ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「はじめての」(島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都著;水鈴社)を読んだ後、YOASOBIの楽曲を聴く

2024-01-19 20:29:16 | うた

最近の歌で、聴いていて心地いいのは、YOASOBIの歌。

「夜に駆ける」がヒットしたときには、上がり下がりがあって早口で、ずいぶん歌いにくい歌だなあとか思ったりしたが、「もう少しだけ」が「めざましテレビ」のテーマソングとして流されていた頃から、気持ちよく聴けるようになった。

以降、ダウンロードやCDによって、YOASOBIの曲を購入して聴くようになった。

 

彼らは、去年は「アイドル」を大ヒットさせた。

そんなYOASOBIの特集番組として、去年5月にNHKの番組で、「MUSIC SPECIAL YOASOBI ~小説を音楽にする魔法~」という放送があった。

その番組では、「『はじめての』プロジェクト」というYOASOBIが取り組んだプロジェクトを紹介した。

YOASOBIは、「小説を音楽にするユニット」として、小説から歌詞やメロディを生み出し、音楽を作り上げてきている。

この「はじめての」プロジェクトは、4人の直木賞作家に小説を依頼し、書き上がった作品を原作として4曲の新曲を生み出すというものだった。

その番組では、新たな小説を書き下ろした4人の作家 島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都と、YOASOBIのメンバーが一人あるいは二人で対談し、小説にこめた作家の思いを知ったり、そのストーリーをもとにYOASOBIがどのように曲としての表現を生み出していったりしたのかを明らかにしていた。

 

その番組を見てから、「はじめての」プロジェクトで作られた4曲をダウンロードして、何度か聴いたのだった。

作家たちの小説を、どれもAyaseが作詞作曲し、ikuraが歌って表現する。

なかなか見事なものだと思った。

曲は聴いたけれども、4つの小説はまだ読んだことがなかった。

このたび、図書館から単行本で「はじめての」(島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都著;水鈴社)を借りて読むことができた。

 

「はじめての」というだけあって、1つ1つの作品に、どういうときに読む物語なのか書いてあった。

 

★「『私だけの所有者』――はじめて人を好きになったときに読む物語」(島本理生)

➡「ミスター」(YOASOBI)

★「『ユーレイ』――はじめて家出したときに読む物語」(辻村深月)

➡「海のまにまに」(YOASOBI) 

★「『色違いのトランプ』――はじめて容疑者になったときに読む物語」(宮部みゆき)

➡「セブンティーン」(YOASOBI)
★「『ヒカリノタネ』――はじめて告白したときに読む物語」(森絵都)

➡「好きだ」(YOASOBI)

島本氏の「私だけの所有者」に「初めて好きになったときに読む物語」とあったり、森氏の「ヒカリノタネ」に「はじめて告白したときに読む物語」とあったりするのは、なんだか笑みがもれる。

だが、辻村氏の「ユーレイ」は、「はじめて家出したときに読む物語」……、ん?家出?家出って、そんなにするものか!??

まだそこまでは笑えるけれど、宮部氏の「色違いのトランプ」は、「はじめて容疑者になったときに読む物語」とある。

おいおい、容疑者になることってあるのかい?

しかも「はじめて」って、2回も3回も容疑者になるのか?と、そこを見ただけでも笑ってしまった。

作品には、SF的な物語やその要素を含むような物語もあった。

それぞれ短編小説で、フィクションであるから、まあどんな内容でもよいのだけどね。

 

1つ1つの作品についての感想を述べるのはしないでおく。

だけど、それぞれの物語を読んでから、YOASOBIの作った歌を聴くと、「へえ~、うまいものだ」「音楽化できるなんてすごいな」と感心した。

4曲とも曲調にそれぞれ工夫があり、また小説を読んでいるからこそわかる詞がついている。

よくもまあ、これだけの曲を作るものだと、コンポーザーのAyaseに感嘆した。

そして、それを表現して歌い上げるボーカルのIkuraに感心した。

 

これらの曲は、概して3分から4分のものなのだが、それぞれミュージックビデオもある。

それらは、どれもYOASOBIの歌声とともにアニメーションの映像が流れている。

YOUTUBEで、それぞれの作品映像を見ながら、楽曲を聴いた。

作品によって、小説の物語を追うアニメのスタイルにも変化があって、見ていて面白かった。

小説や歌のイメージを壊していないのだ。

これはいい。

これは最高だ。

 

