先日、辻村ゆめ氏の作品「山ぎは少し明かりて」を読んで、もっと他の作品を読んでみたくなった。
どれにしようかなと思いつつ、せっかくだからデビュー作を読んでみようと思った。
この「いなくなった私へ」という作品は、2015年に第13回『このミステリーがすごい! 』大賞・優秀賞を受賞した作品だった。
原題は、「夢のトビラは泉の中に」だったと、エピローグの後に書いてあった。
内容について、Amazonの紹介によると、次のようである。
人気シンガーソングライターの上条梨乃は、ある朝、渋谷のゴミ捨て場で目を覚ました。
誰も彼女の正体に気づく様子はなく、さらに街頭に流れる梨乃の自殺を報じたニュースに、梨乃は呆然とした。
自分は本当に死んだのか? それなら、ここにいる自分は何者なのか?
そんな中、大学生の優斗だけが梨乃の正体に気づいて声をかけてきた。
梨乃は優斗と行動を共にするようになり、やがてもう一人、梨乃を梨乃だと認識できる少年・樹に出会う……。
自殺の意思などなかった梨乃が、死に至った経緯。
そして生きている梨乃の顔を見ても、わずかな者を除いて、誰も彼女だと気づかないという奇妙な現象を、梨乃と優斗、樹の三人が追う。
前回読んだ作品は、ダムの建設にかかわっての、3世代に関わる現実的な物語だった。
よく取材したなあと思う、ヒューマンドラマと言える作品だった。
だけど、この物語は、ゴミ捨て場で目覚めた自分がすでに自殺したというニュースが流れていることを知るという、あり得ない展開。
おまけに、顔の知られた有名な歌手だったのに、周囲の人間には認識されないという、不思議さがついてまわる。
記憶と中身は生前のままだが、外見が変わってしまった元歌手の主人公梨乃と10歳の小学生、樹。
2人は、周囲から本人だと認めてもらえなくなっていた。
要するに、これは一種のサイエンス・フィクション(SF)なんだな、と理解した。
SFと思いながら、
唯一梨乃だと認識してくれた、たまたま通りかかった大学生の優斗は、なぜ認識できたのか?同じ日に死んだ樹が莉乃を認識できるのはわかるとしても。
何故生きているのに死んだことになっているのか?
彼女たちは本当に死んでしまったのか?
なぜ死なければならなかったのか?
などと、次々と謎が出てきた。
そんな疑問にせかされて、どんどん読み進んでいけた。
約390ページがあっという間だった。
第4章まである話なのだが、各章の冒頭に、主人公たちと全く関係ない異国での謎の話が綴られていた。
どこでどのようにストーリーが結びつくのかと考えたりもした。
やはり、最後には関係していた。そこまでつながるのが楽しい。
戦前・戦中・戦後とたどった先日の作品「山ぎは少し明かりて」とは全く違うスタイルの話。
あえて共通点を探るとすれば、「いなくなった私へ」も「山ぎは少し明かりて」も、「人が好き」と感じるところだろうか。
輪廻転生をテーマにしながら人とのふれあいを大事にしていた主人公。
カルト教団のせいで命の危機を迎えたりもする。
SFながら、生きるってことは、どういう意味を持つのだろうと考えたりもした。
辻堂さんは、このデビュー作を書いた当時はまだ20代の大学生(東大法学部!!)だったはず。
それでも、これだけ読ませる。
「山ぎは少し明かりて」の読後感想にも書いたとおり、やはり筆力のある方だなと感嘆した。
そして、「山ぎは…」とは全く別の面白さを味わうことができた。
ほかにどんな作品を書いているのだろう。
そんな興味もわいてきたのだった。