今週がやっと終わった。
勤務日は、水木金と3日しかなかったのだけれど、疲れてしまった。
連休が明けた水曜日のことだ。
病院に着いたら、すでに娘は夕食を終えていた。
だが、薬を飲んだことも忘れ、まだ薬を飲んでいないと主張した。
看護師さんに聞いてみると、確かに飲んだということだった。
また、食事の献立はいつもノートかどこかに書き付けているのだが、今日は極めて珍しく、どこにも書いたものがなかった。
おかしい。
今日の娘はおかしい。
そう思った。
表情は変化に乏しく、体調の悪さを思わせた。
最近ここ何か月かは、具合が悪くても食事もメモはとっていたし、毎日何かノートに書きつけていた娘であったから。
娘は、私たちに、頬の辺りの違和感―ぎゅっと絞られるような感覚―を訴えた。
様子を見ていたが、顔つきはどよんとしたままだ。
生気がない。
今日は、明らかにおかしいから、看護師さんに伝えていく、と言って妻が先に帰って行った。
そのあと、私は、娘と娘の病気について話を始めた。
私と話をしながら娘は、「家に帰りたい。」と、次々と涙を流した。
私は、娘に、
最初は大変だったこと、
大変さを乗り越えてここまできたこと、
やっとひと月前にけいれん止めの点滴がとれたこと、
1年かけてようやくここまで回復したこと、
記憶にはなくとも4回外出して家に帰れるようになったこと、
…などを話して伝えた。
娘は、うなずきながら話を聞いてくれていた。
…が、しだいに動きが鈍くなり、視線が止まることが多くなってきた。
おかしい。
私は、娘をべッドに寝かしつけた。
仰向けになって、薄目で視点が定まらない娘だった。
生つばを何回か飲むようにのどを鳴らしていた。
これはよくない兆候だ。
かつて娘は、この様子を見せた後、けいれんを起こす姿を見せた。
見たくもないのに、何度見せられたことか。
もう、あの姿は見たくないのだ。
それが起こらないことを願いながら、娘の左手を握りしめた。
そして、反対の手で、看護師を呼ぶためのブザーを押した。
最初は看護助手の方が来てくれたが、様子を伝えると、看護師さんを呼びに行ってくれた。
駆け付けた看護師さんは、さっそく血圧を計ったが、平常どおりの値だとのこと。
少し目の開き方が大きくなった娘に、気持ち悪くないかを聞くと、首を小さく横に振った。
しだいに目の開き方がしっかりしてきて、まばたきの回数も増えてきた。
頬がおかしくないか、口の中が苦くないか、と聞くと、首を横に振った。
どうやら少し改善したらしい。
看護師さんは、
「また来ます。今夜は、気をつけて見るようにします。」
そう言って他の病室に行った。
改めて大丈夫かと何回か聞くと、そのたびに今度は首を縦に振って応えた。
まずは、ちょっとほっとした。
10分間ほど手を握っていたが、話しかけるたび反応する姿になってきて、落ち着いてきた様子がうかがわれた。
面会時間が終わりそうなので、もう一度「帰るけど、具合が悪くないか。」と聞くと、大丈夫だと言う。
目が宙をさまよっているように感じたのだが、「父を見ていると、泣きそうになるから。」との言葉が返ってきた。
これなら大丈夫かもしれない、と面会時間終了の直前に、後ろ髪を引かれる思いで病室をあとにした。
全身けいれんは、幸い起こらなかったが、小さな発作が久々に起こったのではないか、と思った。
なんとか、全身けいれんには陥らないでほしいと、強く願った。
ひどく疲れて家に帰った。
早めに寝たのだが、夜中に目が覚めてしまった。
なかなか寝付けなかったため、翌日木曜日は、一日中頭痛でまいった。
夕方訪ねた娘は、食事の献立メモは書いたものの、ノートには一文字もなく、相変わらず不調の様相。
しきりに眠いと訴えた。
それでも、前日よりははるかにましに見えた。
顔の表情は、前日に比べればよいが、眠そうでたまらない様子だった。
やはり、昨日来の影響なのだろうか。
前日の姿は、小発作が起きたことを意味するのだろうと思った。
そう考えて、早めに寝るようにさせた昨日だった。
今日の夕方も眠さを訴えていた。
今日もノートには、献立を書いただけだった。
だから、本調子ではないと判断した。
ただ、だいぶ表情は豊かになってきていた。
冗談も飛び出すようになってきたので、どうやら回復してきたようだ。
ナンプレ(数独)をさせてみたら、結構素早くかなり正確な答えを多く導き出していた。
これなら、今週末も家に外出させてもよさそうだ。
やはり水曜日の姿は、けいれんの発作の一種だったのだと考える。
だから、そのダメージの影響が残った2日間だったのだろう。
相変わらず短期記憶は積み上がらないままだ。
ならばせめてけいれんだけは起こらないでほしい。
そんなことを考えた。
この3日間、どうなってしまうのか、不安にさいなまれた日々だった。
これからも、まだ続くのだろう。
改めて、体のことだけでもまだまだ簡単ではないと思い知らされた。
でも、支えるわれわれがめげずにいたい、と強く思う。
