首相の突然の全国の学校への休校要請。
学校現場や保護者にとって、とんでもなく突飛で対応が大変な措置だった。
木曜の午後に言い出して、翌週の初めからそうせよということは、翌日1日しか時間がないということ。
そんな!
まだそれぞれの学年の学習だって終わっていないのに。
法的拘束力のある(?)学習指導要領で、その年齢の子どもたちには必要な学習内容を身に着けさせなければいけないのに。
それもできないまま、春休みまで放っておけというのだから。
春休みまで放っておいても、子どもが独りで学習できるわけではない。
そして、4月からは新学年新学期となる。
新しい学年の学習以前に前の学年の学習を終わらせる必要がある。
そうなると、今の学年の担任から次の学年の担任へ丁寧な引継ぎが必要となる。
また、1か月分の前学年の学習を入れることによって、新学年の学習内容の指導にも丁寧さが欠けざるを得ない。
前学年の指導も終わっていないし、十分な復讐もしていないのに、まさか4月に全国学力テストを行い学力が落ちたなどというのではないだろうなあ。
とても大切な卒業式はできるのか?
どうすればできるのか?
学習に関してだけにしても、これだけの不安が言えるのに、家庭・保護者の負担はどれだけ大変になるのか。
そのことが最大の不安だった。
案の定、放送・新聞・ネットなどの様々なメディアで、家庭・保護者の混乱ぶりが流れている。
各家庭が本当に大変だと思う。
学童保育の現場だって、1日中であり、健康安全の責任があり、本当に大変だ。
困っている家庭を助けるために、学校が「自主学習ルーム」を開いて、子どもの面倒を見ているというところもかなりあるようだ。
この年度末、また別な様々な配慮が求められる。
そして、教師の仕事は、学校に来ない個々の子どもがどのような生活を送っているのかを、電話・家庭訪問その他の方法でしっかり把握したり保護者と連絡をとったりすることも入ってくる。
教師も、子どもも様々な不安をかかえながら、先週の金曜日―突然の最終日―は、終わった。
ある先生は、次のような話を教えてくれた。
最後の話が終わった後、子どもたちからありがとうメッセージをもらいました。
(中略)それにしても、今日よく準備してくれたなぁとありがたい気持ちで一杯です。
(中略)できることをやろうと色々考えていたからなのか、とりあえずホッとした感じ。改めてメッセージを読んでみると、子どもたちの個性がよく表れていると思いました。
時間がないというのに、この1日生活する中で、子どもたちが担任の先生へのメッセージを書いて渡したのだという。
時間がなくても、自分たちで担任への1年間の感謝のメッセージを作ろうと考え、実行してくれたという子どもたちの厚意がうれしい。
この先生はそのように語ってくれた。
突然の、たった一日の猶予しかない中でも、このような心の通い合いが見られたのは、いいクラスを作ったなあと思った。
そのいいクラスが、突然終わりになってしまったことに、改めて何とも言えない口惜しさを感じるのも事実である。
さて、臨時休校はまだ始まったばかり。
子どもたちの生活や学習、そして保護者の収入や経済的負担、精神的負担などは本当に大丈夫なのか、懸念するところは多い…。
学校現場や保護者にとって、とんでもなく突飛で対応が大変な措置だった。
木曜の午後に言い出して、翌週の初めからそうせよということは、翌日1日しか時間がないということ。
そんな!
まだそれぞれの学年の学習だって終わっていないのに。
法的拘束力のある(?)学習指導要領で、その年齢の子どもたちには必要な学習内容を身に着けさせなければいけないのに。
それもできないまま、春休みまで放っておけというのだから。
春休みまで放っておいても、子どもが独りで学習できるわけではない。
そして、4月からは新学年新学期となる。
新しい学年の学習以前に前の学年の学習を終わらせる必要がある。
そうなると、今の学年の担任から次の学年の担任へ丁寧な引継ぎが必要となる。
また、1か月分の前学年の学習を入れることによって、新学年の学習内容の指導にも丁寧さが欠けざるを得ない。
前学年の指導も終わっていないし、十分な復讐もしていないのに、まさか4月に全国学力テストを行い学力が落ちたなどというのではないだろうなあ。
とても大切な卒業式はできるのか?
どうすればできるのか?
学習に関してだけにしても、これだけの不安が言えるのに、家庭・保護者の負担はどれだけ大変になるのか。
そのことが最大の不安だった。
案の定、放送・新聞・ネットなどの様々なメディアで、家庭・保護者の混乱ぶりが流れている。
各家庭が本当に大変だと思う。
学童保育の現場だって、1日中であり、健康安全の責任があり、本当に大変だ。
困っている家庭を助けるために、学校が「自主学習ルーム」を開いて、子どもの面倒を見ているというところもかなりあるようだ。
この年度末、また別な様々な配慮が求められる。
そして、教師の仕事は、学校に来ない個々の子どもがどのような生活を送っているのかを、電話・家庭訪問その他の方法でしっかり把握したり保護者と連絡をとったりすることも入ってくる。
教師も、子どもも様々な不安をかかえながら、先週の金曜日―突然の最終日―は、終わった。
ある先生は、次のような話を教えてくれた。
最後の話が終わった後、子どもたちからありがとうメッセージをもらいました。
(中略)それにしても、今日よく準備してくれたなぁとありがたい気持ちで一杯です。
(中略)できることをやろうと色々考えていたからなのか、とりあえずホッとした感じ。改めてメッセージを読んでみると、子どもたちの個性がよく表れていると思いました。
時間がないというのに、この1日生活する中で、子どもたちが担任の先生へのメッセージを書いて渡したのだという。
時間がなくても、自分たちで担任への1年間の感謝のメッセージを作ろうと考え、実行してくれたという子どもたちの厚意がうれしい。
この先生はそのように語ってくれた。
突然の、たった一日の猶予しかない中でも、このような心の通い合いが見られたのは、いいクラスを作ったなあと思った。
そのいいクラスが、突然終わりになってしまったことに、改めて何とも言えない口惜しさを感じるのも事実である。
さて、臨時休校はまだ始まったばかり。
子どもたちの生活や学習、そして保護者の収入や経済的負担、精神的負担などは本当に大丈夫なのか、懸念するところは多い…。