(平屋だった駅舎とは言え、屋根がすっぽり隠れるほどの雪でした。さて、スベルべは?)
雪国の暮らし今昔(その1)
私が大雪で知られる越後の魚沼の地で生を受けたのは、戦後も間もない昭和22年の事。
まだまだ食糧事情は悪かったとは言え、戦争が終わったと言う安心感と、かすかに見える、
将来の希望に人々が活気づき初めていた年代だった。
人々が将来に希望を見た証拠として、私たちの年代が団塊の世代として多く誕生した。
その頃小学校区で生まれた同年の者は98名。最近小学校の新入生が10人を割り込む一桁と聞き、
少子高齢化と言う言葉が現実味を持って聞こえてくる。
私の両親の話によると、その昔は冬自体が今よりも長く、今よりも遅い稲刈りは雪を見ることも有ったとか、
田植えも随分寒い春に行われたと語っていた。
正に文字通りの雪の中の暮らしが半年の貧しい雪国の世界だったのです。
生まれて記憶に残る雪の世界は、母の背に負われ角巻きと呼ぶ、防寒着の間から覗いた白一色の世界だった。
そして、母の背の温もりで目をつむると行く方角も分からず、ゆらゆらと揺すられた夢のような世界。
(続く)