日本中で、線状雷雲、線状降水帯による大規模な災害が発生しています。
まさに、頻発する地震と言え、災害列島とさえ呼んでも良いような様相の日本列島です。
昔、そう42年前に当時の国鉄水上保線区に勤務していて水害とは違う大規模な土砂崩壊を経験しました。
ネットで調べてもヒットする項目が無く、みなかみ町役場にメールで問い合わせたところ資料が届けられました。
昭和47年から52年までの5年間。青春時代を過ごした第二の故郷ともいえる懐かしい街です。
そんな昔の一時期を過ごしたというだけの縁なのに、丁寧なスクラップのコピーを頂き、感謝するのみです。
50ページ近いスクラップのコピーは当時の記憶をまざまざと蘇らせてくれます。
この大規模な土砂崩壊は、豪雨が原因ではなくて、雪解け水が原因だったとされています。
標高もさほど無い、「湯吹山」の小さな通称「峰沢」の崩壊が徐々に大きくなり最後は大崩壊。
「峰沢」は細い土管を通し水が流れていたが、それはすぐに詰まり土砂が線路わきにたまることに。
なんとこの時、若き日のスベルべ青年は、他の人2名と計3名で崩落個所にいたのです。
写真左の、沢から土が崩れ線路が流されたその場所に立っていたのでした。崩落土は右下の家屋を潰してしまった。
直後に「どうして崩落の連絡をしなかった!」なんて叱られました。
でも、それは無理と言うもので、山の木々全体が波打ち、線路の架線が激しく揺れる中をようやく脱出したのでしたから。
清水トンネルを抜けた、上り東京方面へと向かう列車はこの略図のように回りながら標高を下げます。
そんなループトンネルの隙間を縫ったような、不思議な災害でもありました。
東日本大震災をはじめに日本全国で思いもしなかったような災害が頻発しています。
自然科学、災害の権威でも有られた「寺田寅彦」さんは「災害は忘れた頃にやって来る」と説かれました。
でも、最近の災害はまだ、その傷跡も癒えぬうちにやってきます。
自然を大切にすることを忘れてしまった日本人、いや世界の人々に対する警鐘では無いのででしょうか。