ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

30年前の子どもたちとの同級会

2017-01-08 22:49:22 | 「育」業
もうすぐ定年退職だということもあって、昔の教え子が同級会を開いてくれた。
私と隣のクラス担任だった方を招いてくれた。
昭和から平成に変わる時の時の子どもたちだ。
彼らは、今年一般に40歳を迎える。
2つのクラスで50人ほどいたのだが、今日集まったのは10人ほどで、どういう訳かすべて男性だった。

あの頃は、小学校でも毎日部活動を行っていた。
今となっては信じられないが、あの頃は、県内では多くの小学校では、放課後に部活動をやるのが当たり前だった。
といっても、だいたいは野球、ミニバスケットボール、あるいは水泳などのスポーツが中心で、大きい学校だと合奏や合唱などもやっていたりした。
今回集まった人たちが小学校5,6年生の頃、私は、毎日野球部の活動の指導を行っていた。
毎日野球をやっていたが、この学年の子どもたちにはスーパースターはいなかった。
つまり運動能力の高い子はいなかったのだ。
だけど、野球の試合となると、みんなで力を出し合って、どことやっても結構いい試合ができるようになったりしたのだ。
なぜかというと、一人一人の個性をうまく生かせたからだ。
球を取るのはうまいが肩が弱い子を2塁手にしたり。
ランナーになった時に、相手投手がなぜかおちょくられた気分になるような不思議な子がいて、大相のスペシャリストにして起用したり。
練習してもうまくならない子を「お前は、5回振れば1回は当たっていい当たりをする。だから、3回全部思い切り振って来い。ただ5回に1回だから、当たらない時もある。そういう時は、三振しても胸張って帰って来い。」と代打に出したり。
5年生の時は、肥満気味で練習も不真面目だった子が、6年生ではチームの4番を任せ、第2投手として起用できるようにもなった。
練習試合をすると、勝ったり負けたりだったりはしたけれども、それでも大会では前年度優勝チームに勝って3位になった。
この代の子たちは、そういう夢のあるチームだったのだ。
「小学校の時は、本当に野球が楽しかった。」
そう言いながら、酒を酌み交わした。

そして、何よりうれしかったのは、彼らのほとんどがよいオヤジになっていたことだ。
彼らの今の職業は、会社員や自営業であったけれども、皆自分のしていることに自信を持ち、がんばっていることがわかった。
そして、家族に対しても、ただ優しいだけの物わかりのいいオヤジではなく、一家の家長らしい貫録をもっていた。
彼らの子どもたちも、上の子どもたちは高校生や中学生が中心である。
自分の子どもの進路について考える時も、単純に親の考えを優先するのではなく、子どもに本当にどうしたいのか、とことんまで考えさせ決めさせている。よその親が、うちの子はダメだからとか言って、勝手に決めつけているのを見ると腹が立つ。
そんな風に話したのは、小学校時代は、わんぱくで遊んでばかりいた子だ。
言うことに太い芯が通っていた。
その成長ぶりが頼もしかった。

こんなふうに10人と話し、本当に楽しい時間を過ごした。
3時間があっという間に過ぎてしまった。
もう、彼らが中心となる時代だ。
私にとって目指しているのは、「将来の自立」だ。
だからこそ、現在しっかりした社会人となって生きている彼らに会えたのは、最大の喜びであり、うれしかった。


コメント
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