ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

走ってみたくなって

2014-05-14 22:54:36 | RUN

久々にどうしても走りたくなった。
娘が転院してからというもの、ますます時間に余裕がなくなった。
勤務先が、自宅と正反対の方向にあるのだ。
だから、勤務先から自宅まで帰った後、それと同じくらいの距離を反対方向に走らないと、娘の入院している病院にたどり着かないのだ。
勤務時間が終了したからといって、すぐに退勤できるわけではない。
だいたいは、職員から何らかの相談があったり、打ち合わせをしたりしている。
それが終わってから、病院まで行く。
午後8時の面会時間終了の後、家に帰ると、だいたい午後8時半である。
それから、空腹を満たすために夕食。
そうなると、平日、勤務終了後に走ることは難しい。
そこに、最近の足腰の不調が来ているから走らずにいた。

ただ、この日は、前日のちょっとしたショックもあって、どうしても走りたくなった。
幸い、出張先から自宅に帰ることにしたから、ほんの少しだけ早く帰れた。
準備運動を念入りに行って、ふくらはぎや腰の痛みが出ないようにセーブしながら、スピードを上げないスロージョギングで行くようにした。
走った場所は、近くの運動公園を大きく周回するコースであった。

実は、前日は、娘の5回目の帰宅外出があった。
家で日中の半日を過ごした。
ただ、娘は、前回書いた日から引き続き不調であった。
食べた物も、数分と覚えていられない。
したことも、尋ねると、…???である。
やはり、この前の不調は、全身けいれんにまでは至らなかったが、発作と考えてよいものであったのだろう。
動作も鈍く、多少よろけたり、足の運びがおかしかったりしていた。
そんなわけで、注意して見ていたつもりであったが、家で、足がよろけて2度も倒れてしまったのであった。
1回目は、トイレに立とうとしたときである。
ふらついたため、とっさに座椅子につかまろうとしたが、軽い座椅子に体重をかけてしまったために座椅子ごと前に倒れ、娘は、頭をガラス戸に打ちつけた。
このときは、幸いガラスは割れなかった。
ガラスが割れず、頭にガラスが刺さる、なんてことがなくてよかったと、妻と胸をなでおろした。
ところが、それから2時間ほど後、2回目の転倒が起こってしまった。
その時、洗濯物をたたんでくれていた娘が、不意に立ち上がった。
洗濯ばさみを上のハンガーに戻すためだ。
ところが、娘は、立ち上がった脚に力が入っておらず、ふらふらとよろけてバランスを崩した。
さっきは大丈夫だったが、今度は、湯呑み茶わん等の入った食器戸棚へ、背中からもろに突っ込んだ。
ガッシャーン、という戸棚のガラスが、大きな音もろともに割れ、粉々になった。

「動くな!」と娘に対し大きな声で叫んだ私は、娘の着ているカーディガンを脱がせ、妻とともに娘を安全な場所に移動させた。
幸い、ガラス片は娘の髪や内側の衣服には付いていなかった。
掃除機で、外側の衣服に付いた細かいガラスの破片を吸い取り、大きなものは、別に集めて処理していった。
戸棚や周辺にガラスが残らないよう、丁寧にきれいにした。

ガラス片の片付け作業をしながら、食器戸棚の中に合った2つのトロフィーに目が行った。
これは、小学生時代の娘が、小5・小6と2年続けてSBちびっ子健康マラソン大会で3000mを走って優勝した時のもの。

あれから20年近くたって、こうやって走るどころか立ち上がるだけでもよろけてしまい、ガラスを割ってしまうなんて…と、ちょっぴり悲しくなった。
また、走れるようになる日は来るのだろうか…?


前日にそんなことがあったせいか、走りたいな、と思った。
走って、うつうつとした気持ちを少しでも晴らしたくなった。
20年前、娘と毎朝のようによく走った近くの運動公園へ行き、公園内を数周走った。
準備運動はしっかり行った。
久々なので、速くは走れない。
速過ぎると、またふくらはぎや腰が痛くなるような気がして、いつもよりスローなジョギングで、駆けていく。
元気な時なら1周5分余りで走れていたのだが、平均で6分半ぐらいかけて走った。
最後の1周を走っている時、コースに小3くらいの女の子とお父さんらしい人が飛び出してきた。
あえてアップダウンのあるコースを走っているらしい。
ポニーテールに髪を束ね、スリムな女の子。
きっと、走るのが好きな子なのだろうなあ。
お父さんと、ちびっ子マラソン等を目指して走っているのだろうなあ、と思った。
ああ、なつかしいなあ。
20年前、私と娘もそうだった。
毎朝、3㎞弱のコースを走っていたのだった。
息子はごくたまにサボることもあったが、2歳年上の娘は走るのをサボることはなかった。
ちびっ子健康マラソンでの優勝インタビューでは、「毎朝、お父さんと走っています。」と答えていたことが思い出された。

最後の1周と決めて走っていると、後ろから、先ほどの父娘が次第に背後に迫ってくるのを感じた。
やがて、横を抜いて行った。
いい走りだ。
腕を適度に振って、ストライドが伸びる。
走るのが得意なのだろうなあ。
がんばれ、がんばれ。
がんばれ、お父さんと。
心の中でそう念じながら、私は家へ帰るための道へと別れて走って行った。

久々の復活ラン。
32分20秒。
タイムを見直すと、4周の1周ごとの走りは、6分02秒,6分12秒,6分29秒,6分32秒。
さすがに速くないなあ。
でも、自分がわずか30分余りだけれど走れたこと、昔の自分たちを思わせる父娘が走っている姿を見たことなどが、気持ちをさわやかにしてくれていた。

今までの自分の人生、子どもとともに歩んできた人生は貴いものだ。
私にとって、走ることには、昔のわが子たちとの思い出がよみがえることも心地よさがある要因の一つなのかもしれない。
そんなことも思った、6週間ぶりのRUNであった。

コメント
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