「イタチ」
人生の大先輩達を施設に送迎するパートに職を得て、一年近い日々が過ぎた。短い送迎者の中で、運転手と乗客と言う立場になるから、多くの言葉は交わせない。
しかし、さすがに人生経験豊富な大先輩達。色々な経験をされている。興味深い話も聞かせて頂ける。
これは「イタチ猟」のお話。
昭和二十年代の事だ。雪深い越後の山郷では冬は、仕事が無くなり、出稼ぎが普通の生活だった。しかし、その老人は、若い時に「イタチ猟」を覚え、冬の生業にしていたと言う。その頃、結婚をされたのだが、奥様になられた方は、皆がミカンもぎなどの出稼ぎに行くのに、何をしている人だろう。と、疑ったと言う。
同じ仕事をするライバルもいたが「イタチ猟」は、出稼ぎに匹敵する収入をもたらせてくれたそうだ。勿論、その皮が珍重された訳だが、昭和二十年代に襟巻きにする、洒落者は誰だったのだろうか。不思議に思って聞いてみると「進駐軍の奥様方さ。」という答え。成る程と合点がいった。
捕まえてきて、皮にして乾燥すると、仲買人が集めに来る。値段はと言うとさすがに、進駐軍御用達。毛皮一インチで百円と言う高値が相場だった。インチで測るところが憎いところだ。
猟の方法を聞いた。小型の「トラバサミ」を使う。それは猟の目的で大きさは違うが、鋼鉄製のギザギザの刃が、踏まれた事により、バネの力でバチーンと閉じて足を挟み生け捕りにすると言う、少し残酷なワナだ。時には、自分の手を挟み、とんでもないしっぺ返しに泣くような思いもしたと言う。
皮の土手に適当な穴を穿ち、その奥に小魚を入れ、入り口にトラバサミを仕掛ける。夜行性なので、朝早く獲物の確認に歩いたそうだ。さまざまな場所に仕掛けたそうだが、山の中の小河川沿いに棲むイタチは小さく、信濃川の支流の大きな川、魚野川の岸辺に棲むイタチは随分大きかったそうだ。
イタチにも明らかに違う二種類がいた。数は少ないが黄色の鮮やかなものと、茶色の普通に見られるものだ。俗に言う「イタチの最後っ屁」で、ピンチになると猛烈に臭い匂いを出し、参ったそうだが、特に黄色イタチのそれは強烈だったと言う。
時には幸運にも、一匹で二千円もする獲物も居たそうだから、単価から考えると、体長二十インチ、五十センチもの大物が居たと言う事になる。こうして、冬の一シーズンで二万円を越える収入も得たそうだ。家が三十万円足らずで建ったという時代だったから、大層な儲けになったらしい。
夏場は農閑期に炭焼きをして生計の足しにしていたが、イタチにからかわれる事も有ったとか。弁当のオカズに烏賊の塩辛を持参し、余ったので入れ物のまま山に置いて来た。翌日行って見ると、見事に荒らされ、塩辛は跡形も無かったのだそうです。私は「今度は、酒も置いて行け。」なんて言われませんでしたかとからかった。