勤務日は、水木金と3日しかなかったのだけれど、疲れてしまった。
連休が明けた水曜日のことだ。
病院に着いたら、すでに娘は夕食を終えていた。
だが、薬を飲んだことも忘れ、まだ薬を飲んでいないと主張した。
看護師さんに聞いてみると、確かに飲んだということだった。
また、食事の献立はいつもノートかどこかに書き付けているのだが、今日は極めて珍しく、どこにも書いたものがなかった。
おかしい。
今日の娘はおかしい。
そう思った。
表情は変化に乏しく、体調の悪さを思わせた。
最近ここ何か月かは、具合が悪くても食事もメモはとっていたし、毎日何かノートに書きつけていた娘であったから。
娘は、私たちに、頬の辺りの違和感―ぎゅっと絞られるような感覚―を訴えた。
様子を見ていたが、顔つきはどよんとしたままだ。
生気がない。
今日は、明らかにおかしいから、看護師さんに伝えていく、と言って妻が先に帰って行った。
そのあと、私は、娘と娘の病気について話を始めた。
私と話をしながら娘は、「家に帰りたい。」と、次々と涙を流した。
私は、娘に、
最初は大変だったこと、
大変さを乗り越えてここまできたこと、
やっとひと月前にけいれん止めの点滴がとれたこと、
1年かけてようやくここまで回復したこと、
記憶にはなくとも4回外出して家に帰れるようになったこと、
…などを話して伝えた。
娘は、うなずきながら話を聞いてくれていた。
…が、しだいに動きが鈍くなり、視線が止まることが多くなってきた。
おかしい。
私は、娘をべッドに寝かしつけた。
仰向けになって、薄目で視点が定まらない娘だった。
生つばを何回か飲むようにのどを鳴らしていた。
これはよくない兆候だ。
かつて娘は、この様子を見せた後、けいれんを起こす姿を見せた。
見たくもないのに、何度見せられたことか。
もう、あの姿は見たくないのだ。
それが起こらないことを願いながら、娘の左手を握りしめた。
そして、反対の手で、看護師を呼ぶためのブザーを押した。
最初は看護助手の方が来てくれたが、様子を伝えると、看護師さんを呼びに行ってくれた。
駆け付けた看護師さんは、さっそく血圧を計ったが、平常どおりの値だとのこと。
少し目の開き方が大きくなった娘に、気持ち悪くないかを聞くと、首を小さく横に振った。
しだいに目の開き方がしっかりしてきて、まばたきの回数も増えてきた。
頬がおかしくないか、口の中が苦くないか、と聞くと、首を横に振った。
どうやら少し改善したらしい。
看護師さんは、
「また来ます。今夜は、気をつけて見るようにします。」
そう言って他の病室に行った。
改めて大丈夫かと何回か聞くと、そのたびに今度は首を縦に振って応えた。
まずは、ちょっとほっとした。
10分間ほど手を握っていたが、話しかけるたび反応する姿になってきて、落ち着いてきた様子がうかがわれた。
面会時間が終わりそうなので、もう一度「帰るけど、具合が悪くないか。」と聞くと、大丈夫だと言う。
目が宙をさまよっているように感じたのだが、「父を見ていると、泣きそうになるから。」との言葉が返ってきた。
これなら大丈夫かもしれない、と面会時間終了の直前に、後ろ髪を引かれる思いで病室をあとにした。
全身けいれんは、幸い起こらなかったが、小さな発作が久々に起こったのではないか、と思った。
なんとか、全身けいれんには陥らないでほしいと、強く願った。
ひどく疲れて家に帰った。
早めに寝たのだが、夜中に目が覚めてしまった。
なかなか寝付けなかったため、翌日木曜日は、一日中頭痛でまいった。
夕方訪ねた娘は、食事の献立メモは書いたものの、ノートには一文字もなく、相変わらず不調の様相。
しきりに眠いと訴えた。
それでも、前日よりははるかにましに見えた。
顔の表情は、前日に比べればよいが、眠そうでたまらない様子だった。
やはり、昨日来の影響なのだろうか。
前日の姿は、小発作が起きたことを意味するのだろうと思った。
そう考えて、早めに寝るようにさせた昨日だった。
今日の夕方も眠さを訴えていた。
今日もノートには、献立を書いただけだった。
だから、本調子ではないと判断した。
ただ、だいぶ表情は豊かになってきていた。
冗談も飛び出すようになってきたので、どうやら回復してきたようだ。
ナンプレ(数独)をさせてみたら、結構素早くかなり正確な答えを多く導き出していた。
これなら、今週末も家に外出させてもよさそうだ。
やはり水曜日の姿は、けいれんの発作の一種だったのだと考える。
だから、そのダメージの影響が残った2日間だったのだろう。
相変わらず短期記憶は積み上がらないままだ。
ならばせめてけいれんだけは起こらないでほしい。
そんなことを考えた。
この3日間、どうなってしまうのか、不安にさいなまれた日々だった。
これからも、まだ続くのだろう。
改めて、体のことだけでもまだまだ簡単ではないと思い知らされた。
でも、支えるわれわれがめげずにいたい、と強く思う。