「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「100分の1秒の世界」

2012年01月18日 | 趣味・・エッセイ

       

孫兄ちゃん二人が、西日本小学生スキー大会に挑戦した。
鳥取県スキー連盟主催で、大山の国際チャンピオンコースを使っての本格的大回転レースに挑んだ。

全日本大会への出場権をかけて、来月行われる本戦のいわば前哨戦の意味合いを持つという今大会。5年生の兄ちゃんは小学校高学年の部。3年生の弟は低学年の部。
それぞれに持てる力は存分に発揮したようであるが、100分の1秒を争う世界、いつも思い通りの成績が得られるほど甘くはない。

3年生のカー君は低学年の中では最上級生、体力的には分がいい。それでもトップから1秒86の差で4位。メダル圏内とは0秒57の僅差。とはいえ、0,01が天国と地獄を分ける厳しい勝負の世界。ストックもうひと掻きが勝敗を分ける。
兄ちゃんは6年生を相手の勝負となる。旗門ギリギリ限界をクリアーしなければ入賞は望めない。どうしても無理ををする。プレッシャーもあるだろう。瞬間の右足かかとの使い方を誤ってタイムロス。トップと4秒69の差で13位。ということは、5秒の中に15人がひしめいているという厳しさ。
あっけらかんと勝負の感想を話してくれる。ジジは新聞記者のような気分

スタート地点1055mフィニッシュ地点830m。標高差225m。最高斜度25度。旗門数26本、一本たりとも外せはしない。うまく回り込みながら時速70~80kmで雪を噛む。
同じコースを同じように滑降する兄弟。「旗門を通り過ぎるスピード感はたまらんよ・・・」と兄ちゃんが言えば、「オレはもうちょっと体重が欲しい」と弟が言う。

100分の1秒に一喜一憂する世界に挑む二人。気の毒に思う部分もあるが、『もうちょっと早く滑りたい』という意欲を持っている限り続けさせるしかない。
お父さんは大変だ。ジジも少し大変を負担するんだろうね~。

 

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「17年の歳月」

2012年01月17日 | ニュース・世相

      

1995年1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災発生。
6434人という多くの犠牲者と、計り知れない悲しみと、甚大な財産喪失という爪痕を残した。あれから17年。歳月に関係なく、あの時から時間が止まったまま、家族や親族への思いを断ち切れない人も多いことだろう。

何を申し上げても、直接お役に立てることのない空しさを承知しながらではあるが、昨年のあの東日本大震災と併せて、被災された方々が力強く、前を見据えて生きて頂く姿を応援することだけは忘れはしない。

17年前の今日、私は何をしていたのだろう。ふと思い出に浸ってみる。
図らずも押入れの奥から、分厚いシステム手帳なるものが出てきた。カレンダーはまさに1994年と1995年が裏表になっている。そのすぐ次には、東京地下鉄路線地図のコピーが貼り付けられ、手帳のリングははち切れそうなほど色んな資料が挟まっている。

前年の4月に、50歳を過ぎてからの思わぬ本社勤務拝命。
まだまだひと働き出来る期間を残しての単身赴任。この先の会社人生に役立つことは間違いないと分っている。が、地元を離れるまではどうも腰が引ける。
一旦ふっ切って出向いたら、住居となる借り上げマンション管理人さんの行き届いた歓迎ぶりもあって、すぐにその気になり、不慣れながらも外回りを愉しんだと記憶する。

それらの一つひとつがシステム手帳の1ページとなって、分厚く膨らんでいったのだろう。それが17年たった今、色褪せぬまま目の前に出てくるという不思議を感じている。
それまで本当に穏やかであった会社人生が、突然の激震に襲われた想いであったが、それをなんとか乗り越えることで、その後に納得のいく素晴らしい数年があって定年を迎えることが出来た・・・のかな。もしあの時お断りなどしていたら、このシステム手帳との再会もなかったろうし、今の穏やかさを保っていられたのだろうか。どうだろう。

