畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

バドミントンと私

2012-11-19 05:40:47 | バドミントン

 先週の15日は忙しい仕事の間を縫って小学校へバドミントンの指導に行ってきました。
最近は実戦とは遠ざかり、ラケットを握るのもこの指導の時だけになってしまいました。

 でも、やはりラケットを握ると昔のことが脳裏に浮かび、心がはやります。
この写真は94年とあるからもう18年も前の事になりますね。
会社の大会で北海道へ遠征した時の懇親会の会場での一枚です。


 これなんて90年と見えるからなんと22年前の写真。
会場は新潟市だったかなー、だとすると競技委員長の役職を頂き、開会式で注意事項を述べていましたね。

 誇らかに大きなカップ、賞状を見せているから団体優勝したのかな。
後列に髪の毛のふさふさとした若き日のスベルべも見えます。


 時代は前後するけれど、バドミントンに本格的に取り組み始めた頃の記念写真。
30年以上も前でしたが、バドミントンが面白くて仕方無かった頃の職場仲間での練習でした。 


 これは八年前だったでしょうか。
中越地震の年に長岡で開催された、会社の全国大会です。


 全社大会で、負け無しの連覇を誇る、北海道チームのペアです。
インターハイ、インカレの競合を揃え、スマッシュは全てジャンピングスマッシュで驚かされました。


 この時は、選手としてでは無くて、大会運営の総務として出ています。
若い仲間たちはスベルべに気を使い、ホテルの最高の場所の部屋を用意してくれたっけ。

 でも、無事に大会が終了して喜んだのも束の間でした。
翌日の夕方、あの中越地震が発生したのでした。
会場のこの体育館も天井の材料が落下し、しばらく使えない状態になったようでした。


 この15日の小学生への指導の際の光景。
もう一人のバドミントン仲間を誘い、二人で何年か指導に行っています。

 やはり、スポーツに取り組む以上、長続きしなくてはならないと考え、ゲームの楽しさを教えます。
最後の講評で「どう?面白かった?」と聞きます。

 口々に「面白かったー!」と言う嬉しい返事が返ってきます。
「でもどうだ?負けた時よりも勝った時の方が面白かったんじゃない?」子供たちは一斉にうなずきます。
「ね、そうでしょう。だから勝つために練習し、勝つために身体を鍛えてね」なんて締めくくる。

 バドミントンに本格的に取り組み始めてから30数年です。
勝つための心がけ、トレーニング方法も理論として頭に蓄積されてはいるように思います。
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食事を終えくつろぐスズメ達

2012-11-18 04:48:41 | 自然

 初雪が降った翌日の朝の光景です。
我が家の裏の、「マタタビ」の枝にとまり、朝食後をくつろぐスズメ達です。


 食堂のカーテンをそっと引き、望遠レンズで写します。
見張り役でも居るのか、家の中の人間の動きを察すると一斉に羽ばたいて消えてしまう。


 でも、一羽一羽の行動、そして表情がそれぞれに異なり飽かず眺める。


 食事を終え、くつろぐように感じられて仕方ない。


 まだ食事が足り無かったと見え再び水田で落ち穂をついばむスズメも居る。 


 羽繕いをしながらも賑やかに鳴き交わす。


 一瞬たりとも動きを止めず、それでものんびりそうに見えるスズメ達。


 人間の住宅事情が昔と異なり、屋根が自然落下式のトタン張りとなってしままい住処を失ったスズメ達。
瓦葺の屋根だと、下張りの木っ端と、河原の間の隙間が彼らの絶好の住処だった。

 我が家でも、彼らにとっての事情は同じこと。
瓦から、トタン張りの屋根になって彼らの住処を奪うことになってしまった。

 そして、我が家に来て巣作りをするツバメたちの巣を奪おうとするスズメが出て来て、
毎年、巣の争奪戦を試みることになってしまう。

 いや、争奪戦と言うよりも、あの日本海の日本領土の小島のように強奪です。
強引に先住者を追いだして、自分のものにしようと言う図々しい料簡を見せるのです。

 紛争解決のために、馬鹿なスベルべトーちゃんは酒の一升瓶の空き箱を使い、
スズメ達の住宅を設えて上げたのでした。
案の定、箱に開けた小さな穴から出入りするスズメ達が見え始め、
無事にツバメもスズメも我が家での子育てを終えたのでした。

 九月に入ると、秋の風を感じたのかツバメたちはいつの間にか姿を消してしまいました。
そして、スズメ達の天下となる秋がやってきたのだけれども、
彼らにとっての最高のシーズン、豊富な餌の秋も間もなく幕を閉じます。

 地面の全く見えない、二メートル前後もの雪に覆われる冬が近づいているのです。
そんな冬でも、この地を去らずに生き延びる逞しいスズメ達も居るから不思議です。

 生まれれた土地に愛着があるのか、生まれる地を選ばれないのか、
不自由をしのぶスズメ達の姿、暮らしに、我と我が姿を思わず重ねて思ってしまうのです。
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初雪の日の山々

2012-11-17 20:13:09 | 風景

 前日に引き続いての初雪の風景です。
朝、山の畑に行くと畑の土は黒々としているけれど、周りの枯れ草の上には初雪の名残りが。


 東方の標高が1,000メートルに近い「権現堂山」もかなりの降雪が有った様子です。
山頂付近は雲に覆われて見えませんでしたけれどもね。


 この日は十一時の約束で、新潟市の「あさどり菜園」が山の畑を訪問して下さいました。
私に口利きをしてくれた、「イチカラ畑」のリーダーも同行し、畑を見たり今後の方向付けを話しあいました。