私の場合、①楽曲→②小説→③ミュージックビデオの順番で作品を味わうことになったが、こういう楽しみ方ができるのは楽しい。

これができるのは、YOASOBIだからこそだ。

読書をしながら、彼らのもっている力に改めて感心した。

YOASOBIは、間違いなく新たな型をもった表現者なのだということを強く認識したのであった。

 

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年が明けてから紅白歌合戦を楽しんだ

2024-01-08 22:08:26 | うた

元旦マラソンに出なくなってから、NHK紅白歌合戦をまた久しぶりに見るようになった。

元旦マラソンに出場するためには、朝早く起きて元旦の朝にやるべきことをやった後、朝早く出発しなければならないから、大晦日は早く休むようにしていた。

だから、紅白は、あまり見ないで寝ていたのであった。

COVID-19感染症によって大会が中止されて、紅白を見る時間的余裕が生まれた。

だが、夜更かしするほど体力はなく、最後まで見ないで寝てしまうのであった。

まあ、それほど興味がないから、というのもある。

昭和の時代から平成の時代に活躍した歌い手の皆さんが、ぞろぞろと紅白を「卒業」していってしまったし、見たい聴きたいと思う人やグループもいない。

なのに、なぜか今回は全部を見てみるか、という気になって、予約録画した。

 

先日、今回の紅白の放送で、関東地区平均世帯視聴率は、第1部(19時20分~20時55分)が29.0%、第2部(21時~23時45分)が31.9%だったと発表された。

’89年以降、第1部は初の30%割れ、第2部は過去最低だった’21年の34.3%を大きく下回り、第1部・第2部ともに過去最低を記録したのだそうだ。

毎年のことだが、視聴率が落ちていることを問題視してなんだかんだ言う人たちがたくさんいる。

ジャニーズ系の人々が出なかったせいだとか、中高年には見るべきものがない、などとか低視聴率を問題にしている。

受信料を収めているのに、あんなにつまらないものを見せられるのは心外だ、なんて言う人もいる。

 

そんなの、どうでもいいじゃないか。

見たい人が見ればいいのだ。

今の時代は、誰もがテレビを見て過ごす時代と違うのだ。

どの番組でも高視聴率なんて期待できない。

映像なら、YOUTUBEなどネットを利用して見る人もたくさんいることだろう。

見る見ないは、個人の自由。

だから、見て何を言うかも自由ではあると思う。

だけど、いろいろな工夫について見つけて楽しむのがいいと思うのだ。

失敗したりうまくいかなかったりするのは、もちろんあるさ。人間だもの。

そんなハプニングも楽しむことでいいと思うのだ。

 

私は、年が明けてからVTR再生し、自分が興味あるところを中心に、何回かに分けてしっかり見た。

今回、とても楽しく見た。

ジャニーズ系が出ない分、K-POPのグループがたくさん出ていた。

それを面白く思わない人もいたようだけど、今や全米のヒットチャートを席巻しているのはK-POPであり、それがいかにすごいのかを改めて思わせてくれた。

その人たちが、YOASOBIの「アイドル」の曲に合わせて踊るのも見応えがあった。

水森かおりの「日向岬」の歌に合わせたドミノの成功も素晴らしかった。

 

歌合戦なのだから、歌を楽しめるかが一番問題なのだけど、われわれ世代でも懐かしく思える歌にも会えた。

ウクライナの楽器に合わせた石川さゆりの「津軽海峡冬景色」。

「全キャン連」を思い出させる観衆の声の中で、伊藤蘭が歌った、懐かしきキャンディーズ・メドレー「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」。

山口百恵が歌った、さだまさしの「秋桜」。

谷村新司のことも、ちょっと口に出していたことに、ほろっときた。

黒柳徹子を迎え、かつての「ザ・ベストテン」を思い出させる、寺尾聰の「ルビーの指輪」と薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」。

