、この身の周りにまとわりついたのか。それとも、まだいける血かもしれないと勘違いしてくれたのか。

いずれにしても、刺されることもなく草取りを終え秋ジャガ畑は出来上がった。メデタシ!

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ふたたびの」

2011年09月08日 | 季節の移ろい・出来事

      
          ふたたび、花の盛りを迎えたあさがお(9月6日撮影)

今年も精出して朝顔用のおろぎを立てた。
家よりも朝顔のおろぎの方が頑丈だ・・・と隣のおっちゃんから褒められた?ほどだ。

  あさがおに つるべ取られて もらい水・・・そのくらいに可愛がってもきた。
それなのに今年の場合、最初に少し咲いて楽しませてくれてから、間もなく咲かなくなった。ホンに一つ二つ・・・と数えるほど。そのうちほとんど咲かなくなった。

しゃーない、今年は購入した苗がはずれだったのだろう、とあきらめた。
それでも、水は切らさない程度にやってはいたが、あの忌わしい台風12号に吹き荒らされ、葉っぱは茶色くしおれ、今にも枯れそうになっていた。
そろそろ限界かな、いつ抜こうか・・・と思った矢先、何を思ったか、いっぱい咲き始めた。
ふたたびの可憐なあさがおを、今楽しんでいる。

こりゃいったいなんでじゃろう。暑さの夏に咲かなくて、なんの己があさがおか・・・
織田信長ならとっくに抜き去ってしまっていたろう。たまたま抜く暇がなくて命拾いしたあさがお。もっと咲け、うんと咲け。途中さぼった分も合わせて咲け。
そしていっぱいの種を作っておくれ。日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使が、その種を薬として持ち帰ったものがいつしか花を愛でるようになったという話もある。

途中、何故咲かなくなったか知る由もないが、自分が持っていた花の数は、季節が変ってもちゃんと咲かせるということか。
自然はきっちり帳尻を合わせるように出来ているのかな~

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「里の夜明け」

2011年09月07日 | 趣味・・エッセイ

       
           スーパーで売られる卵に素敵なネーミングが

何も考えず、ただ冷蔵庫のドアに入れてあるタマゴを取り出して食していた。
味噌汁に入れることが多く、たまに目玉焼きであったりスクランブルであったり。
食べ方こそ色々であるが、スーパーでパックに入って売られているタマゴに、これほど色んな命名がなされているとは思いもよらないことだった。

自分で直接手にとって買うわけではないので、ただ気がつかなかっただけなのだろう。
その名も色々。「パワーエッグ」「スーパー生」「ピュアータマゴ」「セーフティタマゴ」など。
単に、タマゴの前か後ろに何か一言くっつけただけのものが多いようだ。

今朝、冷蔵庫から取り出したパックには「里の夜明け」と書かれたラベルが貼ってある。
「オヤッ洒落たネーミング・・・」と、たちまちお気に入り。
タマゴはニワトリが産む。ニワトリは夜明けを告げる目覚まし鳥。ラベルを見ただけで、田舎の朝もやを連想し、新鮮さが伝わる。そうなると味も栄養価も一段と濃いものである気がしてくる。おかしなものだ。

名前の力、ネーミングの影響力とは、このように味な働きをするものだと、頭の中では分かっている。だからこそ、たかが知れた内容のブログにしてもエッセイにしても、タイトルを大切にしたいと思っているし、少なからず神経を使っているつもりなのだが・・・。

あれこれ考えて付けたつもりでも「タイトルがね~」「タイトルにもうひとひねりほしい」などと何度言われてきたことか。それでもなかなか「オー洒落てる・・・」などと思えるタイトルに出くわすことは珍しい。名は体を現す・・・よく聴かされてきた言葉。「タイトルも本文の一部であり、本文の代表部分でもある」と耳タコ。わかっちゃいるが難しい。“タイトル命”

「里の夜明け」この一言で、遠い昔キャンプに行った柱島の夜明けを思い出す。
4時ごろから「コケコッコー」と鳴くニワトリの声。トントントントン漁に出て行く船のエンジンで早くから起こされた。仕方なく夜明けの岸壁に出てみると「これぞ島の朝」という、はるか沖合いに朝日が昇る絶景と、おいしい潮風を胸いっぱいに吸い込んだあの日を。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「台風は過ぎたものの」

2011年09月05日 | ニュース・世相

     
        台風は往ったものの、遠くの島が近くに・・・

猛威を振るった台風12号が、四国・本州を我が物顔に蹂躙し、日本海に抜けた。
と思ったら13号が北海道方面に接近しているとか。
二百十日に12号。それに続いて13号とは、今年は台風の当たり年の様相である。

記憶からぬぐい去ることのない、前代未聞の大地震と太平洋の大津波に襲われた、東日本大震災の傷跡を再現するような、台風被害の惨状。目を覆いたくなる。
今回は、台風がもたらす集中豪雨による山津波と河川氾濫の大洪水。

