昭和56年かな。遠く若き日のスベルべママと上の娘。手前のピンクの上着は下の娘。
この細い道路を埋めないように、朝早く除雪車が来る前に雪下ろしをしていた。
今は無くなったけれど、無人の電話中継所があり、除雪は亡父の仕事だった。
左に見えるのは平成二年に建て替える前の我が家です。
平成2年に今の家に建て替えました。
駅前通りは次々と我が家と同じスタイルの家になりましたね。
我が家の前にはロータリー除雪車が見えます。
我が家の左は空き家になっていましたが、高床二階建て片屋根の我が家の半分の高さです。
雪下ろし
それでも屋根から卸した雪の処理は大変だった。
家の前は朝の除雪車が通った後に雪を投げようものなら、たちまち交通渋滞を引き起こす。
そうならない為には、除雪車の前に雪を降ろし片付けてもらうしか方法は無い。雪の朝、除雪車の出動は早い。
そして降ると思っても天気予報がはずれ降らない事だったままあるのだ。
道はふさげない、屋根雪は下ろさなければならない。屋根雪が溜まると三時半頃から起き出す。
二階の窓から除雪車の黄色の回転する作業灯を探すのだ。
見えたら素早く私達夫婦は支度を整え、幼い子供達が目覚めぬよう祈りながら外に出て屋根に上る。
除雪車を屋根の上から再確認し、一気に道路めがけて雪を投げ落とす。
家の横や、後ろはともかく道路に面した前側はこれしか方法が無かった。
前側が終わると息つく間もなく残りの部分を落とす。
終わって家に入り、子供達の寝姿を見て安堵する。汗で濡れた体が冷え切る前に一風呂浴び、それから朝食になる。
そして、休む間もなく仕事に出ていたのだから我ながら驚く。
若かったとは言え我ながらよく働いた。今の時代と較べると考えられない時代だった。
でも、なんだか落ち着いていてのんびりと幸せな時代でもあったように思うのはなぜだろう。
そして、平成二年に待望の自然落下式屋根と地下水小雪併用の家を新築する事になった。
集落でも早い方で、周囲には羨ましがられたものだった。
それからはあの辛かった冬も手持無沙汰状態に感じられ、しばらくは落ち着かない冬を過ごした。
(終わり)