この辺りは、われわれの世代をねらっていたな、と自然と笑みがもれた。

また、YOSHIKIが仲間を集めて歌った「Rusty Nail」には、HYDE、清春、松岡充、難波彰浩らの顔ぶれが見られたのも、楽しかった。

かつて、X JAPANがこの曲を歌っていた四半世紀前、気に入っていてよく聴いたものだった。

 

…と、こんなふうに自分が楽しめるところを楽しむことが大事なのだ。

そういう機会を提供してくれる特番が、紅白歌合戦であって、好きな歌や盛り上げる工夫に出会えたらそこを喜ぶ。

変な期待はせずに、他の番組同様に面白ければ見るし、つまらなければ見ない。

これでいいんじゃないかな。

そう思いながら、年が明けてからゆっくり楽しんだ紅白歌合戦であった。

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歌声はのこる…

2023-12-02 20:48:16 | うた

先日、デジタル音源をもとにして、次のような曲集を作った。

①坂井泉水(ZARD)「揺れる思い」

②森田童子「ぼくたちの失敗」

③中村貴之(NSP)「始発電車」

④もんたよしのり(もんた&ブラザーズ)「DESIRE」

⑤大橋純子「たそがれmy love」

⑥加藤和彦(・北山修)「あの素晴らしい愛をもう一度」

⑦村下孝蔵「ゆうこ」

⑧河島英五「時代おくれ」

⑨りりィ「オレンジ村から春へ」

⑩天野滋(NSP)「お休みの風景」

⑪谷村新司「陽はまた昇る」

⑫松原みき「真夜中のドア」

⑬新井満「ワインカラーのときめき」

⑭須藤薫「セカンドラブ」

⑮尾崎豊「I LOVE YOU」

⑯忌野清志郎(RCサクセション)「SUMMER TOUR」

⑰鈴木ヒロミツ(モップス)「晴れ時々にわか雨」

⑱大塚博堂「めぐり逢い紡いで」

⑲大瀧詠一「幸せな結末」

⑳冨所正一「お前まだ春らかや」

 

この歌い手たちの名前を見ると、どういう曲集を作ったかは、一目瞭然ですな。

そう。故人となってしまった人たちが歌っていた曲集なのだ。

曲集を作るときには、一番のヒット曲だけにしようかと思ったのだが、ベストヒットだと聴き飽きるくらい聴いたものもある。

そこで、2番目に好きな曲を入れたものも多い。

ZARDなら「負けないで」だろうけど、「揺れる想い」。

もんた&ブラザーズなら、「ダンシングオールナイト」でなく「DESIRE」。

村下孝蔵は、「初恋」のところ、「ゆうこ」。

RCサクセションは、「雨上がりの夜空に」を「SUMMER TOUR」に。

りりィは、「私は泣いています」でなく、明るい「オレンジ村から春へ」がいい。

NSPの天野滋は、「夕暮れどきはさびしそう」でなく、なんとなく「お休みの風景」がいい。

モップスは、「たどりついたらいつも雨ふり」だろうけど、「晴れ時々にわか雨」。

そんなふうに違う選曲をした。

 

ところで、最後の冨所正一については、知らない人が多いはず。

彼は、新潟県人で、デビュー前に自ら川に身を投げてしまったのだった。

それについては、また機会があるときに綴ってみたいと思うが、「お前まだ春らかや」を知らない人は「YOUTUBE」で聴くことができるので、検索して聴いてくださいな。

 

しまった!⤵

編集が終わった後、かまやつひろしの「どうにかなるさ」や山本コータロー(ウイークエンド)の「カリフォルニアドリーム」なども入れようと思っていたのに、忘れていたことに気づいた。

 

それにしても、歌う人が亡くなってしまっても、歌声は残るのだなあ、とある種の感慨にふけってしまった。

自分がこれらの人々の曲を好んで聴いて、ある時は元気づけてもらい、ある時はなぐさめてもらい、ある時は夢を抱かせてもらいしながら生きてきたのだと、自分の人生を振り返り想う。

歌い手の皆さんに感謝しながら、これからものこされた歌声を聴いていきたい。

 

先日、自分で編集して曲集を作っている間に、また新たに「愛は勝つ」のKANの訃報が届いた。

うーん。まだ若いのになあ…。

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サザンカ~童謡「たきび」からSEKAI NO OWARIの「サザンカ」へ 歌の連想~