海に囲まれ、山を抱える我が国の特性につけいったような自然災害が繰り返される。
お年寄りは実体験から「こんな雨は初めてだ」「あの山が崩れるなんて・・・」と口を揃える。確かに、河川も道路も交通網も、現在のように発展していなかった昔は、これほどの集中豪雨・ゲリラ豪雨などは少なかったのだろう。
国土そのものが、人間の手によって開発され、高度化することで脆くなり、簡単に破綻を来すようになったのか。それとも、地球温暖化による自然態系が狂った来たのか。

人間の肉体と同じように、生活水準が大きく向上し、何もかも贅沢になったことで、新たな病気が生じたり人間そのものが、脆弱になっていくのと似ている。
それでも、医療の進歩で全体的には長生きである。

津波を想定して、低い土地の人々を高台に移転させる。この構想やよし。但し、地震や台風、ゲリラ豪雨・山津波という自然災害にある程度対応出来る町作りを望みたいものだ。
高台であるからといって、一点に集中して急激な開発をしすぎると、必ずや人災としてしっぺ返しが来ることを念頭に入れ、ゼネコンや土木会社が儲け主義に走らない、確かな国土作りができないものかな~・・・と。そこには確かな行政の手腕が求められるのだが。

台風12号は往ったが、遠くの島が気圧の関係か非常に近く見える。不気味だ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ふるさとのスターか」

2011年09月02日 | 家族・孫話

      
         扇子を両手に、お神楽を舞う三男坊(ケーブルテレビ画面拝借)

   真剣に見詰める三男坊            本物のお神楽を目の前に


 観客席に陣取る次男、すぐ奥が長男           インタビューを受ける長男

一週間前、夏休み最後の土・日を、お父さんのふるさと錦町で過ごした孫三兄弟。
心に残る思い出を作って帰ってきた。

その中の一つ。今年も、秋の実り多い収穫を願って、高校体育館でお神楽祭りが催された。過疎が進む小さな町ながら、伝統芸能のお神楽が継承されている。
お年寄りから習った高校生も混じって「向峠(むかたお)神楽団」は健在である

お神楽大好きの2歳4ヶ月悠雅くんを筆頭に、三兄弟が見物に訪れた。そこに、地域密着のケーブルテレビが取材に入っていた。お神楽ビデオで磨いた腕前を発揮、扇子を両手に持って器用に舞う悠雅くんや、お神楽観賞のインタビューを受ける兄ちゃんのアップなどが、昨日から今日にかけて、ケーブルテレビ・ニュース番組で放送されている。

ここから60キロばかりの山間地。遠来の客として何かにつけて歓迎してもらっている。
この子達が成長したとき、このふるさとはいったいどう変わっているのだろうか。
格別大きな産業があるわけではない。農業や林業、畜産が主要となるのだろう。
遠い将来、三兄弟が力を合わせて、一大営農や養鶏・畜産など、地場産業の担い手として、ふるさと再生のスターとなり得るのだろうか。

ちょっと考えてみる余地はありそうだ。猫も杓子も憧れる都会生活に対抗してみるのも面白そうだ。などと、ジジが勝手な事を考えて、将来あるヤングを、過疎の進む集落に結びつけるのは如何なものか。ちょっと可哀想かな~。でも、未知の魅力もあるような。

      (写真はいずれも、ケーブルテレビ画面を撮影したもの)

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三分の一に腕をまくって」

2011年09月01日 | つれづれ噺

      
       真夏の暑さにも負けず、今も咲き誇るご近所のノウゼンカズラ

今日から9月。1年を三分の二過ごしたことになる。
残り、というか、これから始まる三分の一をどうやって過ごそうか。どう過ごしたいか、ちょっと腰を落として考えてみよう。ヘタな考えやすむに似たりともいうが。

3月11日以来、どういうわけかこれまでのように、胸を張って、前を見据えて、時に言いたいことを言って、声高にしゃべって・・・という普通の生活が、何かしら少し憚られる感じから逃れられなかった。ややうつむき加減、何かに付けて少し引いた感覚。「ウッソじゃろう・・・」という声が聞こえてきそうだが、本当に自分の中ではそうであった。何をどのようにしたかと問われても、これこそ気持ちの奥底にある、自分でもコントロール出来ない不思議な感情なのである。言うなれば、柄にもなくメンタルヘルスを損ないかけたとでも言おうか。

それはそれで置いておこう。間もなく発生から半年を迎える東日本大震災。
今日は防災の日。各地で様々な災害を想定した防災訓練が展開されている。特に今年は、防災意識の高まりの中で、これまでのおざなり訓練とは異なる成果を上げたであろうことを期待したい。

さて何をしよう。先ずは少しゆるんだネジを巻いてみるか。
バネが延び切ってしまうほどゆるんではいないと思う。いや、ひょっとして修復利かないほど延びたかも。兎に角、今まで関わってきた色んな事柄を今一度見直すことから始めよう。はすかいに置くのではなく、正面に据えてみよう。

・・・などと、半分言い逃れを吐露しながら、自分に気合いを入れてみると、今日から始まる三分の一が少し面白くなってくる気がする。
横っちょ向いていては始まらない事柄が三つ四つは横たわっている。
軽~~く腕まくりしてはしゃいでみよう。大晦日の締めくくりが、大きな顔で書き上げられるように。そのためには、ちょっと助走が要るのかな~。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい