ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

1つの夢の実現~新潟シティマラソン、5時間内で完走達成!(2)

2015-10-13 20:11:15 | RUN
さて、関屋分水路岸を離れ、浦山、青山の街中を抜けると、国道402号線に出る。
ここからの往復約20kmは、海沿いの砂地の中を舗装された国道の道である。
最初に参加した4年前の大会では、陽射しをさえぎるものもなく、その強さが身にしみた。
2年前の大会では、向かい風が強くて、負けずに走るだけで疲れてしまった道でもあった。
今年は、気温も高くなく、風もさほどでない。

12km地点を過ぎたあたりで、急に呼びかけられた。
なんだ、この蛍光色の赤いヤツは?
誰かと思ったら、ほかでもない。
一緒にこのレースに参加している息子であった。
てっきり私の先を行っていると思っていたら、後ろを走っているとは。
「ゆっくり走ってきて、ストレスもない。これから上げていくよ。」と言いながら、彼はペースを少しずつ上げて前へと去っていった。


13km地点を過ぎて、最初にフルマラソンに挑戦した時、あと先考えずに走ってきて、最初に脚に痛みを感じたのが、この13kmであった。
そのことを思い出した。
ここで、もう1位の選手たちが反対側の道を走ってきていた。
なんて速いんだ。まだ折り返し地点まで7kmもあるのだ。
13km地点で、14kmも差がついているということか!?
でも、こっちは我慢、我慢。

ゆるやかなあるいは細かいアップダウンがあるものの、道は大きな風景の変化がなく進む。
15kmまでのタイムは、6分9秒、19秒、5分54秒、6分7秒、16秒。
まあ、順調だ。

次々と、速いランナーたちが折り返してすれ違ってくる。
16km付近で、前の前の勤務先で知り合った方とすれ違った。
この方は、私にマラソンを走りたいなあ、と思わせてくれた若い方だった。
この人のおかげで、私も自由に長距離を走ってみたい、やってみたいという決心に至ったのだ。
「○さん、ガンバです!」
と声をかけると、大きな目をさらに見開いて、「おお!」と右手を上げてみせた。

このころ、ちょっと不安が生じていた。
着地する足のつき方によっては、左膝に違和感があることがあった。
が、まだ痛みはないので「楽な走り」を心がけて、走り続けた。
しかし、折り返し点は遠い。なかなか近づかない。

そうこうしているうちに、どんどん「対向者」が多くなってきた。
サブ3やサブ4ランナーたちは、こんなペースで走っているのだろうなあ。少しうらやましい。
それよりも、まず自分はこの6分台のペースで走ること。それが、完走への第1条件。

内野新川大橋を渡って、やっと20kmポイントへ。
そして、ここには、初めてのフードが。
スポーツドリンクや水のあと、バナナ、トマトをいただいた。
さらに、塩を振っていただいたら、なんと左手に山盛りの塩をかけられてしまった。
どっさり。振り払ってもたっぷりついたまま。何度もなめてしまった。
結局22km過ぎのスポンジエイドまでしょっぱい左手をなめていたのであった。
25kmのエイドでは、新潟で限定販売されている米菓「サラダホープ」(亀田製菓)が、塩分補給にどうぞ、と配られていた。

1個いただいて、ポケットに入れた。

折り返し点前での「給食」で7分6秒かかってしまったけれど、その後の5kmは、6分14秒、18秒、17秒、38秒と善戦している。
ずっとずっと続く、長い変化のない海岸の国道を行く。
抜いていく人を見ていると、自分が遅くなっているような錯覚を覚える。それが自分の焦りを誘うのだ。
でも、ウオッチを見て、自分の速さを確認すると、確かに決して遅くなっていないのだ。
28km付近の松林では、最初に挑戦した時は脚がつっている自分だったなあ、などと思い返すこともできる。
タイムは落ちてきているが、まださほどではない。計算通りだ。仮に少しタイムが落ちていっても、キロ8分台でよいというレース前の計算通りなのだ。
そして、今日までの自分は、30km以降を走るために、練習をしてきたのだ。まだまだいけるはずだ。

そう思って苦しくなってきた中を走っていたら、目の前に、蛍光色の見覚えのある赤いランナーが。

おお、息子だ。

なぜか知らんが、追いつけそうな所まできてしまったぞ。
あまり調子が良くないのか?
(後で聞いたら、トイレに寄ったそうだ。)
そこで、30kmポイントの坂を迎える。
実は、自分も25km以降、6分35秒、27秒、35秒、37秒、47秒と、6分台後半になっていたのだった。
4年前の初挑戦では、関屋分水路を渡るこの浜浦橋を渡れず、バスに乗った。
2年前は練習不足もあって、この近くで5時間ペースを示すランナーに抜かれた。
これらの屈辱を経て、今度こそは5時間以内に完走するのだ。
浜浦橋の橋上にいる蛍光色の赤いユニフォームの息子を追いかける。

浜浦橋を渡り終え、息子に追いついた。
「行ける所まで行くから、先に行くよ。」と告げ、息子を追い越した。
31kmのフードエイドでは、バナナを1本渡され、サラダホープもいただいた。
さあ、これからもがんばるぞ。

2年前は、時間制限で止められるまで歩こう、と歩き続けた道を、今年は走っている。
自分の練習の成果を見たような気がした。
34kmまでは、キロ6分45秒、46秒、49秒でいけた。
しかし、ダメージが広がってきていた。
それは、急激に、そして、ガクンと自分の力をなくしていくのだった。

コメント
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