2023-11-19 11:08:41 | うた

新潟のわが家でも、

埼玉の家でも、

道路に面しているところで、この時期に花をつけたのがこの木。

ご存じ、サザンカの花。

赤や白、ピンク、そしてそれらが混じったものなど、いろいろな色の花がある。

わが家でも埼玉でも咲いているのは、ピンクの花だ。

 

埼玉では、まだ陽射しが暖かいから、いろいろと咲いている花は多いが、新潟ではこの花の少なく寒い時期によく咲くものだと思う。

けなげだなあ、と思う。

 

花を見ると、童謡の「たきび」の2番にはサザンカが出てきているよなあ、といつも思う。

 

さざんか さざんか さいたみち

たきびだ たきびだ おちばたき

あたろうか あたろうよ

しもやけ おててが もうかゆい

 

寒風に負けずに咲いているサザンカと、寒さでしもやけができてもがんばって生きている子どもの風景が目に浮かぶ。

覚えやすいメロディーと、たき火のほんわかとした温かさが伝わってくるような歌。

子どもの頃に聴いたよりも、今の方がいい歌だなあ、と思ったりする。

 

そういえば、5年ほど前、SEKAI NO OWARIが、平昌オリンピックのNHKテーマソングとして「サザンカ」といういい曲を歌っていたなあ、と思い出した。

 

夢を追う君へ

思い出して つまずいたなら

いつだって物語の主人公は笑われる方だ

人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ

 

スポーツ選手に対する曲、というよりも、ごく普通の日常生活を送っている人々に対して、優しく励ます応援ソングのように感じるものだった。

 

だけど、「サザンカ」というこの曲の詩を全部読み返してみても、どこにも「サザンカ」という言葉は出てこない。

あれ?と思って、いろいろのぞいてみた。

 

そうしたら、どうやらサザンカのもつ花言葉から来ているらしい。

 

サザンカの花言葉は「ひたむきな愛」「ひたむきさ」「理想の恋」「困難に打ち勝つ」です。ほかの草花が枯れてしまう時期に花をつけることから、このような花言葉がついたとされています。

 

なるほど。

この曲名は、きっと花言葉の「困難に打ち勝つ」から付けられたものなのだろうなと勝手に解釈した。

 

参考までに、白のサザンカの花言葉は「愛嬌」「あなたは私の愛を退ける」。

赤の花言葉は「謙譲」「あなたがもっとも美しい」。

ピンクのサザンカの花言葉は「永遠の愛」「素直」。

などとなっているそうだ。

意外に愛情に絡んだ花言葉が多い。

 

そう考えると、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」は、打ちひしがれている人をなぐさめるだけの歌じゃなくて、

いつも見守っているから元気を出してね

ぼくはそんな君のことがずっと好きなんだよ

そんな意味もあるのかな、なんて考えたりしたのだった。

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線香花火をすると、すぐに歌詞とメロディが浮かんでくる~NSP「線香花火」~

2023-09-19 20:34:33 | うた

新潟は少しは涼しかったようだが、埼玉は今日も猛暑日。

そんな中、毎月恒例の除草作業を、午前中と夕方の2回行った。

昨夜は夜になっても暑かったが、今夜はいくらかましだ。

そこで、今年最初で最後?の線香花火をした。

線香花火をするとき、必ず頭に浮かぶ歌。

それがNSPの「線香花火」。

天野くんの歌声がよみがえってくる。

 

はじっこつまむと 線香花火

ペタンとしゃがんで パチパチ燃やす

このごろの花火はすぐに落ちる

そうぼやいて きみは火をつける

 

今でも、すらすらっと歌詞が出てくる。

 

この歌の中には、

 

きみの目の中で光っているんだ

こっちの方が本物よりステキさ

 

なんて表現もあった。

それこそステキだった。

 

はかない線香花火にも似た、若い二人の恋。

少し先の将来がどうなるかわからないゆえの不安…。

そんな気持ちが伝わってくる。

それは、歌の最後にも歌われている。

 

パチパチ光る線香花火

来年も二人でできるといいのにね

 

 

なんだか今でもキュンとするなあ…。

 

 

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8月6日。ジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」を聴く

2023-08-06 21:40:40 | うた

8月6日。

広島に原爆が投下された日。

今日は、それから78年となる。

広島では、平和記念式典が行われ、過去最多の111の国の代表が参列したとニュースで報じていた。

全世界で平和への祈りを捧げるべき日であるが、ウクライナ問題では、ロシアが核使用をほのめかしたり、北朝鮮が核兵器開発に力を入れたりしていて、暗い影を投げかけている。

 

広島に関わって、以前、広島県出身の吉田拓郎と浜田省吾の歌をここで載せたことがあった。

 

 

8月6日。「いつも見ていたヒロシマ」(吉田拓郎)と「八月の歌」(浜田省吾) - ON  MY  WAY

8月6日。言わずと知れた、広島に初めて原爆が投下された日。もう、その日から75年の月日が経過したことになる。75年!自分が生きてきた年を考えてみると、被爆した年代とい...

goo blog

 

 

広島に関する歌として、ほかにも私が忘れられないのは、フランスのシンガーソングライターだったジョルジュ・ムスタキの「ヒロシマ」である。

高校を卒業して、大学生活に入って間もなくの頃、ラジオから流れてきたこの曲。

フランス語で歌われている曲だったから、何を言っているのか、全然わからなかった。

ただ、曲の紹介で、シンガー、ジョルジュ・ムスタキの名前と曲名の「ヒロシマ」だけは、しっかり聴き取った。

しばらくは、そのぼそぼそとした歌い方と最後の方に出てくる「ヒロシマ」の言葉が耳について離れなかった。

 

やがて、彼がプロテストシンガーだということを知り、ラジオで彼の曲の特集があったりすると、テープに録音したりして聴いたものだった。

 

その「ヒロシマ」の原詩を載せる。

 

Hiroshima    Georges Moustaki

 

Par la colombe et l'olivier, Par la détresse du prisonnier,

Par l'enfant qui n'y est pour rien, Peut-être viendra-t-elle demain. 

 

Avec les mots de tous les jours, Avec les gestes de l'amour,

Avec la peur, avec la faim, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Par tous ceux qui sont déjà morts, Par tous ceux qui vivent encore,

Par ceux qui voudraient vivre enfin, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Avec les faibles, avec les forts, Avec tous ceux qui sont d'accord,

Ne seraient-ils que quelques-uns, Peut-être viendra-t-elle demain.

 

Par tous les rêves piétinés, Par l'espérance abandonnée,

À Hiroshima, ou plus loin, Peut-être viendra-t-elle demain,

 

La Paix!

 

さすがに何を言っているのかわからない。

訳詞に登場してもらおう。

 

ヒロシマ      ジョルジュ・ムスタキ

 

鳩とオリーブによって 囚人の苦しみによって

罪のない子どもによって たぶん明日来るだろう

 

日常の言葉とともに 愛の仕草とともに

恐怖と飢えとともに たぶん明日来るだろう

 

すでに死んだすべての者たちによって まだ生きているすべての者たちによって

とにかく生きようとする者たちによって たぶん明日来るだろう

 

弱い者たちとともに、強い者たちとともに 合意するすべての者たちとともに

それが一握りの人々でしかなかろうが たぶん明日来るだろう

 

踏みにじられた夢によって 打ち捨てられた希望によって

ヒロシマに、あるいはもっと遠くに たぶん明日来るだろう

 

平和が!

 

歌は、ずっと「たぶん明日来るだろう」が繰り返される。

来るものはいったい何なのか?

と思っていると、「ヒロシマ」の言葉が登場し、最後に、「La Paix!(平和が!)」と歌われて終わりになる。

 

さまざまな困難があり、苦しみがありながら、人々は毎日の暮らしを送り、時間を重ねていく。

夢や希望が打ち消されてしまっても、人々が明日を信じていれば、平和はやがて訪れるはずだ。

そんなことが歌われている(と思う)。

そこに「ヒロシマ」を入れて歌うことによって、戦争の悲惨さと平和の困難さをさらに強調していたのかもしれない。

だけど、最後に「平和が!」と歌い、平和を強く願っていることが伝わって来る。

 

ジョルジュ・ムスタキは、今から10年前の2013年に79歳で亡くなった。

 

なお、意外なことに、「ヒロシマ」は、西城秀樹が歌っていたと聞いた。

ただ、歌詞は、原詩とは全く違ったものだったらしい。

西城秀樹が広島県出身だったことを考えると、うなずける気がするのである。

 

8月6日。

もう一度、ムスタキの「ヒロシマ」を聴いてから寝ることにしよう。

 

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「暑中お見舞い申し上げます」(キャンディーズ)

2023-07-29 22:34:36 | うた

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

この言葉を聞いても、数年前までは、なんだか儀礼的な気がしていたものだ。

お見舞いを受けるほど、ひどい暑さではないじゃないか、なんて思った年も多くあったのだ。

それが、ここ数年は違う。

特に、今年は違う。

本当に暑い日が続く。

 

だから、お互いこの暑さは大変ですけど、なんとか乗り切っていきましょうね。

そんな気持ちを込めて、「暑中お見舞い申し上げます」という言葉を交わしたい気がするこの頃だ。

 

その言葉を口にすると、頭の中に、ある曲のイントロが流れ出す。

その曲は、その言葉を歌い出す。

 

♬暑中お見舞い申し上げます

 

こう歌われて、さわやかな風が吹くような気がした曲があった。

ご存じ、キャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」である。

私の学生時代、1977年の夏の歌である。

古いなあ…。

でも、若い時の曲って、いつ聴いてもいいものだよ。

 

馬飼野康二が編曲したしゃれたイントロが流れ、3人の「♬暑中お見舞い申し上げます」というハーモニーで、この歌が始まる。

 

まぶたに口づけ 受けてるみたいな

夏の日の太陽は まぶしくて

キラキラ渚を 今にもあなたが

かけてくる しぶきにぬれて…

 

なんとも夏らしい輝きを感じるこの歌詞。

はじけるように明るいキャンディーズの3人娘にぴったりだった。

この歌の作詞は、あの「神田川」の喜多条忠だったのだ。

ある種の暗さを感じる「神田川」とは、全く正反対の明るいイメージのこの歌が、彼の作詞だったなんてオドロキだ。

 

3分もしないうちに聴き終わってしまうこの曲は、元気が出て好きだった。

 

ところが、この歌がヒットしているうちに、あの、突然の解散宣言、

普通の女の子に戻りたい」が出たのだった。

そこから翌年に向けて、解散・引退への道を進むことになるのだが、そうなるとどうしても、彼女たちのあの明るさはなくなっていくのが残念だった。

「春一番」や「暑中お見舞い申し上げます」のような明るい歌は出せないままになってしまった。

惜しかったなあ…、なんて思う。

 

この暑い日はいつまで続くのだろう。

CDでキャンディーズの懐かしい歌声を聴いて、少し涼んだ気分になることにしよう。

 

 

 

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自転車に乗って、「自転車にのって」(高田渡)

2023-06-17 20:32:00 | うた

自分の足で走ることが多くなってから、3kmや4kmくらいなら歩いてしまおう、という気持ちになることが多くなった。

だから、車に乗らずに歩いていくことを選択することが多い私である。

 

今日は、出かける用があったのだが、往復すると4km以上ある。

明日が関川マラソンで、ハーフ21kmを走るから疲れたくないな、と、4kmほど歩くのをちょっとためらった。

車に乗ろうかと思ったが、もう一つの選択肢があるのを思いついた。

それは、自転車に乗っていくことだ。

自転車に乗るなら、今はヘルメットをかぶる努力義務があるのだが、私の頭に合うヘルメットは家にまだない。

すみません、ヘルメットなしで行きます。

その代わり、通る道は、極力、車が通らない道や歩道(自転車通行可の)を通ることにした。

 

 

ということで、久しぶりに自転車に乗った。

舗装されていない道で乗った。

なんだかとても新鮮な感覚だった。

いつも歩く道でも、目の位置が高いから、見え方が違う。

自分の足で走ることもよくある道なのだが、スピード感が違う。

 

自転車に乗って、走るのも楽しい。

自転車に乗って、見るのも楽しい。

自転車に乗って、自転車に乗って、…。

 

