帰去来の辞(陶淵明 とうえんめい)
有名な漢詩の一節を思い出さずにはいられない光景。
帰りなんいざ
田園将(まさ)に蕪(あ)れなんとす なんぞ帰らざる
既に自ら心を以(もっ)て形(からだ)の役(しもべ)となす
奚(なん)ぞ惆悵(ゆうちょう)として独(ひと)り悲しむや
田舎の田園は荒れ果てています。誰かの助けを求めているかのように思えて仕方ない。
皆さんがそうだとは言わないけれど、都会暮らしで心身とも疲れ果てている人もいるのではないか。
多少の苦労、肉体労働さえ厭わなかったら自然に中で汗を流して働くことは気持ちよい事。
農地どころか、空き家さえ増えてきています。都会の喧騒を逃れ田舎暮らしをするのも良いですよ。
(日本語訳です)
さあ、早く帰ろうよ
故郷の田園がいまにも荒廃しそうなのに
どうして帰らずにいられよう
自ら求めて精神を肉体の奴隷と化してしまっているのに
ひとりくよくよと嘆き悲しんだところで、どうなるものでもない
陶淵明も都市での官吏生活に疲れ果てていたようです。
田舎は田と畑がそして、お年寄りが疲れ果てています。肉体的にね。
残念ながら山の畑にはこんな荒れ果てた畑が随所に見受けられるようになりました。
いえ、我が家の畑とて同じ運命をたどるの遠くない将来なのかもしれません。
かろうじて雑草退治にトラクターを使ったようです。
耕してはあるけれど、今の時期に耕しても蕎麦でも蒔かなかったら作る作物は無いでしょう。
おそらく、このままで今年は終わるのではないでしょうか。
今の現役サラリーマン世代は、退職したら農業をしようなんて考える人も少ないらしい。
人の姿はもちろんの事、行き交う車の姿さえ見当たらない広域農道。
大型バスさえ楽々と通行できる広い道路がむなしく広がり、伸びるのみ。
数年いや10年ほど前までは両側が花卉栽培、タラノ木畑などだった。
作付けしていた人は元々の地主ではなくて、遠くから耕作地を求めて通っていた人たちだった。
その人たちも遠くまで土地を求めなくても、近在で農業をやめる人が相次ぎ、土地は近くに有るようになった。
耕作を放棄したら、荒れ果てるのは瞬く間です。日本の将来が思いやられる山の畑の荒れるさまです。