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「感動の黄色い声援」

2012年01月15日 | ニュース・世相

     
       優勝テープを切る大阪チーム

沿道に繰り出し惜しみない拍手を贈る観客はいったい何人に及ぶのだろう。
いつも感心するほどの熱気に包まれる、都道府県対抗女子駅伝が、都大路42,195キロを走り抜けた。

中学生から高校・一般まで、幅広い年齢層の実力者が揃わなければ、全国1位になることは至難の業である。圧倒的な強さを誇る京都。惜しくも2位。
常勝京都を抑えたのが大阪。地元とお隣の熾烈な優勝争い。さぞかし盛り上がったことだろう。

残る力を振り絞って競技場を1周するアンカーに、それまでのタスキをつないだ同僚からはじけるような黄色い声援が飛ぶ。たまらない感動のシーンである。
1チーム9人。今回の選手は全国で423人。代役を含めると500人を超える。さてその陰には・・・言わぬが花か。

この地方では、43位と出遅れた岡山が8位入賞と大健闘。毎年選手が入れ替わる中で、伝統などどうやって維持するのだろうか。やはり個々の選手の頑張りなのだろうか。
広島が13位。我が山口県は、秋田県に次いで31位。
国体では天皇皇后両陛下賞を頂いたが、駅伝はそうはいかなかった。

ふるさとを背負って走り、次にタスキをつなぐ選手に大きなエールを贈るのはもちろんであるが、沿道を埋め、長い時間をかけて応援する地元京都の人たちにも拍手である。

そして、たとえ紙一重であろうと、華やかな舞台には立てなかったが、選手と同じように練習し、汗した多くの縁の下の力持ちにも、黄色い声援と拍手を贈ろう。 

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「伴走」

2012年01月13日 | 思い出話

        

お正月はこれを見なければ始まらないという多くのファンがいる箱根駅伝。
正式には、東京箱根間往復大学駅伝競走というこの大会。他のスポーツと同じように、この大会を通り越すことで、実業団で名を馳せたり、個人のマラソン選手などが輩出されたりする。

1月22日には、あの平清盛ゆかりの宮島を横目に見ながら、安芸路をひた走る天皇杯争奪全日本男子駅伝が予定されている。47都道府県の名誉をかけたタスキをつなぐチームワークのレース。寒風吹きすさぶ中をひた走る選手に精一杯の声援を贈りたくなる。

あれから56年。
我が通う中学校の名誉を賭けて、市内一周駅伝に参加、タスキをつなぐ一員になるはずであった。ところが思惑とは外れるためにあるようだ、私にとっては。

普段の練習は、タイムはもちろんであるが、スタミナと馬力が重視される。そして本戦が近づくと各区間ごと二人で2回試走する。早い方が選手になり、遅い方は伴走者になる。
何を勘違いしたか自分は選手になれたと思い込む結果だったように思う。
最終的には、選手の真横を「ワッショイ!ワッショイ!!・・・」と掛け声をかけながら選手を鼓舞、ひたすら自転車をこぐ伴奏者であった。

いわゆる補欠。選手にことあるときは直ちに代役を務められる位置にある・・・などと妙な納得をして、本番を待つ。そう簡単には故障者など出はしない。
結局タスキをこの汗で濡らすことなく、声をからしてワッショイワッシィに終わった青春の駅伝レース。

但し、練習の長さは変わらないかそれ以上に走ったと思う。タイムだってそれほど違うわけではない。紙一重でも選手と伴奏者に分けられる駅伝競争。スポーツの世界はいずくも同じか。ただそうした練習に耐えてきたことは間違いない。今でもちょっとだけ複雑な思いで眺める駅伝競走ではある。

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「復活!」

2012年01月12日 | 季節の移ろい・出来事

           