そう繰り返していたら、急に高田渡の「自転車にのって」という歌を思い出した。

高校1年生の頃、同級生にこの歌を好きな女の子がいたことも。

その子は、シンガーではジョン・レノンを、歌では「自転車にのって」がお気に入りだったっけ…。

 

「自転車にのって」

アップテンポでいい感じのリズム。

明るい調子の歌だった。

まだ歌えるかなあ。

思い出してみよう

 

自転車にのって ベルをならし

あそこの原っぱまで 野球のつづきを

そして帰りにゃ 川で足をあらって

自転車にのって おうちへ帰る

自転車にのって 自転車にのって

ちょいとそこまで 歩きたいから

 

子どもが自転車にのって自由にでかけて行く。

原っぱで野球する。

川で足を洗う。

50年ほど前は、そんなのがまだ当たり前の風景だったっけ。

「自転車にのって」には、そんな当たり前の風景が歌われていたのだった。

 

じゃあ、2番は?

 

自転車にのって ベルをならし

となりの町まで いやなおつかいに

そして帰りにゃ 本屋で立ち読みを

日が暮れてから おうちへ帰る

自転車にのって 自転車にのって

ちょいとそこまで 歩きたいから

 

となり町まで おつかいに行かせられる。

町だと、立ち読みをするような本屋があった。

日が暮れるまで目一杯遊び、家に帰るのは、結局暗くなってから。

だから、家の人におこられる。

あった、あった。そんなことが。

 

思い出してみると、この歌は、なんだかとても懐かしい風景が広がる歌としてよみがえってきた。

歌は「自転車にのって」なのに、「ちょいとそこまで『歩きたい』」という。

走るのではなく、自転車に乗るのは軽い気持ちで「歩く」感覚でもあったっけ。

 

雨が続いていた当地、久しぶりの青空の下、自転車に乗って風を切るのは快かった。

「自転車にのって」を思い出し、さらにごきげんな気持ちになったのであった。

 

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♬イチゴの季節になると思い出すのは、…「苺の季節」(堺正章)という歌

2023-06-01 21:33:35 | うた

わが家の庭に、イチゴが実る季節となった。

以前住んでいた家から苗を少し持ってきただけだったから、実ったら食べようなんて思いはあまりなかったのである。

それが、昨日の記事ではないが、野生化するように自分が生きていけるようにとランナーを伸ばし伸ばし、広がって行った。

その結果、今、毎日20個くらいの小さなイチゴが取れる。

以前書いたことがあったと思うが、すっぱいイチゴである。

 

 

イチゴの季節になったなあ…と思う。

イチゴの季節、といえば、昔学生の頃、堺正章が「苺の季節」という歌を歌っていたことを思い出した。

 

君がかわいい男の子をつれ

街を歩いているのを見ました

横にいたのが旦那さんでしょう

ペアのセーター似合っていました

 

こんな歌詞で始まる歌だ。

あの頃特有の、少し前の恋人との思い出を歌う歌である。

昔の恋人が、親子連れとなっている姿を見かけたわけだ。

だが、一番の、この先の歌詞は記憶に残っていない。

なのに、2番の歌詞は、どういうわけかよく記憶している。

 

苺の季節になると思い出すのは

二階の窓辺のちいさな鉢植え

君が花屋で買ってきたんだったね

青い苺がたくさんついてた

いつか真っ赤になったなら 二人で食べようねと言った

けれど別れの時が来て 苺は枯れたね

君を愛したわずかな月日も 青い葉っぱのままで枯れたよ

君を愛したわずかな月日も 青い葉っぱのままで枯れたよ

 

イチゴの季節だなあと思うと、「苺の季節になると思い出すのは…」と、この歌の2番のフレーズが思い浮かんでくるのだから、不思議なものだ。

40年以上たってもだいたい思い出せるのは、あの頃よく聞いていたからだろう。

そんなにヒットした歌でもなかったのだが、自分としては気に入っていたということだろう。

 

改めて調べてみると、この歌詞の作詞者は、喜多条忠。

あのかぐや姫の「神田川」や「赤ちょうちん」の作詞者だった人だ。

「苺の季節」にも、「神田川」や「赤ちょうちん」と通じる若者の悲恋、別れが描かれていたのだ。

不安定な心、将来への不安、…若者ゆえだった。

この歌の底辺に流れる哀しさが、自分は好きだったのだろうなあ…。

イチゴだけにすっぱい青春ということかな。

 

