ひと月余り前に、電子ピアノとお別れしたことをここに載せた。
その際、結局ピアノが弾けないままだったことを書いた。
まあ、できるようになるといいなと思って、練習用に電子ピアノを買いはしたのだったが。
職業上、弾けないということは致命的(?)かとも思えたのだが、それも個性の一つ、くらいの割り切り方ができていた。
「ピアノが弾けなくても、恥じることはない」ということを教わっていたからだ。
しかも、それは、音楽専門の大学の先生から学んだのだった。
私は、出身大学で中学校・高校教諭の免状を取得していたが、小学校教諭の免状はもっていなかった。
それを取得したのは、通信教育によってであった。
玉川大学の通信教育部で、単位を取得するために、夏は4週間のスクーリングに通ったことがあった。
スクーリングには、全国各地から教員を目指す若者が集まってきていた。
その若者たちには、すでに教員として働きながら、このスクーリングに参加している者たちも多くいた。
私が受講した1つに「音楽教育」があったのだが、その担当の先生が小宮路敏先生であった。
小宮路先生の代表的な曲には、「歩いてゆこう」(きくよしひろ作詞、小宮路敏作曲)がある。
音楽の教科書でも見た先生の音楽は、音楽の教科書にはないような楽しい曲もいっぱい教えてもらったし、それをみんなで歌うことが何より楽しかった。
ある時、小宮路先生は、スクーリング生たちに聞いた。
「今、もう現場の学校で先生として勤めている人も多いと思いますが、手を挙げてください。」
「(挙手している数を確かめながら)ああ、たくさんいますね。毎日大変でしょう。がんばってくださいね。」
そう言って、以前スクーリングに来た方の話をしてくださった。
その彼もね、小学校の代用教員の先生として、すでに働いていたのです。
いちおう彼をA先生と呼ぶことにしましょう。
A先生はピアノが弾けなかったのです。だけど、音楽の授業をするために、一生懸命ピアノの練習をしたんですよ。
でも、いっぱい練習したのだけど、どうがんばっても両手でうまく弾けない。
仕方がないので、音楽の時間は、片手でメロディーを弾いて授業をすることにしたのだそうです。
がんばって音楽の授業をしていたのですけど、ある子どもが先生の手元を見て、大発見をしたように叫んだのです。
「あ~っ、先生、ピアノ片手でしか弾けないんだ!」
さあ、困ったことになったわけですね。
でもね、A先生は、困ったなと思いながら、困った顔を見せずにこう言ったそうです。
「うん、そうだよ。片手なんだ。片手運転なんだけど、みんなだって自転車に乗る時、両手より片手手放し運転の方が難しいでしょ。」
「そうだね、先生。片手手放しで自転車に乗る方が難しいよ。」
「でしょう。だから、音楽の授業も片手でやる方がすごいんだよ。」
A先生が子どもたちにそう言うと、うなずく子どもたちが多かったそうです。
A先生が、よし、と思っていたら、子どもから次のような声が上がりました。
「でも、先生。片手手放し運転より、両手手放しの方が、もっと難かしいよ。」
「そうか、そうだね。じゃあ、これからの音楽は、ピアノなし。両手手放しでやろう!」
先生がそう言うと、歓声が上がり、その後の音楽は大盛り上がりだったということです。
A先生、正式に採用されていない先生なのに、すばらしいですよね。
そう。ピアノやオルガンを弾けなくても、音楽の授業はできるのです。
…音楽の達人、小宮路先生から聞いたこの話が、現職だった40年間、私の支えになった。
音楽の授業はピアノが弾けないといけないという、私の固定観念を打ち砕き、コンプレックスから解放してくれるものとなったのだった。
あれから40余年、先日ふと、小宮路敏先生のことが気になって、調べてみた。
小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8日 - 2018年(平成30年)11月14日)は、昭和・平成時代に活動した日本の教育者、作曲家。
玉川学園小学部教諭、玉川大学講師。元文部科学省認定小学校音楽教科書編集委員。名前は「こみやじ びん」と音読みで呼ばれることが多かった。
ウイキペディアには、こう書かれてあった。
そうか、6年前に亡くなられていたのか…。
44年前の夏に聞いた話、ずっと忘れずに生きて来ました。
あの話は、本当に大きな心の支えになりました。
ありがとうございました。
合掌。
アップライトピアノ、ヤマハの方が調律に来て「最近調子は如何ですか?」って聞くんですけど、苦笑するしかありません。
もともとカミサンも娘も音楽に興味ないみたいなので、無理して弾く必要ないんじゃないでしょうか。ピアノを買ったのはカミサンの意向でしたけど、今は完全にインテリア状態ですね。
「たまにはピアノ聴かせてもらおうか。ラフマニノフの組曲第2番よろしくお願いします。」(完全に嫌味)って言いたいんですけど…。
ピアノ弾かれること自体素晴らしいんでしょうけど、ピアノ弾かれる方と話すと、ピアノリサイタルに行くとどうしてもプレイヤー視線と言うか、「この人はこう弾くのか」とか考えちゃうみたいですね〜。
私はクラシックコンサートやジャズライブに年間150回ぐらい行くんですけど、あんまり深く考えず楽しむってスタンスですね。
知り合いの音楽仲間にコンサートの感想を詳しく書かれる方いるんですけど、素直に「凄いなぁ〜」って感心してしまいますね。「あっ、なるほど、確かに…。」って感じで楽しませてもらっています。
一番盛り上がるのは自分の感想と違う時で「自分的にはイマイチだったんですけど、超高評価、ブラボー状態ですか。」って場合なんですけど、滅多にそんなことは起こらないですね。ここ5年位ないかな。
雑文すいませんでした。いつも楽しませてもらっています。これからもよろしくお願いします。
クラシックやジャズのコンサートによく行くりゅーとさんなら、ご自身でもピアノを弾いたりするのじゃないかと思っていましたが、違っていたようですね。だけど、たくさんコンサートを聴いているから、いろいろと楽しさを知っているのでしょう。
とにかく、音楽は、心の栄養だと思いますね。元気にしてくれたり癒してくれたりするのだから、この魅力とは離れたくありません。だから、歌うにせよ演奏するにせよ、自分でもできたらなあと思うときがあります。まあ、自己満足で楽しんでいくのが大事だよな、と自分を慰めています。
まあ