無病息災を願う春の七草を食べた日に奇妙な発熱。それも高熱。
何にも考えることはない、ただただ早く治りたい一心。真面目に薬を飲み、出来るだけ多くの睡眠を心がけ、昼と言わず夜と言わず、眠くなったら横になれる条件をキープ。
夜の本格的眠りの前に熱々フーフー卵酒。3連チャン!よく効いた。

かれこれ5日はかかったがもう「馬の霍乱」から完全復活と言っていい。
その証拠に、あれほど萎えていた気力がよみがえった気がする。
寒さを跳ね除けてお城山に登ってみたくなる。但しこれは単に気力のほとばしりにとどまらない。風邪対策として避けられなかった、食っては寝食っては寝のあげく、お腹周りのボヨヨン感対策でもある。

山だ山だと言う割には足元を固める登山靴も持ち合わせていない。トレッキングシューズなるものを新たに仕入れようか・・・とネットを開き、「意外に安いのがあるな・・・」と見始めたところへ、「気に入ったイタリア・Trezeta製のものを買い求めた」という友のブログが目に入る。安いものに手を出しずらくなった。でもなー、それほど度々活用もしないだろうし、履かないままに経年劣化してしまうというし・・・。

まあいい、身の丈にあったものを選んで、自慢げに足取り軽く歩いてみよう。
ブヨブヨ感がビシビシ感に変わればそれが一番の目的だ、言うことなし。

馬の霍乱からともかくも復活。ここにもう一つ馬にまつわるお話。
「汗馬の労」とは、他人のために並々ならぬ苦労をして働いている状態。また、地道な努力を重ねて、骨を折っている姿を表現する。とある。
私の近くには汗馬の労によく似た人がおられる。私自身はといえば、地道な努力はそこそこに、骨は折っているというのが当たっている。 いずれにしても復活だ!!

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「馬の霍乱(かくらん)」

2012年01月10日 | つれづれ噺

     
      1月7日、午後6時10分 東の空に浮かぶ14日の月

「いつもは極めて壮健な人が病気になることのたとえ。」と広辞苑に解説されるのは「鬼の霍乱」ということわざであることはご承知の通り。

鬼の・・・と言われるほど壮健とも思わないが、病弱・・・と言われるほどひ弱でもない。
ごく普通の健康状態を保っているだけである。にもかかわらず、どちらかというと元気ジルシだと本人が過信して来ただけの小生。正月早々こっぴどく反省を促された。

七草粥を頂く夕方、東の空にそれはそれは見応えのあるお月さまが昇ろうとしている。
兎に角カメラに。何枚かシャッターを押した。その頃から異常な悪寒が背筋を走る。
ン?なんだか寒いなー風邪か?意識して少し早目に布団に。寒い、足元がスースー、肩のあたりは毛布をからませてもマフラーが欲しくなるほどの寒さを体感。

熟睡時間の短い朝を迎え、何年ぶりかの体温測定。意外や意外38度2分。ナヌッ!朝の一番安定しているときの体温が、これまでに経験がないほどの高熱。これで先ずガックリ。身体の節々はギシギシ音を立てるほど痛む。ひたすら横になる。すぐに寝入る。

幸いなことに食い意地だけは張っている。お粥専門に食っては寝、食っては寝。
急な発熱から4日を経た今日、ようやく孫の悠雅君を抱けるまでに回復した、と思う。
誰かさんから言われたように「知恵熱」だったのかも知れん、と思っておこう。

少々の熱で休んではいられない予定もある。が、ここは一番休養優先・・・と頭では思うのだがそうもいかない。それなら一切風邪など引かないよう注意することだ。
鬼ほど元気でもない。何事にもやや大げさに反応する馬になぞらえて「馬の霍乱」ということで一件落着としたい。今年もやらなきゃならんことが山ほどある。

いち早くきれいなお月さまをブログアップしたかったのに、それさえ意欲が湧かなかったほどの高熱。本物の患いだったようだ。それでも歳のせいや忙しさのせいだなどとは断じて言いたくない自分がいる。