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前川清の「昭和から」が気に入っている

2023-03-25 21:34:38 | うた

過日、NHKの歌番組「うたコン」を見ていたら、前川清が歌っていた歌が気になった。

その曲名は、「昭和から」という。

歌唱する前川清本人の声が少しかすれたりしていたけれども、なんだかいいな、と思った。

YOUTUBEで何度か聴いた。

 

歌は、

電話のダイヤル回す指が震えた 声を聞くだけで幸せだった

駅の伝言板に君の名前を書いた 君はやがてそこにサヨナラと書いた

…と始まる。

 

ダイヤルを回す電話、懐かしい。

家の電話だけはもちろん、赤色の公衆電話も、緑色の公衆電話BOXの電話も、電話は皆ダイヤルを回してかけるものだった。

10円玉を貯めて、情け容赦なく落ちていく硬貨の音を聞きながら好きな子に電話していた時代が確かにあったなあ、と思った。

 

あの頃は、私鉄でも「国鉄」でも、駅に伝言板はつきものだった。

そこにはいろいろなことが書かれていたっけ。

駅や伝言板が男女のすれ違いや別れの場所になったことも、たしかに多かった。

今は、伝言板はなくなって久しい。

 

あの日貧しかったけどあきらめなかった

あの頃夢は次々と生まれては消えてった

僕は昭和から来て 今未来にたどり着いた

まだ終わらない物語を も少し読んでみようか

 

あの頃の思い出をたどりながら、「僕は昭和から来て 今未来にたどり着いた」と人生を歩んできて今があることを歌っている。

 

2番の出だし。

手紙の下書き書いては消して 出せないまんまちぎって捨てた

原っぱに仲間とごろりと寝転んで 星を見てたら涙がこぼれた

苦しかったけど自分を捨てずに済んだ 

誰かがそっと遠くで支えてくれてた

好きな人へ思いを表そうと思って手紙を書いてみるが、やはり思いをうまく書くことができない。

やっとの思いで書き上げた手紙も、こんなのではダメだ、と結局、破いて捨てる。

そんな経験、たしかにあった。

そして、なんだかんだ言っても、自分の周囲にいた友だちが自分の悩みや辛さをわかってくれた。

そのことに救われて生きていられたこともあった。

 

遠くから支えてくれたのは、友人ばかりではない。

僕は昭和から来て 今未来を生きているんだ

故郷行きの夜汽車は消えて ああ故郷がほどけてゆく

昔はあった故郷行きの夜汽車。

その向こうには、父や母、家族や友人がいた。

ひと駅ひと駅と故郷の駅に着くのを待ち遠しい思いで、ガタンガタンと揺られていたっけ。

今も走っている夜汽車は少ない。

 

3番は、昭和を共に過ごしたが、令和の今では亡き友人に向けて語る内容だ。

亡き友の懐かしい声が聞こえる

まあお前は慌てず急がずのんびり来いと

僕は令和まで来て まだ少し未来があるようだ

お前の分まで生きてやるよと 一人で酒を酌む

お前の分まで生きてやるよと 二人で酒を酌む

 

かつて何度も酒を飲み語ったのに、今は故人となってしまった友人がいる。

そいつを思い出しながら飲むと、声が聞こえるような気がしてくる。

心の中に、そいつが話しかけてくるような気がして、対話を繰り返す。

そして、「お前の分まで生きてやるよと」一人つぶやきながら飲むが、気分は二人で飲んでいるつもりになって酔いに落ちている。

 

いい感じの歌だなあ。

そう思って、少しだけ調べてみると、作詞作曲は、前川清と同郷長崎のさだまさしだった。

なるほどなあ。

さすが、さだまさし。

いい詩を書くよ。

曲調も、前川清の歌唱にぴったり合っている。

 

そうだ。

自分も、まぎれもなく昭和から来た人間なのだ。

だからこそこの共感なのだな。

私も昭和から令和まで来た。

「まだ少し未来がある」

しっかり生きていかなくちゃな。

コメント
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