 隣の畑の「タラの木」の原木も切り倒され搬出を待つばかり。
その向こうの「越後三山」もやはり雲には隠れているけれど、何回もの降雪により、
山頂付近はかなりの積雪になっているように見えます。


 手前の寂寥とした「タラの木」畑。そして、その向こうの紅葉の低山。
そして、白く長い尾を引く「八海山」とが、見事に重なりハーモニーを奏でます。


 望遠を最大限に効かせてみました。
相変わらず峻険な「越後駒ケ岳」だけれども、尾根の雪が滑り落ち、谷を埋めている様子も見えます。
さて、十一月も後半。この時期だったら魚沼には何時雪が降っても不思議ない季節です。

 雪に閉じ込められる直前は越冬準備に追われ、文字通り目の回るような日々です。
この日も、十一時からの来客の応対は我が家での昼食を共にしての話し合いで幕を閉じました。

 でも、三時からは地元の小学校へバドミントンクラブの指導員として行かなければなりません。
作業着をトレーニングスタイルに着替えて忙しなく出発。
一時間余りのクラブ活動の指導を楽しく終えることが出来ました。

 そして、この頃から体調が徐々に悪くなり「尿管結石」の予兆の腰痛。
徐々に強くなる痛みに、一口も夕食は食べられなかったけれども、夜は七時半から会議。
十時少し前に会議は終り、お酒を一杯、と、言う話になったけれどもさしもの飲兵衛スベルべも、
さすがに飲む気にもなれず、一人すごすごと帰宅の途に着いたのでした。
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初雪とスズメ達

2012-11-16 04:59:11 | 暮らし

 昨日の朝は、自然落下式の屋根から雪が落ち、小屋根を叩く音がして目が覚めた。
半信半疑で明るくなった外を見ると、遠く山の上の「木沢」集落付近が白い。


 食堂の窓から見下ろすと、なんと我が家の裏にも雪が見える。
とうとう、里にまで初雪が降ってしまったのです。


 初雪に戸惑い、驚いたのはスズメ達も人間と同じ様子。
「ムラサキシキブ」の小枝に停まり、「オイ!雪だぜ!」「そうみたいね」なんて会話を交わす。


 我が家の裏の水田は、ここのところ彼らの格好の餌場となっていた。
コンバインが使えず、乱暴にも収穫を放棄して草刈り機で稲を刈り倒し搬出したのです。
そのため、落ち穂が大量に残り、スズメ達は朝食タイムには数十羽も集まっていたのでした。


 漂鳥であろうスズメ達には地上の全てが深い雪に閉ざされる雪国魚沼は最悪の環境。
それでも、この地を離れずにわずかな餌を求めて生きる姿は、魚沼の人々にも重なって見えてしまう。


 毎朝、賑やかな朝食の光景を見せてくれたスズメ達も心なしか悄然としてみえる。
この地に留まり、厳しい冬を乗り越えようか、それとも雪の少ない所へ行こうかと悩んでいる。


 根雪になる前にやるべき自分の仕事も山ほど残っていると言うのに、つい、スズメ達の事も心配してしまう。
「私たちは大丈夫、それよりもスベルべトーちゃん、自分の身の周りの事を心配してよ」なんて声は空耳だったか。
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山芋に思う

2012-11-15 06:01:45 | 山菜

 今の一代前の家の、亡父の仕事場の横で収穫してきた山芋を父に自慢する若き日のスベルべです。
見せるスベルべも父も、満面の笑みと言った風情です。

 亡父も満八十歳を過ぎても山芋を掘ったつわものでした。
しかし、晩年はスベルべの掘った山芋を見て喜び、そして「美味い!美味い!」と食べてくれたものでした。


 これは上に見える道具から見て、十年近く前の写真だと思われる。
まだ体力も十分で、しかも、中越地震の前で山も荒れていず、三時間も掘ったらこの程度の収穫は珍しく無かった。


 国道側の隣家もまだ見えないから、きっと二十年以上前のもの。
そう、両手に山芋を持って自慢するのは四十歳代のスベルべですね。
 

 発泡スチロールの箱に詰めた山芋を見ると、掘った場所、そしてその大きさまで記憶が甦る。
太いものはスベルべの腕ほどの太さだった。でも、その太い山芋を掘った場所は地震で崩れ去った。

 箱は形から見て、きっとスベルべママの札幌に住む姉から届いた「鮭」の入っていたものだろう。
大量に掘れた時代は、「鮭」が送られてきた箱に、山芋を詰めて送り返したものでした。


 これは先日も紹介した、最近掘り上げた山芋です。
でも、これは昨日知人を通じてある人にお譲りしました。

 なんと、何年もこのブログを見て下さっていると言う方へです。
その方は、山芋が大好きな父上に食べさせてあげたいのだと聞きます。

 おまけとして、美味しく食べる方法もお一つお教えしましょうか。
短冊切りにして、ワサビ醤油で食べる。
摩り下ろし、海苔にスプーンで載せて「海苔巻き」にし、筒切りにしてワサビ醤油や、酢醤油で。
摩り下ろしたものを、スプーンですくい、醤油味の吸い物に「スイトン風」に落とし込む。
(この際、余計な出汁は必要ありません。山芋の味が出汁になりますから)

 そして、もちろん定番はトロロ汁。
スベルべは、煮干しニ、三本を使い、醤油味で少しだけ濃い目の出し汁を作り、
根気よくその出し汁で摩り下ろした山芋を伸ばします。

 もち論そんなことはご承知でしょうけれど、老婆心と言うやつで(笑)。
親孝行をなさって頂けたらスベルべも嬉しい事この上なしです。
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