2012年10月7日放送
プロボクサー グレート金山(李東春 イ・ドンチュン)の半生を描いたドラマ
韓国では白が喪の色なのか 白い衣装の葬列が野原を行く
中に日本人女性の西澤仁美(中村ゆり)がいる
彼女は後にドラマの中で明かされる
ドンチュン( 趙珉和 )・ が作った歌を口ずさんでいる
失礼ながら白黒のような色彩と相俟って ちょっとホラー映画のような印象
亡くなったのはドンチュン
彼は6人兄弟の5番目に生まれ
いつも一人だったそうだ
1995年 敗戦のボクサー死亡 ーと新聞記事は短い
ここからドンチュンという一人の男を愛した仁美の回想が始まる
1991年 大阪
28才のドンチュンは牛丼屋の常連だ
「並み一つ お持ち帰り」
ドンチュンは店員に言う「これ むちゃく 美味しいですね」
400円でー
ドンチュンが帰ってから店員同士が話す 「あのオッサン よう来とるな」
ドンチュンが住むのはボロアパート
「今日もネズミが運動会だ」と ドンチュンは日記に書く
ー僕は何も出来ないバカだーとも書き続けている
19才の西澤仁美は専門学校の学生 課題の撮る対象が決まらずにいた
友人の言葉から ボクシング・ジムを撮影に行き ドンチュンと出会う
ドンチュンは「とりあえず預かってはいるが うちの選手やない」
そういう扱いだった
仁美はドンチュンを撮影し続けるが
ドンチュンはーどうせ井岡が目当てだろう あさましいーと仁美のことを最初は見ていた
一週間 毎日ジムに来ては ドンチュンを撮っている仁美
ーよほど暇なのだろう
日記に書きながら 仁美の事が気になって仕方ないドンチュン
自分の試合のチケットを仁美に渡す
1991年4月4日10R 判定勝利
鶴橋駅で仁美は試合を観戦し撮った写真を ドンチュンに渡す
ドンチュン「いい試合じゃなかったのに いい写真」
礼を言って食事に誘う
「良かったら ご飯食べますか」
それはいつもの牛丼屋さん
「僕の名前 東の春と書きます
東に行けば 絶対いいことあると思って
(日本に来たそうだ)
日本語は志村けんに教わりました
ビデオで全部覚えました
向こう(韓国)に いても いいこと無かったから
僕のこと もういなくなった人って思っているから
日本 いいとこですよ
もう一回だけ
世界チャレンジ」
まだ事情が分からず 無邪気に「いつ世界と戦うのか」尋ねる仁美
ドンチュン「一生懸命やるだけね
400円でムチャクチャ美味しい
一週間に一度だけ食べる
減量 キツいね」
牛丼屋の店員は自分も在日であることを明かし サービスとオマケを付ける
ボロアパートに仁美を招き 志村けんのギャグを真似して見せるドンチュン
仁美ー月みたいな優しさと 太陽みたいな暖かさを持つ人やったー
ドンチュンは辰吉選手のスパークリング・パートナーで親友だった
応援する辰吉選手が世界チャンピオンになり ドンチュンは自信を持つ「辰吉勝ったから 自分も勝てる」
仁美はドンチュンを好きになっていた
ドラマには 時々ドキュメント部分が入る
韓国テゲはドンチュンの生まれ故郷
彼は1960年代 スラム街で育つ
ドンチュンの長兄が語るにはー
ドンチュンが7才の時に母親が亡くなり ドンチュンは内向的な性格になった
父親が再婚し兄弟とは別居
ドンチュンは小さい時から一人暮らしで家出を繰り返し6年生で学校をやめた
「一人で暮らすのは辛い」と ドンチュンは長兄に相談し 長兄は友人から水晶工場での仕事を世話してもらった
水晶工場ではボクシングをする人間も多く ドンチュンは17才でボクシングを始めた
ジムの人間の印象はー浅黒くて筋肉質 負けず嫌いーだったそうだ
アマチュアで優勝後 プロに転向 しかしデビュー戦では負けた
その後 世界へ挑戦する機会を得るも 相手のとった反則への抗議が受け入れられず 負けている
再起を賭けて日本へ来た
言葉も解らない国へ
親の反対を押し切り仁美はドンチュンと暮らし始める
ドンチュン「僕にやっと家族ができた」
1992年6月6日 ドンチュンは勝つ
だが彼はトレーニング中 走れなくなるほど 腰を傷めていた
その後も勝ち続けるが
彼は苦労ばかりさせてる仁美に報いたかった
幸せにしたかった
楽をさせてやりたかった
ドンチュン「全ては金だ 僕はこれから お金を貯める
愛(仁美)も金(仁美に苦労させないため)も 僕には大切だ」
仁美は僕には なくてはならない人だ
僕たちには夢がある
仁美は僕と出会わなければ 苦労することも無かった
もう少しだけ 我慢
僕は どんどん弱くなっている
どんどん怖くなっている
負けること怖い
連勝の影で 腰を傷めたままのドンチュンは葛藤する
一方 ファンを大切にし 必ずお金出し奢った
2月24日 川益戦
ドンチュンは日記に「僕は絶対勝つ」と書いていた
10R判定負け
試合後 ドンチュンは仁美に言う「終わったよ」
暫く考えてみたいーとドンチュンは大韓民国へ帰る
日本ではドンチュンを応援するファンが グレート金山(ドンチュン)と川益の再戦を求める署名活動をしていた
ドンチュンは試合をしたくないーと話していたそうだ
体への不安があったのだろうか
仁美も ドンチュンには試合してほしく無かった
動けなくなるほどの激痛がある腰
ただの男と女として 普通に暮らして何故いけないのか
日本では自転車に乗り 仁美がランニングに付き合ってくれた
孤独なドンチュン
夜 建物の十字架が赤く光っている
ドンチュンの独白ー仁美 どうして僕は こんなー
うおおおぉぅ!と彼は叫ぶ
試合が終わったら 勝っても負けても ボクサーを止めて 仁美と家庭を築くーとドンチュンは言っていた
孤独だったドンチュンが一番必要としたのは 家庭 家族だったのだろう
長兄は言う
世界チャンピオンになれば金が入る
社会的名声
愛する仁美の為にも
1995年9月5日
川益と再戦
ドンチュンの試合前の言葉
ー信じてる 愛してる だから殺すー
試合は判定負けだった
試合直後から体調壊していたドンチュンは 試合がら4日後死んだ
本当は死んだ者同士がする結婚式を 仁美は韓国で挙げて貰う
李東春ことグレート金山は 第54代日本バンタム級王者だった
全編通してドンチュンの「孤独」が痛切に感じられます
400円の牛丼が嬉しかった
自分を愛してくれた女性に報いたかった
ファンを大切にした無邪気な男
彼の魂が 安らかでありますように