ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

亡くなった同級生たちを悼んでまわる

2016-08-18 15:52:52 | 生き方
盆の期間、還暦を前に亡くなった高校時代の同級生たちの家を訪ねてまわった。


同級会当日、その時間になる前に、この春亡くなったW氏の家を訪ねた。
彼の家を初めて訪ねた。
その理由が、彼が亡くなったから、というのが何とも切ない理由であった。

彼の家は、かつて通った高校の近くにあった。
かつて通った高校、と言ったが、おそらく彼の家は元の高校の敷地が宅地として売りに出されたときにに建てたものだろう。
それから30年くらいは経過しているはずだ。
実は、入学した当時高校生活を送った建物は、まだ存在していた。

懐かしい。
1年生は、この木造の建物で生活を送っていたのだった。
W氏とは高校1年生時は同級生だった。
あの頃は、私たちの未来は、まさにまだ霧の中であった。

W氏の遺影は笑っているものだったが、かすかに記憶に残っている彼の父親の笑顔によく似ていた。
仕事から帰って、自宅で倒れた彼は、そのまま帰らぬ人となってしまったのだと、彼の奥さんから聞いた。
途中で出てきたご子息は20代。
彼の若い頃と目もとがとてもよく似ていた。


W氏の家で焼香させていただいた後、高校2,3年生時同級生だった、例の同級会前幹事のM氏宅を訪ねた。
もうあれから3年
仏壇のM氏の写真が若い。
がんになる前の50代前半のM氏の写真だ。
まだ髪があり、働き盛りの様相だ。
こうして、M氏と私たちには年齢差が生じてくる。
「これから同級会です。Mに代わり幹事です。」というと、奥さんは笑って、「皆さんによろしくお伝えください。」との言葉を告げた。


同級会の翌日は、新潟市内に出かけ、4月に亡くなった、S.I氏の自宅を探した。
訪ね当てると、彼の家のある場所は、アルビレックス新潟のサッカーの試合がある時、ビッグスワンからの帰り道で車で通り過ぎる道のすぐ脇道にあった。

高校時代の同級生だと名乗ると、家に入れていただいた。
午前中にも、高校時代の同級生・MT氏が訪ねてきたと言う。
MT氏は、同級会の案内を送った時、真っ先に返信を「参加」として送ってきた人だ。
前日の同級会でS.I氏の逝去を知ったのだろうが、翌日すぐに焼香に上がっている。
高校時代はこんなに行動力のある人だとは知らなかった。
それとも、その後の人生で身に付けたのだろうか。
ともかく、MT氏の迅速な行動に感心した。

S.I氏宅では、奥様と娘さん・息子さんが応対してくれた。
彼は、末期がんとなっていたが、退職日の3月31日まで勤め上げた。
4月2日には、どうしても行きたいと言う本人の強い希望で、家族皆で長野の御柱祭を見に行ったのだそうだ。
腹水がたまり、足もはれ上がって靴が履けなくなっていたが、運動靴のひもをゆるめ、かかとをつぶして履いていったのだという。
私からの高校時代の話は、ほとんど聞いたことがなかったということで、興味を持って話を聞いてくれた。
最後の旅行といい、話の聞き方といい、家族の温かさを感じた。


最後に、同級生仲間で最も早く8年前に亡くなったO氏の家を訪ねた。
彼の家は、私の家から1km余しか離れていない。
私の母が入院していた時、O夫人が入院中で隣のベッドにいて親しく話をして知り合いになったこともあって、彼の死後、毎年盆には焼香に行っている。
去年は、たまたま奥さんが外出中だったため会えなかった。
今年は、2年ぶりですね、と言いながら話が弾んだ。
O氏の遺影は、上記のM氏よりさらに若い。
この日は、2人の娘(孫である)を連れて娘が里帰りをしていた。
亡くなった当時、未亡人となり途方に暮れていた夫人であったが、今はすっかり落ち着いて日々を過ごしているようだ。
近々行われる中学校の同級会の幹事をやらされているのだといって、前日同級会幹事をした私に同情してくれた。
「また来年来てくださいね。」と笑って、私を見送ってくれた。



高校の建物は今も変わらずにある。
高校時代の同級生、同い年の彼らがぽつりぽつりと欠けるように人生を終えていく。
彼らと大切な人生を生きていた家族の皆さんに、彼らの人生と時を同じくしたことがあったこと、共に過ごし泣き笑いをしたことがあったことの思い出などを少しでも伝えることができたのなら、訪ねたかいがあった、よかったと思っている。
一人一人の人生が、大変だったとしても、かけがえのないすばらしさを伴うものであったに相違ないのだから。




コメント (2)
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