
それなりに暖かい日が続き、桜があっという間に満開となった。
満開の桜を見ると、妙に安心したり、豊かな気持ちになったりするのはなぜだろう?
昔から桜を愛でてきた日本人の一人だからか?
桜の花でそんなふうに心が動く自分のことは、嫌いではない。
それでも、桜→花見→酒というような行動は好きではない。
自分としては、桜も好きだし、花を見に行くことも好きだし、単純に酒を飲むことも大好きだ。
だけど、花を見て騒ぐのは好きになれない。
花の下で、大勢で集まって、ただ飲んで騒ぐだけではもったいない。
咲いている花を一つ一つ見ながら、自分の中に湧き上がる思いを確かめていくのがいい。
今日は、午前中、娘と歩いてスーパーへ買い物に行ってきた。
その帰り道、桜がきれいな通りを通った。

7年前、病院から初めて一時帰宅が許された日、マックのハンバーガーを食べたいと言った娘の希望をかなえるために店に寄って帰るとき、車で通った道だ。
倒れてから一年近くも入院したままで、ようやく認められた一時帰宅。
生きるか死ぬか分からない状態もあったところからある程度のところまで回復できたことに喜びを感じ、ハンドルを握った手に力が入ったこと、涙腺が緩んだことを覚えている。
今日は、その道を娘と共に歩けている。

娘は、あの頃は足元がふらつくことも多かった。
今は、こうしてしっかりした足取りで歩くことができる。
そして、スマホで、桜と大好きな青空、白い雲の写真を撮ることを楽しんでいた。

さらにその何年か前には、がんで余命半年と言われた母が、看護師さんの厚意で、車いすで病院近くの桜の花見に連れて行ってもらったことがあった。
病室に帰ってきた母が、満面の笑みで「きれいだったよ~」と言っていたことを、桜の花が咲いているのを見ると、思い出す。

桜は、私にとって、「家族の命」につながる思い出と結び付く。
だからこそ、今は、騒がずに静かに見たいのかもしれない。