雪国の暮らし今昔(その2)
萱葺きの家に帰ると玄関に戸など無く、吹雪の吹き込みを防ぐ、萱で編んだ簾が立て掛けてあり、
その隙間を少しだけ開け、薄暗い土間に入る。
土間の通路の隣は、昔の馬屋であり冬の間の大切な燃料の薪が積んであった。
ガタピシと木戸を開けると、そこは藁むしろを敷いた、中央に火床とも呼んだ囲炉裏を囲んだ居間が広がる。
木戸を開けたばかりの所には薪が立て掛けられていた。
そんな千鳥破風と呼ぶ様式の萱葺きの家での暮らしは小学校の二年、昭和30年頃まで続いた。
その頃の我が家は村の中央付近、鎮守様の裏手に有った。
鎮守様の裏から村の中に細い道が伸び、その細い道を挟んで我が家と同じ萱葺きの隣家が有り、
双方の萱葺き屋根の傾斜が道路に向かっていたため、冬は落としたり、
自然に落ちた雪で屋根のような高さの小山をなしていた。
(続く)