ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

同級会、無事終える

2016-08-16 14:05:25 | 生き方

幹事として、高校の同級会を無事に終えることができた。
会場探しと予約、会計を行ってくれたE氏にまず感謝である。
また、集まってくれた16名の皆様に感謝している。

今回は、「祝!還暦」を記念した同級会である。
激動の60年、過ぎてしまえばあっという間だったが、皆それぞれの人生をよく生きてきたものだ、と思う。
S.I氏のように、この4月に亡くなった人だっているし、入院中の者もいる。
だから、今ここに集えるのは、本当によくぞ生きていると言えるのだ。
そして、盆でもあり様々な予定もあったと思うが、出席しようと努めてくれたことがうれしい。

会の中では、一人一人の短い近況報告の時間を設けた。

17人も報告するから長くならないようにと、一人1分くらいずつで、と思って幹事の私から始めた。
しかし、久々に会った人たちに話をするのに、短く話すというのはしょせん無理なこと。
全員が話し終えるまでに、1時間程度もかかってしまった。
それも無理からぬこと。
話の内容で最も多かったのは、私の前に「永年幹事」をしてくれていたM氏への感謝の言葉であった。
彼がいかに熱心に幹事として毎回参加を誘ってくれたかということ。
そして困難があるとき彼がいかに思いやりに満ちた言葉をかけてくれたか、ということなどが多かった。
様々な職種の者がいるが、60歳で定年を間近にしている者は、「やっとゆっくりした日々が過ごせる」と言っていた。
反面、自営業の者は、「自分に定年はない。まだまだ働かなくてはいけない。」という者もいた。
遠方から久々に参加した某氏は、80歳まで研究を続けるために勤務先を変えた、と言っていた。さすがである。

普通は2時間くらいで会を終えるのだろうけど、近況報告後ようやく席を自由に移りながらあちこちで話に花を咲かせることになった。

そんな訳で、会場の割烹店(特にバイトの女の子たち)には悪かったが、会を閉じたのは、会が始まってから3時間余の後のことであった。
「2次会に行きたい」という声が上がったが、あいにくこの地に住んでいない私は、2次会向けの店など知らない幹事である。
でも、そこは地元のIm氏が、いくつか掛け合ってくれて、日曜夜でもやっている店を探し当ててくれ、助かった。

12、3人でその店に行って、Im氏がカラオケで何曲か歌い出すと、あっという間に午後10時半近くになってしまった。
申し訳ないが、田舎駅の終電の時刻が近い。
時刻は近いが、駅からは遠く、2kmくらいもある。
「駅まで送るよ」と、ウーロン茶飲みで過ごした女性が言ってくれたが、心から感謝しつつ、車には乗らず一人で駅に向かって走り出した。
ただ、さすがに酒を飲んだ後なので2kmを走り続けることができず、半走半歩で15分かかった。

駅に着いて2分後に終電が来て、乗り込み、座席に座ってホッとした。
M氏に代わっての幹事、なんとかやり終えた。
何人かから、今日の同級会ははうれしかった、と言ってもらえたことが何よりの喜びであった。
ただその言葉に続けて、「Mに代わって、『永年幹事』よろしく」。」と言われてしまったことが、なんとも複雑な思いではあるのだが、…まあいいや。
皆さん。東京オリンピックの年、またお会いしましょう。
それまで、元気で生きていきましょう。
コメント
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