ここ2週間くらい、娘の病室は、娘にとってよいと思われる環境になっていた。
「なっていた」と書いたのは、今日その状況が終わってしまったからにほかならない。
約2週間前、同じ病室の向かい側のベッドに、80歳ながらおしゃべりが好きな、結構元気なお婆ちゃんOさんが入ってきたのだ。
そのほかにも前から入っていたもう一人のお婆ちゃんHさんもいたのだった。
そのころは、隣のベッドには、寝たきりでほとんどしゃべらない方もいたけれど。4人部屋のよさが十分に表れていた。
娘は、人が好きだ。
もともと、たくさんの人とおしゃべりしたりかかわったりするのが好きなのである。
それが、たとえお婆ちゃんたちであったとしても。
だから、このお婆ちゃんたちと話をすることは、娘にとっては望ましいことであった。
自分が、くだらない話で笑わせたり、介護施設で働いていたことを話したりして、お婆ちゃんたちの心をつかみ、仲良くなったようであった。
特に、真向かいのOさんは、娘によくかかわってきてくれた。
娘も、Oさんのことを面白い、と言って、すごく気に入ったようであった。
Oさんも、日に日に容態を回復させていった。
その結果、Oさんは、今日で退院となった。
もう一人、前から同室だったHさんも、別な病院で手術を受けるからという理由で今日退院となってしまった。
この間、娘の体に何も起こらなかったわけではない。
記憶障害であることは、お婆ちゃんたちにもわかってもらえたようであったが、以前書いたように、小発作かと思うような症状に見舞われたこともあった。
昨日も、お婆ちゃんたちと翌日の別れを惜しんでいた時、急に左耳付近の不調を訴えた。
幸い、十数分後には、けいれんに至らずに体を起こすことができたけれども。
今日、同じ日に、仲間二人を失った娘の病室は、一気に火が消えたように寂しくなってしまった。
今日は雨が降ったせいもあり、肌寒さも感じたのだが、娘しかいない病室はさらに空気が冷たく感じた。
寂しくなったことを口にしながら、まあまあ元気だった娘だが、日中は寝ている時間が多かったらしい。
やはり昨日から体調不良をひきずっているらしい。
妻の話では、夕食前には頬のあたりのしびれを訴えていたと言う。
妻が帰った後も、娘は右腕のしびれを訴えた。
その時の、娘と私の二人だけの広い病室が、やけに心細く感じられた。
夕方病室を訪れた私にも、寂しさが身にしみるように感じられた。
幸いしびれが広がることはなかったが、「おかしくなりそうな気がする」と頬のあたりを何度も抑えていた娘だった。
その娘が、急にボロボロと涙をこぼして泣き始めた。
具合が悪いのか?
気持ち悪いのか?
病気が不安なのか?
寂しいのか?
…尋ねる言葉に、どれも娘は首を横に振った。
涙ながらに語った言葉は、次のようなものであった。
「病気になってしまったのは、自分の人生だから仕方ないと思うけれど、父や母に迷惑かけていると思ったら、急に悲しくなった。」
そんなふうに言って、何度も大きな涙をぽろぽろとこぼしていた。
不びんだなあ…と思った。
「なってしまったものは仕方ないよ。」
「でも、時間がかかっても、少しずつでも治していこう。」
「まだ若いんだから、よくなると信じてさ。」
私は、そう言って勇気づけた。
まもなく面会時間終了となるので、看護師さんに症状を話して帰ることにした。「ありがとうございました。」
そう言う娘と、いつものようにタッチを交わし、病院をあとにした。
一人だけの病室に娘を残すのは、なんだかとても可哀想に思えて仕方なかった。
思えば1年前の、今日から8日後だ。
娘が病に倒れてから、もう1年を迎えようとしている…。
「なっていた」と書いたのは、今日その状況が終わってしまったからにほかならない。
約2週間前、同じ病室の向かい側のベッドに、80歳ながらおしゃべりが好きな、結構元気なお婆ちゃんOさんが入ってきたのだ。
そのほかにも前から入っていたもう一人のお婆ちゃんHさんもいたのだった。
そのころは、隣のベッドには、寝たきりでほとんどしゃべらない方もいたけれど。4人部屋のよさが十分に表れていた。
娘は、人が好きだ。
もともと、たくさんの人とおしゃべりしたりかかわったりするのが好きなのである。
それが、たとえお婆ちゃんたちであったとしても。
だから、このお婆ちゃんたちと話をすることは、娘にとっては望ましいことであった。
自分が、くだらない話で笑わせたり、介護施設で働いていたことを話したりして、お婆ちゃんたちの心をつかみ、仲良くなったようであった。
特に、真向かいのOさんは、娘によくかかわってきてくれた。
娘も、Oさんのことを面白い、と言って、すごく気に入ったようであった。
Oさんも、日に日に容態を回復させていった。
その結果、Oさんは、今日で退院となった。
もう一人、前から同室だったHさんも、別な病院で手術を受けるからという理由で今日退院となってしまった。
この間、娘の体に何も起こらなかったわけではない。
記憶障害であることは、お婆ちゃんたちにもわかってもらえたようであったが、以前書いたように、小発作かと思うような症状に見舞われたこともあった。
昨日も、お婆ちゃんたちと翌日の別れを惜しんでいた時、急に左耳付近の不調を訴えた。
幸い、十数分後には、けいれんに至らずに体を起こすことができたけれども。
今日、同じ日に、仲間二人を失った娘の病室は、一気に火が消えたように寂しくなってしまった。
今日は雨が降ったせいもあり、肌寒さも感じたのだが、娘しかいない病室はさらに空気が冷たく感じた。
寂しくなったことを口にしながら、まあまあ元気だった娘だが、日中は寝ている時間が多かったらしい。
やはり昨日から体調不良をひきずっているらしい。
妻の話では、夕食前には頬のあたりのしびれを訴えていたと言う。
妻が帰った後も、娘は右腕のしびれを訴えた。
その時の、娘と私の二人だけの広い病室が、やけに心細く感じられた。
夕方病室を訪れた私にも、寂しさが身にしみるように感じられた。
幸いしびれが広がることはなかったが、「おかしくなりそうな気がする」と頬のあたりを何度も抑えていた娘だった。
その娘が、急にボロボロと涙をこぼして泣き始めた。
具合が悪いのか?
気持ち悪いのか?
病気が不安なのか?
寂しいのか?
…尋ねる言葉に、どれも娘は首を横に振った。
涙ながらに語った言葉は、次のようなものであった。
「病気になってしまったのは、自分の人生だから仕方ないと思うけれど、父や母に迷惑かけていると思ったら、急に悲しくなった。」
そんなふうに言って、何度も大きな涙をぽろぽろとこぼしていた。
不びんだなあ…と思った。
「なってしまったものは仕方ないよ。」
「でも、時間がかかっても、少しずつでも治していこう。」
「まだ若いんだから、よくなると信じてさ。」
私は、そう言って勇気づけた。
まもなく面会時間終了となるので、看護師さんに症状を話して帰ることにした。「ありがとうございました。」
そう言う娘と、いつものようにタッチを交わし、病院をあとにした。
一人だけの病室に娘を残すのは、なんだかとても可哀想に思えて仕方なかった。
思えば1年前の、今日から8日後だ。
娘が病に倒れてから、もう1年を迎えようとしている…。