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「始動、いよいよ・・・」

2012年01月07日 | 趣味・・エッセイ

        

元旦から数えて7日目。向こう一年の無病息災を願って食べられる七草粥。
お節料理やお屠蘇続きで弱った胃を休める為とも言われる、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ。スズナとスズシロだけは我が家で収穫。

胃に優しいという七草粥を頂いた。ということは、いよいよ今年の本格始動ということで何となく気合いが入る。というか、気合いを入れなければならない年初である。

しつこいほど言ってきたように、間もなく古稀70歳を迎える。
3月末日、正確には4月1日までには同級生全員が古稀を迎えることになる。何が何でもお互いがお互いを祝福する古稀同窓会、やらなくてはならない。

同じ人生の節目にあって、定年退職の60歳に次いで、何故か一種異なる感慨を憶える節目の歳。色々ある。「よく元気で生きてきたな・・・」「いよいよ老いの境地か・・・」「まだまだこれから・・・」こんな思いを胸に、同期の仲間が一堂に会する「〇〇中学校古稀同窓会」いよいよ本格始動。

会場、会費、内容等々全て昨年のうちに協議、手配済み。
4月11日の本番に向けて、最終的日程の詰め。一人でも多く参加してもらうための幹事団の結束と意識の高揚。これらを狙って早速幹事会の手配を終えた。
15人のうち14人が出席する今年最初の幹事会。みんなの意気込みを感じる。ついつい入り過ぎる肩の力を抜くこと、遺漏なき資料作りとプロデューサーに徹しなければ・・・。

ひとつ乗り越えたらまた新たな喜びが待っている予感が。

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「完熟なのに・・・」

2012年01月06日 | 季節の移ろい・出来事

 
  完熟のピラカンサス               食べごろのクロガネモチ

年末の慌ただしい中、ホンのちょっとだけ苦労して仕上げた年賀状。
出した数に近い挨拶や近況が届けられた。よかったお変わりなくて・・・。オー!元気にやってるな・・・などと、嬉しくなったりホッとさせられたりする年に一度の情報交換。
なんだかんだ理屈抜きで気持ちがホッコリ丸くなる。

一つ心配なのは、待てど暮らせど未だに挨拶にも来ないし声も聞かせない季節の使者。もちろん姿も見せないことである。

鉢植えだけに、水を切らさないように、肥料もほどほどにやり、大事に育てて実を付けさせたピラカンサス。完熟となっている。今食べなければ腐ってしまいそう。クロガネモチもそうである。「もう高いところの剪定は危ないからバッサリ切ったら・・・?」という声を聞こえぬふりして、毎年たわわに真っ赤な実を付けさせる。
今年も木全体が赤く見えるほど実を付けている。それもそのはず、この時季になっても実を食べに来ないのだから減りようがない。

季節の使者、それは先ずはメジロ。次いでヒヨ鳥のつがい。ジョウビタキやツグミなど。
何故か今年はやってこない。アンタ達の為に夫婦のバトルもいとわず実をつけさせているのだから、しっかり食べてお腹を太めておくれよ。アタシの立つ瀬がなくなるよ~。

一昨年昨年と続いた猛暑・酷暑に、厳しい冬の冷え込み。自然界に大きな変化をもたらしたのではないか。まさか小鳥たちが全て絶えるなどとは考えられないが、まったく無い話ではない。先日もチラッとそれらしいことをテレビが言っていたような。

大震災や大雨洪水など、人間界も大きな試練に直面しているが、動植物の世界もまた似たような厳しい試練にさらされているのだろうか。
小鳥さん、アンタたちの出番だよ、ご馳走を蓄えて待っているよ。
眠りをさまたげる朝の鳴き声もガマンしてあげるから、早くおいでよ・・・。元気な姿で・・・。

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「雪中の初詣」

2012年01月04日 | つれづれ噺


  気が遠くなるような弥山社(奥側中央の高いところ)        弥山社

阿品弥山4日の例祭に合わせて初詣。
まさしく、生まれて初めて登るお弥山さん。初めてお目にかかる弥山社。登山もお参りも初の試み。初物尽くしの初詣。

弥山山頂は、かつて三つの村の境界であったため、それぞれの村の鎮守様という意味合いから三神社が祀られていたという。
いつのころからか、弥山社はお寺としての管理となり現在に至っている。

仲良しお友達が弥山社の世話係をしており、是非お参りしてみようと思い立った。
標高435m。いつも登っている岩国お城山のおよそ2倍の高さ。登山ルートは幾つかある。当然車道もある。が、離合は厳しい。
何はともあれ正月三が日の、食べ放題・運動不足を解消に歩くことを決めていた。

同じく仲良しの友を誘って同行をお願いした。こちら海岸線とは違い、山沿いは朝からあいにくの雪。「今日は山歩きは危険だから温泉の方がいいのでは・・・」という親切なご提案を「えー?雪が・・・?」という語尾上がりの質問で、このくらいの雪大したことないでしょ、という暗黙の寄り切りによって、厳しい山道を歩いて登った。

途中、腰をおろして休む大先輩から差入れを受けたり、後から来た人に追い越されたり、参拝を済ませて下りてくる人を通してあげたり・・・。そのうち半端でない雪が降り始めた。
お世話をする友の計らいで庫裏に通され、熱々の美味しい接待を受けた。有り難し。

参拝を終えての帰り路。滑落の危険を避けて車道を歩いた。
どういうわけか、最後まで「そそのかされた・・・」とのたまう友夫妻と、しゃべり、うんちくを述べあい、厳しい雪中行軍の割には気持ちは随分軽かった。笑い声をこだまさせながらひたすら歩いた。左膝は悲鳴を上げていた。それにしてもこんな雪の中を好んで歩くなど滅多にないこと。深い森の木々を雪がお化粧しながら色んな表情を見せる。かじかむ指で辛うじてシャッターを押した。自称力作、ご覧あれ!


 雪と森があやなす自然の芸術。 クリックしてご覧ください。   

 

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「初詣」

2012年01月03日 | つれづれ噺

ここ4・5年では珍しく遅い初詣となった。
気持ちの中に重くのしかかっている昨年の大震災。二度とあのような大惨事が地球上で起こらないことを何としてもお祈りしたかった初詣。思うに任せず遅くなってしまった。
少し風はあるものの、時折日差しもある穏やかな初詣日和であったことに感謝。

ただひたすらに柏手を打ち、手を合わせ祈るのみ。たったこれだけの行為ではあるが、何故か大きな義務を果たした気分に浸れるのは不思議である。
そして寒さに震える錦帯橋、孤高の雄姿岩国城を眺めながら、公園を散策。
一年の始まりとして、気持ちに区切りをつける意味でも欠かせない行事ではある。
 

               

元旦も二日も孫の三男坊の守に追われた正月。
兄ちゃん達はお父さんの里へお泊りに行き、母親は仕事に取られ、只一人ジジババに預けられる悠雅君。哀れではある。その分、淋しくないよう付き合ってやる。
 

元旦早々、年賀状を見るのもほどほどに、公園や散歩をせがまれる。
嬉々として喜ぶ声に、ブランコを押してやり、滑り台に手を貸し、見守る。
「1年の計は元旦にあり」と言うが今年もこんな調子の1年になるのだろうか。
それも悪かあないが・・・。 

兎に角向こう一年が、穏やかで安らぎのある日々であることを念じながら、正月三が日は静かに往く。本格的な新しい年が始まる。いよいよ明日から・・・。

密かな喜びは、母の妹、叔母さんが今日100歳の誕生日を元気に迎えられたこと。100歳7カ月で往った母を超えるのは間違いない。あの元気さは見習いたい。 

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